google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 8月 2013

2013年8月23日金曜日

新・日本紀行(121)九十九里浜 「小湊と日蓮上人」







 新・日本紀行(121)九十九里浜 「小湊と日蓮上人」 



行川アイランドを左に見ながら、丘陵地というより山間地と云ったほうがいい。
つかのトンネルを抜けると、小湊の港へ出た。

気持ちのいい、静かな港・「鯛の浦」である。 



字の如く、本来深海を単独で回遊する魚なのに、水深10~20mを鯛が群れをなして泳いてる。 
学術的にも解明されていないといい、不思議な魚で一帯は天然記念物に指定されている。


 
日蓮が誕生した際、無数の鯛の群れがここに集まってきたとされ、この現象が奇跡とされ聖人の化身との伝説もある。 

現在も鯛の浦の鯛は、餌を与えて手厚く保護しており、捕獲したり食したりはしないという。



このすぐ前に「誕生寺」が在る、日蓮は1222年(鎌倉初期)、ここ小湊のこの地に誕生した。 
その後、直弟子 (1276)によって、生家跡地に建立したのが高光山・日蓮誕生寺である。


日蓮は、この地の奥山「清澄寺」に12歳で「僧」になるため入山し勉学に励んだ。
その後、鎌倉、比叡山などに遊学し、その後得度して布教活動を始め、日蓮宗、日蓮正宗、法華宗などを広め開祖となる。

他宗派(念仏宗)を批判しながら、著書「立正安国論」を表し、時の執権、最高実力者の北条時頼に送るが、逆に批判、法難をあびて伊豆に流されたこともある。 

日蓮に縁のある寺院に身延山・久遠寺があり、東京・池上本門寺にて逝去している。



ところで日蓮宗派のお題目は「南無妙法蓮華経」である。 

「南無」とは「~を信じる」、「妙法蓮華経」つまり「法華経」を信じよう、という事。 
このお経の特徴は、全ての生きとし生ける者は皆成仏できると説いている点で、わざわざ西方極楽浄土に行かなくても、この娑婆世界で十分成仏できると説いている。 

本来は法華経を読めばよいが、できない場合は、「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで同じ功徳が得られるともいうこと。




清澄山の山頂近くに「清澄寺」がある。

創建1200年を誇る、格式ある古刹であり、日蓮は12歳でこの山に入り教学し、得度している(高名な僧になっている)。 

清澄寺は、比叡山延暦寺の流派である天台宗であったが、後に真言宗に変じ、大正期に日蓮聖人の銅像が完成してから信者が増え、昭和24年にこのお寺は日蓮宗に改宗、大本山として現在に至っている。


清澄山は標高377m、房総半島で2番目に高い山で、麻綿原高原へ続く尾根の道は、四季を通じてハイキングの名所である。 原種ツツジに興味のある小生、「キヨスミツツジ」の名所でもある。



海岸沿いに旅館やホテルが並ぶ鴨川のメインロードの中心に、御存知「鴨川シーワールド」が在った。 さらに海岸に沿って鴨川漁港の南に明媚な島々が広がっている、

「鴨川松島」というらしい。 

外房随一の名勝といわれ、水平線から昇る朝日をバックにした景色は素晴らしいといい、「新日本百景」の1つにも選ばれている。



その島群の一角、大海海水浴場の南に、「仁右衛門」という島がある。 

島名は、島主の平野仁右衛門一族が一戸だけ住んでいることに由来するという。 
居宅は、300年の歴史を刻んだ木造の立派な建物があり、今でも住んでおられるという。


1180年 静岡県伊豆の韮山に流刑されていた「源頼朝」が挙兵する。

頼朝軍と大庭景親のひきいる平氏軍が、相模国(神奈川県)の石橋山で戦い、平氏軍は3000人あまり、頼朝の兵はわずか300人足らずで敗れる。
頼朝は海を渡り、安房(千葉県)へと逃げた。
この時、追っ手をさけて身を潜めたと伝えられるのがこの仁右衛門島であり、今でも洞窟が残っているという。

その後、頼朝は地元の千葉介等、諸侯の協力を得て鎌倉へ戻り、平家清盛一門打倒への準備が整っていくのである。

天津小湊町と鴨川市は、平成17年2月に新「鴨川市」として合併誕生する。


次回は「南房総




   


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新・日本紀行(121)九十九里浜 「勝浦の朝市」







 新・日本紀行(121)九十九里浜 「勝浦の朝市」 





国道128は、勝浦の岬の付根を上り下りしながら、勝浦の市街地へ来た。 

勝浦湾を正面に町は広がっていて、なかなか雰囲気がある。
目抜き通りに”朝市通り”というのが在る。


天正年間から400年以上も続いている勝浦の顔「朝市」は、ここで今も毎日開催されている。 

四季を通じて、近郷近在の採れたての野菜や果物などの山の幸や、その日の朝漁港で水揚げされたばかりの魚介類などの海の幸のほか、自家製の漬け物・つきたての餅・赤飯・しおから、から干物などの加工品などと、細工などの工芸品も店先に並べられている。


歴史と文化を感じる勝浦の朝市は、石川県の輪島、岐阜県の高山と並ぶ「日本三大朝市」の一つと言われている。 

朝市通りは下町通り、仲町通りと2箇所あって、其々月の半数ずつ交代で行っているらしい。


勝浦」は古くから漁業がさかんで、中でも勝浦漁港は国内有数の「カツオ」の水揚げ港である。 

カツオの水揚げは1990年から日本一を記録している。因みに、同地名の紀州・和歌山の那智勝浦町は生マグロの町と言われ、「生鮮マグロ」の水揚高日本一を誇る。 


面白いのは、この地「勝浦」の地名は、紀州・勝浦の漁業流民が当地に土着するようになって名付けられたという、こちらも詳しくは後ほど。



時下は、九十九里浜 「小湊と日蓮上人」 




   


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新・日本紀行(121)九十九里 「合併の町」







   
新・日本紀行 

 新・日本紀行(121)九十九里 「合併の町」 



千葉房総の「合併の町」について・・、

九十九里浜に位置する町村域の主要地は「平成の大合併」で、大幅に地域や地名の変更が行なわれたようである。


北から先ず「香取市」である。 

千葉県北東部の市で2006年3に佐原市と香取郡小見川町、山田町、栗源町が合併して誕生している。
対岸の茨城県と接し、市北部の利根川に面した低地部は水郷と呼ばれ観光地として知られる。
「香取市」の市名はこの地方ゆかりの名称(郡名)であること、合わせて由緒ある下総一の宮・香取神宮から選定されたものであろう。



旭市」は2005年7月 、現旭市と干潟町、海上町・飯岡町が対等合併し、新しい「旭市」となっている。

」という呼称は一説には「旭将軍」と呼ばれた木曽義仲の末裔である木曽義昌がこの地で死去したのを惜しんで命名されたともいわれている。 

木曽義昌は、戦国期の信濃国の武将で、木曽谷の領主・木曽氏の第18代当主。 
1590年、徳川氏の関東移封に伴って子義利に下総国阿知戸(現在の旭市網戸)の1万石が与えられている。




2006年(平成18年) 、八日市場市、野栄町が合併し「匝瑳市」が発足する。 

匝瑳」とは、難解である、「そうさ」と発する。 

匝瑳を”そうさ”と読める人は千葉県民にも少ないといわれ、日本全国でも屈指の難読市名であろう、クイズ番組にでてきそうであるが。

匝瑳(さうさ)については、近畿の豪族・物部氏(物部氏の一族)が、朝廷から下総国の一部を与えられ、その名を「匝瑳郡」(さふさごおり)とし、その子孫が物部匝瑳(もののべのそうさ)氏を名乗ったと伝えられている。

匝瑳(さうさ)の語源については定かでないが、匝(そう・さふ)は、布(布巾)に通じ麻の織物、「総」のことで、瑳(さ)は、あでやかである、美しい事を意味する。

つまり、“美しい麻のとれる土地”のことで往時の下総国、房総にも通じると云われる。

地元の人は「匝瑳市」とは難儀ながら、縁起のよい漢字を充てたものと考えられているようである。

尚、「麻」に関係するとする「総の国」、「房総」の起こりについては、この先、館山の項:「房総・安房神社」に詳細記載してあります。



次に、2006年3月27日に光町、横芝町とが合併して新たく「横芝光町」が誕生する。 


この地は、江戸期幕末に商人・測量家である「伊能忠敬」(幼名・小関三治郎)を輩出していることは先に述べた。

又、蓮沼村、成東町、松尾町、山武町の4町村が、2006年3月27日に合併し「山武市」が誕生する。 

山武は、“やまたけ”ではなく、“さんぶ“でもなく、「さんむ」と称する。 
当初は、合併後の新市名を稀有壮大な「太平洋市」にする予定だったが、一自治体に太平洋を名乗るべきではないと言う趣旨の抗議が相次いだ為、住民アンケートを行って現在の市名に変更されたという。



そして、九十九里と南房の境に「いすみ市」(いすみし)が、2005年12月5日に誕生している。 

岬町、大原町、夷隅町の対等合併で、夷隅郡(いすみぐん)から市名を付けたという。 
ただ、前にも記したが行政名で「ひらがな文字」は戴けない。 せめて、夷隅市で良かったのでは・・?、

「夷隅」は古事記にも絡む由緒ある地名のようだが。



ひらがな文字の地域名、行政名については・・、

“実際には合併の時の市町村同士の摩擦を避けるための名称なのではないか”
“他の市町村名との差別化を図って自己の市町村を目立たせるためではないか”
などの事由が有るらしいが、何れも住民、叉は当局員の「エゴ」によるものであろう。
このような偏見的見方は、いずれ時が解決するものである。


因みに、「漢文字」は、それ自体が主体性の有る独特の意味を持つ固有の文字であるが、「ひらがな」は漢字を楷書ないし行書で表現される仮名(万葉仮名)を、極度に草体化(くずしたもの)したもので、ひらがな文字自体は言語の「音韻」を主に表わすもので、言語の意味を呈してはいないとされる。


次回も。九十九里浜 「勝浦の朝市」 




   


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新・日本紀行(120)御宿  「文教の町」









 新・日本紀行(120)御宿  「文教の町」 





御宿」は文教の町であった・・!、

岬町は、広大な太平洋に突き出した太東岬にちなんで命名されたのだろう。
美的に単調な九十九里浜はここ太東岬を境に一変する。 一般的にこらから先は「南房総」と称しているようである。 

複雑に入組んだ海岸地形は独特の海岸美を形成していて、ここには観光施設やレジャー施設も多く、歴史や文化の色彩も濃く、首都圏の観光拠点にもなっている。 
また黒潮流れる温暖な地は各種花々の栽培が盛んで、海岸道路を”フラワーライン”とも称している。 

ようやく雨も小降りになってきて、明るさも増してきたようで、これから拙車はその南房である、国道128号・愛称である「外房黒潮ライン」を行く。

清流・塩田川を渡り、左に大原の港を眺めながら、「御宿」へと差し掛かる。
この御宿には心温まる逸話があった・・、


明治35年、猛烈な台風で御宿小学校は全壊した。

財政難の時代、時の校長・伊藤鬼一郎氏と村長は全村民に同意を得て、学校建設の為、毎日五厘(一銭の半分)の日掛貯金を実施した。 
その後、毎戸2倍の一銭とし、実に9年間に亘り一戸の脱落者もなく達成したという。

集まった金額3万円余(現在の価値で約1億8千万円)を以って独力で737坪の立派な新校舎を建てたという。
五厘は、儒教の「五倫五常」の五倫に通ずるとして、新たに学校名を「五倫黌御宿小学校」と名付けたという。 

五倫」とは、人として守るべき五つの道、君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信、「五常」とは人としての心得、仁・義・礼・智・信を言う。


小学校のすぐ南に歴史民俗資料館がある。
ここの一角に教科書を専門に収集した「五倫文庫」なるものが有り、当時の校長伊藤鬼一郎氏が、毎年使用される教科書を保存し比較研究したのがその始まりであると。 
氏は、初等教育が次の時代を背負ってゆく少年少女に如何に重要であるかを早くから認識され、 特に世界が平和の中に共存してゆくには、未だ天使のような清い心の幼い時に、正しい教育をすることが不可欠なのだという信念のもとに実行された。

収集した教科書は国内25000冊、国外50数ヶ国7000冊に及ぶ。


昨今、中高歴史教科書の記載の仕方が問題視されるときがあるようで、当の執筆者、関係者は、御宿の教育関係者に問うてみては如何かな・・!!。

御宿町は文教の街として、その名を千葉県のみならず全国的に知られているという。

 

御宿海岸は大幅な砂浜に覆われており、同じ海岸線でも九十九里浜とはまったく異なる姿を見せている。 
白い砂浜が波のようにうねり、海辺を見なければまるで砂漠のようである。

大正期の作家の「加藤まさお」が、病気療養のために滞在していたのがこの浜で、この地で童謡「月の沙漠」が生まれたという。



月の砂漠』 加藤まさを 佐々木すぐる(曲)

月の沙漠を はるばると
旅のらくだが 行きました
金と銀との くらおいて
二つならんで 行きました


次回は、「合併の町







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新・日本紀行(120)一宮 「古代信仰と祭り」







 新・日本紀行(120)一宮 「古代信仰と祭り」 




九十九里地方は、気候温暖で、豊穣の地であり、縄文・弥生の頃から人々の営みがあったことは遺跡からも確認せれている。 

寄石信仰、伝説は縄文人の心のよりどころでもあり、これが海からやってきたというのは、如何にも「九十九里」らしい。



玉前神社の創建は不祥とされているのは、縄文・弥生の古代人の自然信仰が、現在の一宮に継承されていることは充分に想像できるのである。




玉前神社には、「上総の裸まつり」、「十二社まつり」といった1200 年の歴史のある例祭があり、房総半島に多い浜降り神事の中でも最古の歴史と伝統を誇るとされている。

壮大な儀礼をひと目見ようと近郷近在、関東一円から大勢の人々が集まるという。

尚、「十二社まつり」では二つの神輿のうち、一基は大宮様(玉依姫命)、もう一基は神武天皇とされている。



一宮町には、他にも古い歴史を抱く大小さまざまな神社・仏閣が数多く在り、町内ではそれぞれの地域で、今でも季節ごとに昔からのお祭が伝えられ、賑やかに行なわれているという。 

一宮町は、やはり”歴史と文化”が漂う香り高い街であった・・!!



次回、御宿  「文教の町」 






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新・日本紀行(120)一宮 「玉前神社」








 新・日本紀行(120)一宮 「玉前神社」 




九十九里地方、上総の国の一宮:玉前神社本殿




一宮の「宮」の訳は・・、



海岸線の快適な・・とは言っても小雨の中であるが、九十九里道を更に南下する。
なだらかに湾曲した九十九里浜は、やがて「一宮町」辺りで尽きる。 


その一宮町であるが・・、

全国に数字のつく一の宮、二の宮など宮の付く地域名が多い。

小生の住む相模の国(神奈川)にも一の宮、二の宮、三の宮、四之宮とご丁寧に揃って存在する。
何れも「宮」と付くからには神社に所縁(ゆかり)のある地名であることは確かである。 

神社は昔から一郷一村の人達の心の拠り所であり、日本民族の魂のふるさとでもあった。 
又、神社は古来、政事(まつりごと・政治)の中心的存在でもあった。



平安期、その国(地域)の神社の格式や祭政一致に基ずいて、朝廷(天皇が政治を行っていた場所)がその神社の挌位(序列)を決めたのが、「延喜式(式内社)」といわれるもので、「一の宮」はその国の由緒ある信仰の篤い神社の第1位のものであるとされる。 

国司(中央・朝廷から地方・諸国へ派遣された地方長官)が地方へ赴任したときは、一の宮、二の宮、三の宮と順に巡拝しなければならないとも規定されている。



ここ「一宮町」は玉前神社が上総国の一宮だったため「一宮庄(荘)」の名前が広まり、現在まで「一宮」の名称が使われているのであろう。 

その玉前神社は上総一宮駅の西側に鎮座している、主祭神は玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)、相神は鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズ)又は神武天皇としている。
 

玉前神社の名前の由来は、古来から九十九里浜には寄石伝説というのがあり、古くは「玉の浦」と称していたことは前項でも述べた。 

寄石伝説」というのは、「玉」の信仰が古代より信じられ、人々は海から寄せられた石に霊力を感じ、これを光り輝く神として祀っていた。 
即ち、石玉には霊力を感じ、これを光り輝く神として奉っていたことに始まるとされる。

玉は勾玉、八坂瓊曲玉(やさかのまがたま)に通じ、天皇の「三種の神器」の一つでもある。

又、玉前神社の主祭神を日向三神に由緒ある玉依姫命(たまよりひめ)としていることだろう。

即ち、玉依姫命、鵜茅葺不合命、神武天皇は日向地方における古代神(天津神)といわれる神々で、記紀(古事記、日本書紀)においては山幸彦(火火出見・ホホデミ:神代二代天皇)と豊玉姫の間に鵜茅葺不合(神代三代天皇)が生まれ、この子を育てたのが玉依姫であり、更に、鵜茅葺不合が神武天皇(歴代の初代天皇)を生んだとされている。


次回も、一宮 「古代信仰と祭り」 






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2013年8月16日金曜日

新・日本紀行(119)九十九里 「伊能忠敬」







 新・日本紀行(119)九十九里 「伊能忠敬」 



歩きに歩いて日本地図を作った男・「伊能忠敬」・・、

小生は、今、日本の海岸に沿って車で旅をしているが、ここ九十九里町出身で、日本中のあらゆる海岸を歩き通した男がいる、「伊能忠敬」である。 
歴史上、或いは未来永劫も、これ程日本中を自分の足で歩いた人物はいないし、再び出る事はないであろうといわれる。 
それも趣味や健康のためだけでなく日本地図をつくる目的、仕事としてである。

江戸末期、55歳から73歳の13年間、日本中を測量して歩いた。 
距離にして35200kmといわれ、地球1周分、九州の果てから北海道の果てまで九回も往復した事になる。

忠敬は、今の九十九里に生まれ、忠敬が49才で家督を譲り、かねて趣味としていた天文を更に探求すべく江戸に赴き、幕府歴所・天文方(江戸幕府の職名・若年寄に属し、天文・暦術・測量・地誌・洋書の翻訳などに関することをつかさどった)に大阪より着任したばかりの高橋景保(たかはし かげやす・江戸時代後期の天文学者)に強引に弟子入りをした。

幕末の日本は、ペリーが浦賀に来航する前からロシアが蝦夷地に出没したり、多数の外国船が日本周辺を徘徊していた時期でもあり、時には、沿岸海域で援助や遭難、難破して救助を求めて来るときもあった。 
鎖国時代の幕府は、その様な外国船に対してある種の脅威を感じ、時には衝撃をうけていた。

幕府は、このような時世に測量家としての名を挙げつつあり、腕を見込まれていた忠敬に注目し、しかも、私財を投じて測量事業を行なっていたことが幕府にとっても有益だと判断したようで、忠敬に「測量方」を依頼する。 


最初の測量は蝦夷地(現在の北海道)およびその往復の北関東・東北地方において行われた。 
だが、忠敬の測量が極めて高度なものであったことから、その後徐々に幕府からの支援は増強され、国家的事業として育っていったという。
忠敬が、正式に幕府の命を受け、日本の地図作りに没頭し、前人未踏の成果を挙げたのは国土防衛のためでもあったのである。 その結果、18年間に至る日本全土の測量、地図製作という大事業を成し遂げた。 

忠敬が作成した地図は伊能図として、世界でも実測による地図として貴重であり、且つ精度も非常に高く、昭和の初期まで軍・参謀本部の20万分地図に使われていた程であった。


利根川河口より少々入った川べりに「佐原」の町がある。

江戸期は水運で栄えた商いの町で、古い町並みのいたるところに昔の面影が残る建物が多い。
忠敬が18歳の時に、下総国香取郡佐原村(現・香取市佐原)の伊能家に婿養子に入り、以来しばらくは商人として活動する。 
伊能家は、酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいた他、利根水運などにも関っていた。 商人としてはかなりの才覚の持ち主であったようで、伊能家を再興したほか、佐原の役職をつとめたなどの記録が残されている、そのためかなりの財産を築いたともいわれる。

現在は、この地に記念館があり、彼が制作した「大日本沿海輿地全図」(220枚)や数々の下絵地図、方位、距離観測器具などが展示されている。


次回は、「一の宮、御宿



 


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新・日本紀行(119)九十九里 「九十九里文化」







 新・日本紀行(119)九十九里 「九十九里文化」 


ところで、九十九里浜の古名は「玉浦」(玉の浦)と呼ばれていたらしい。 
源頼朝の命で、6町(1町は約109.1メートル)を1里として、1里ごとに矢を立てたところ、99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるようになったという。 

因みに、現在のメートルに換算すると、109.1m*6*99=64805mで凡そ65kmになり、実際の全長は66kmというから、かなりの正確度である。 

中央とされる山武市蓮沼地区(旧蓮沼村)には、その名も箭挿(やさし)神社が鎮座していて、また、その故事に因んで矢指ノ浦の別称もある。

『 まん丸や、箭挿(やさし)が浦の 月の的 』

と源頼朝が詠んでいる。


叉、徳川家康の命により「大坂冬の陣」の前年、江戸城と九十九里浜の中央を結ぶ、ほぼ一直線の道路が作られたという。 
現在、その痕跡は無くなりつつあるが、九十九里浜の中央部、蓮沼村の小松地区から県道124号、東金付近から宮城野JCTの北、県道69号から船橋、京葉道路にそって江戸城へ至っていたとされる。

今は、古道と概ね並行している東金九十九道、千葉東金道、京葉道、首都高を結べば最短時間で都心から九十九里までは、凡そ1時間少々で往来できるのである。



九十九里浜といえば地曳網によるいわし漁」と、今でも言われる。

古代にまで遡ると九十九里は貝塚類の他、多数の丸木舟などの出土例があり、縄文時代から人類の活動の盛んだった地域であったらしい。

この海岸は、日本列島に沿って北上してきた黒潮がここを境に日本列島から離れる個所であり、「黒潮文化」の北限に位置している。
そしてその一方、栗山川(2級河川、河口部・横芝光町)は「サケの回帰の南限の川」とされ、親潮の影響を受ける南端の地域でもある。 

つまり、九十九里は古代には黒潮、親潮の両文化が栄えた地域もあった。

この豊穣な海の地域には、昔から紀州漁民の入植が盛んとなり、紀州とのつながりと漁業関係による繁栄があったことは「銚子」の項でも述べたが、更に、頼朝も家康も目を付けたの“さすが”と言わざるを得ない・・!!。
(尚、千葉房総と西国の関わりについて、詳細後述します)


次回、九十九里 「伊能忠敬」 


 


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新・日本紀行(119)九十九里 「九十九のイワシ」


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新・日本紀行 

 新・日本紀行(119)九十九里 「九十九のイワシ」 




九十九里浜の美しい砂丘の海岸道路が行く。
見通しの良い、ほぼ直線の九十九里ビーチライン、愛称「波乗り道路」を快適に飛ばす。 直線的で走りやすい海岸沿いの道は、時おり九十九里浜の潮風がビュウッと吹くので、窓を開ければ実に快適である。


「伊能忠敬」の前に、更に「鰯・いわし」について・・、

九十九里浜は、2市10町2村に渡っており、飯岡町から岬町の大東崎まで、66キロに渡る日本最長の砂浜である。 この中間地に「九十九里町」が在った。
そこに、この浜唯一の片貝漁港がある、「いわしの港」である。 

日本人とイワシのつきあいは古く、石器時代にはすでに食べられていたと言われる。 
九十九里浜のイワシ漁は、江戸後期には日本一を誇るほど大量に水揚げされ、最高の漁獲時は全国の漁獲高の三分の一にも達したともいう。 
黒潮」が九十九里の沖を通るため、水温や塩分の濃さが、 又、餌になるプランクトンが多量に繁殖し、そのためイワシが住むのに適しているといわれる。

イワシは、江戸時代の頃には農作物の肥料が主であったが、 現在は、飼料、肥料、食品、化粧品などの多くに用いられている。 
代表的なイワシはマイワシ、カタクチイワシ(背黒イワシ)、ウルメイワシなどであが、イワシには、豊富な栄養分が多く含まれており、すばらしい健康食品でもある。 
特に我々中高年族には成人病予防食品としての代表格であろう。

イワシ漁法としては、九十九里は海底が平らで遠浅なので、浜近くの村々では、昔から「地引網」が発達した。今は機械船を使った揚繰網(あぐりあみ)漁が主で、地引網は観光用となっているという。
獲れたイワシの7割が飼料、2割が加工食品で、鮮魚として流通するのは1割だそうである。

九十九里町役場の近くに、わが国に唯一その名も「イワシ博物館」が在る。 


次回、九十九里 「九十九里文化」 



 


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2013年8月14日水曜日

新・日本紀行(118)銚子 「天保水滸伝」








 新・日本紀行(118)銚子 「天保水滸伝」 






銚子の隣は「飯岡町」(現、旭市)である。

利根川筋は「東海道」や「上州」と並んで国内でも三大博徒の地と言われている。 

この辺りは「」が無際限の獲れるところであり、鰯は食料以外にも畑などの肥料など、その利用価値は多い。 
元々が水運の地でもあり、物や金が動く。 
こんな場所に彼等は群がり、博徒や親分衆が目を付けつたのである。 
そこには特殊な人間関係が生じ、義理や人情と言った風土を作り上げていったのも確かであろう。


時は江戸天保時代、利根川沿いの江戸へ行き交う船で賑わう地域、相模の国の出身「飯岡の助五郎」は、出稼ぎ先の飯岡の漁港で網元として成功し、九十九里の飯岡を根拠に博徒の親分としても下総一帯に勢力を誇っていた。 
しかも、博徒でありながら、十手持ちでもあった。

一方、利根川沿いの東庄(とうのしょう)の「笹川の繁蔵」は、代々醤油と酢の醸造で功を成した村きっての物持ちでありながら、笹川の賭場を仕切り、下総一体に勢力を示し笹川一家を張る侠客でもあった。 

繁蔵が勢力を増すに従い、助五郎も黙ってはいない。 
お互いの勢力範囲が近接している所から、両者の間には小競り合いが続き互いに反目しあっていた。
そして天保年間、飯岡と笹川が遂に大利根河原での果し合いが始まったのである・・!!。

浪曲や講談でお馴染みの御存知・「天保水滸伝」は、飯岡助五郎と笹川繁蔵、二人の侠客の勢力争いの物語である。

浪曲・『天保水滸伝』 玉川勝太郎

♪♪♪・・・♪♪♪・・・♪♪、
利根の川風袂に入れて、月に棹さす高瀬舟
ひとめ関の戸 叩くは川の
水にせかるる 杭などに
恋の八月 大利根月夜
佐原囃子の 音も冴え渡り
葦の葉末に 露おく頃は
飛ぶや、蛍のそこかしこ
潮来あやめの なつかしさ
わたしゃ九十九里 荒浜育ち
と言って鰯の子ではない
義理にゃ強いが 情けにゃ弱い
されば天保十二年、抜けば玉散る長脇差
赤い血抹を しとどに浴びて
飯岡・笹川両身内
名代ならりける 大喧嘩
伝え伝えし 水滸伝
・・・・・・
♪♪♪・・・♪♪♪・・・♪♪、


次回は、九十九里・「伊能忠敬





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新・日本紀行(118)銚子 「醤油と鰯・Ⅱ」





 新・日本紀行(118)銚子 「醤油と鰯・Ⅱ」 



ところで銚子は古くから「醤油」の町として知られる。

近世、房総の地へ関西人の移住が盛んになり、江戸中期には紀州から「浜口儀兵衛」が移ってきて、銚子に醤油の醸造を広めたとされる。 
その元禄期前後には、銚子の醤油産業が大いに発展したとされている。

銚子の利根川は江戸期、江戸~銚子間の利根水運が開かれ、東北地方の米・物産などを江戸に運ぶ重要な中継港として発展してきたことは、先に述べたが、水運利用の隆盛を背景に、醤油醸造と漁業が飛躍的に伸びたとされている。 

醤油の起こりは、元は味噌の製法から発明されたという。

紀州・由良町の僧侶・覚心が修行中の中国から我が国に初めて味噌及びその製法を伝え、味噌の製造過程で溜醤油(たまりじょうゆ)が発生、これを精製したのが醤油といわれる。 
醤油は近隣に広まり、後に、隣町である湯浅町の浜口儀兵衛が房総・銚子へ移住して広まったという。 


現在は街中にヤマサ醤油工場、ヒゲタ醤油工場が有る。
キッコ-マンの始祖となる茂木家、高梨家が野田で醤油を始めるのは17世紀頃で、銚子より遅れること半世紀たってからであるとか。

関東平野の川筋では、原料となる大豆や小麦、塩が近在で採れ、湿った川風が醤油つくりに適していたと言われる。 
材料も、製品も運ぶのには川が活躍し、更に、江戸川の整備が進むと、野田から日本橋までは半日で届いたといわれ、これで野田の醤油も勝機をつかみ今日に至っている。 

因みに、醤油を「むらさき」と呼んでいたのは、江戸時代に紫色を珍重する気風があり、同じく似たような色で貴重品であった醤油をそう呼ぶようになったとされているが。



江戸末期には、「イワシ」の大豊漁が続き、大いに沸き立つ中、「大漁祭」が行われるようになった。 
その祭のときに歌われたのが「大漁節」で、千葉県を代表する民謡の一つとして知られる。

正調 大漁節』 千葉県民謡

一つとせ 一番づつに積み立てて 川口押込む大矢声
二つとせ ふたまの沖から外川まで つづいてよせ来る大鰯
三つとせ 皆一同にまねをあげ 通わせ船のにぎやかさ
・ ・・
・ ・・
十とせ 十をかさねて百となる 千をとびこす萬両年



次回、天保水滸伝






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新・日本紀行(118)銚子 「醤油と鰯の街」





 新・日本紀行(118)銚子 「醤油と鰯の街」 




犬吠崎灯台



銚子の街から犬吠崎へ向かう。 
市街地より河口付近の岬へ向かったら、そこは銚子ポートタワーが朝靄の上空へ向かって天を指していた。
高さ57mのツインタワー構造で、雄大な太平洋と大利根の河口の景観を楽しめるというが、今時は、まだ開館していない。

君ヶ浜の美景を眺めながら、次に白亜の犬吠崎灯台へ着いた。
所謂、ここが「銚子っぱずれ」の地であろう。 

レンガ造りの建築物としては日本一の高塔(31m)だそうで、発光輝度も日本一の灯台らしい。 
世界の歴史的灯台100選」に選ばれている。

ここは関東最東端の地で、緯度と経度の関係から富士山頂・離島を除き日本で一番早く初日の出を拝めるところである。 
正月元日には「初日の出」を拝もうと、周辺各地からマイカーが押し寄せ、周辺道路は渋滞となって、あげくは見損なうといった笑えぬ事例もあるとか。


次回も、醤油と鰯




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2013年8月9日金曜日

新・日本紀行(118)銚子 「坂東太郎・利根川概要・Ⅲ」






   
新・日本紀行

 新・日本紀行(118)銚子 「坂東太郎・利根川概要・Ⅲ」 




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間もなく太平洋に注ぐ利根川水域、その河口に架かる銚子大橋。 左は旧橋が老巧化のため2010年度完成の新大橋





ところで、利根川は「坂東太郎」(ばんどうたろう)の異名を持ち、「筑紫次郎」(九州・筑後川、「筑紫三郎」といわれる場合も)、「四国三郎」(吉野川・「四国次郎」といわれる場合も)とともに日本三大暴れ川の一つに上げられる。  

名称のについては、いくつかの説があるが、アイヌ語の「トンナイ」に由来するなどが有力とされ、「トンナイ」は巨大な谷を意味するという。 

なお、利根川の名称が出てくる最初の文献「万葉集」には、「刀禰(トネ)」と記されているという。


鬼怒川や渡良瀬川(わたらせがわ)など名だたる多くの支流をもち、中下流域の千葉県最西北端の関宿町(現野田市)、埼玉県五霞町辺りでは、利根川本流を「江戸川」に分流して、これまた日本一の関東平野の大きな流域を潤し、首都圏の上水道を支えている。

又、水力発電としても利根川は有力な河川であり、上越国境の群馬県も発電事業の促進を図り、五十里(いかり)・川俣(かわまた)・矢木沢(やぎさわ)・藤原・草木(くさき)など多くの多目的ダムが築かれ,県内の多くのダムに発電所を建設して電力需要の確保を図っている。 
これら総合開発によって利根川は、各県と共有しながら首都圏の水需要と電力需要に欠かせない「日本の大動脈」となっている。



ところで、かつては利根川の河口は東京湾に注いでいたらしい。 

それに、今では利根川の支流となっている渡良瀬川や鬼怒川も、かっては独立した河川であったという。
特に、江戸(現在の東京)に政治の中心が移ってからは、利根川の治水は最重要課題の一つであった。


江戸幕府は、食糧を賄うための新田の開墾、舟運の開発と安定化、水害の軽減、飲料水の確保などを目的として、利根川を渡良瀬川筋に、更に常陸利根川筋に・・・と、少しずつ東に付け替える大工事を実施している。 


治水上の関係で最終的には利根川の本流、流路が銚子方向に確定したのは明治時代に入ってからであった。 

この川の流れを強引に変えて、銚子から太平洋に流すようにした大事業は、世に云う「利根川の東遷」と呼ばれている。 

その歴史は、徳川家康が江戸入府してから4年後の1594年に開始されたと記録に残り、最終的な拡幅は明治期になってからとか。 



流域は東京都、群馬県、千葉県、茨城県、栃木県、埼玉県の1都5県にまたがり、流域内には約1,200万人もの人口を擁し、利根川はその基盤となる生命の水を常に与え続けているのである。


引き続き「銚子




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新・日本紀行(118)銚子 「坂東太郎・利根川概要・Ⅱ」







 新・日本紀行(118)銚子 「坂東太郎・利根川概要・Ⅱ」 



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間もなく太平洋に注ぐ利根川水域、その河口に架かる銚子大橋。 左は旧橋が老巧化のため2010年度完成の新大橋




坂東太郎・大利根は、この「大水上山」の三角雪渓から滴り落ちる雪解けの水、最初の一滴から始まるのである。



実は、利根川の水源は長い間、謎で、明治、大正期に2回水源探検を実施し、水源は刀根岳(大水上山)と確認したが、源流部を解明するに到らなかったという。 

昭和29年(1954)、第3回利根川水源調査団がようやく利根川の水源は、標高1,834mの大水上山の三角形の雪渓であることを突き止めたという。

人々が入山して後、水源を見つけるのに実に60年の歳月がかかったわけである。
 
その実情は、カモシカも避けて通るといわれるほど急峻で危険な箇所が多かったという。 


尤も、上越国境の山々は日本一急峻な山岳、岩場として、岳人の間でよく知れる処でもある。 
特に、越後側は比較的のびやかなのに対して、南面にあたる上州側は、谷川連峰の一の倉沢、マチガ沢、幽の沢に見られるように大絶壁が連なり、総じて峻険な地帯となっているのである。

利根川水源が新たに発見された頃、世はある種の登山ブームに差しかかった時期でもあった。そして、この奥利根地方はも登山家のあいだでは、どちらかと言えば沢歩きが主流だという。


奥利根病』というのがあるらしい。

奥深い現流域は夏でも腰まで水に浸かる大変な沢登りだが、又行きたくなるという「再発病」である。 

こんな時期、とある女性の山愛好家が利根川現流域に魅せられ「利根川源流讃歌」を作っている。




利根川源流讃歌

遥か彼方 澄みわたる空のもと
上州最北端 利根川水源地
大水上山の三角雪渓
太古からの 雪解け水が
尽きることなく 湧き出すところ



河口にいるのに、山奥の水源の話になってしまったが・・、


次回も利根川です
   


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新・日本紀行(118)銚子 「坂東太郎・利根川概要・Ⅰ」






   
新・日本紀行

 新・日本紀行(118)銚子 「坂東太郎・利根川概要・Ⅰ」 





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間もなく太平洋に注ぐ利根川水域、その河口に架かる銚子大橋。 左は旧橋が老巧化のため2010年度完成の新大橋



大利根と言われる「利根川」は・・、


雨が激しく降る中、朝食を摂るのも忘れて、水郷道路から国道124号へ飛び出した。
朝の町並みは、まだ静まりかえっている。

有難い事に、またまた24時間営業の「吉野家」を見つけ、朝食に有り付いた、定番の納豆定食である。


時折、利根川の大きな河川が眼に入る。 
ここは「波崎町」である。 

波崎町は大河・利根川と太平洋に挟まれた細長い街で、砂質土壌に発達した町であるり、延々20kmにも及ぶ波崎砂丘は、太平洋から吹き付ける風によって微妙に姿を変える。
即ち、「風紋」と呼ばれる風の芸術が見れる処でもある。


悠々と太平洋に注ぐ大利根の大河口付近で銚子大橋を渡る。 
延々1450m、川の水面上に架けられた橋としては、日本一の長さだとか。

この「利根川」は全長こそ約322kmで、信濃川に次いで日本第二位であるが、流域面積は日本一である。 



ところで利根川の源流は、日本列島の脊梁山地の一部である三国山系で、上越国境山地の最北部・巻機山(まきはたやま:1967m・)と平ヶ岳(2141m)の両百名山を東西に抱えた最北端にある「大水上山」(おおみなかみやま:1834m)の南面の雪渓であるという。

自称、山屋と称していた小生ではある・・、

因みに、この山に登るには上州側からだと、利根川を数泊かけて源流域を遡登するということだが、このコースは急登につぐ急登で体力がものをいう世界である。 
相当なアルバイトが強いられるのを覚悟して登ることが肝要であろう、

小生は無論この山域には至っていない。 
急な沢歩き、尾根登りを辛抱強く行けば、右側に上越国境の山々が、左側には一際雄大な「越後三山」や尾瀬の山々が美しい姿で眼前に展開し、苦しさを紛らわせてくれるという。 

頂上付近は、緑豊かな笹原の天上の楽園、別天地が展開し、360度の雄大な風景を独り占めでき、満足感は計り知れないものがあるという。


次回も利根川

    


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2013年8月7日水曜日

新・日本紀行(117)潮来 「潮来節の展開」






新日本紀行

 新・日本紀行(117)潮来 「潮来節の展開」 




潮来節」に見られるように古来、七と五という語数は日本人・日本語の感性、語感に合うといわれる。

言葉遊びとして既に平安初期には「短歌」としての、一つの文化を形造り、江戸時代には一般庶民の人々が、「洒落」や「」な言葉遊びとして十分楽しんでいたという。 


七七七五の語調も同様で、「述べて」、「語って」、「重ねて」、「崩す」といわれ、最後の五音で粋にあきらめる感覚で、「潮来出島の 真菰の中に あやめ咲くとは しおらしや」 という「潮来節」が大元になっているのである。 



この歌詞が多いに生かされているのが、囃子詞(はやしうた)といわれる都都逸(どどいつ)・端唄(はうた)・小唄・俗曲(ぞっきょく)と言われるものである。 

この七七七五は、実は近世歌謡調(流行歌)の原型でもあるという。 


もっとも今の若者の間では、語形に捉われない語り調、話し調が主流ななっているようだが・・?。 

イヤハヤ「潮来節」は富んだ広がりが有るもんです。



都都逸』 四選

「口でけなして 心で褒めて 人目しのんで 見る写真」

「遠く離れて 会いたいときは 月が鏡に なればよい」

「恋し恋しと泣く蝉よりも 泣かぬ蛍が身を焦がす」

「櫻という字を よくよく見れば 二階の女が 気にかかる」

(2貝の女が木にかかる・貝=女=・・)



端唄』 二選

梅は咲いたか

梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳やなよなよ 風しだい
山吹や浮気で 色ばっかりしょんがいな



奴さん

エー奴さんどちら行く ハアコリャコリャ
旦那お迎えに さても寒いのに供揃い
雪のセ降る夜も風の日も サテ お供は辛いね
いつも奴さんは高端折 アリヤセコリャセ
それもそうかいな


次回は「銚子」 








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新・日本紀行(117)潮来 「潮来節」







新日本紀行


 新・日本紀行(117)潮来 「潮来節」 





 『 潮来出島の 真菰(まこも)の中に
         菖蒲(あやめ)咲くとは しほらしや
 』

と「潮来節」にも唄われている。



潮来町の恒例行事、「あやめ祭り」や「潮来祇園祭り」には盛んに潮来節が唄われ、中でも恒例になった「潮来節おどりの競演」は唄と踊りが競演するコンテストで年々盛んになっているとか。



水郷潮来は、古くから江戸と東周りの東北地方、西回りの瀬戸内を結ぶ海上・ 内陸水運の中継港として栄えた。 

この地は、多くの商人や旅人が集う、にぎやかな宿場町であり、旅心を癒す三味の調べが流れていた。



潮来節はそんな旅人の心を捉え、江戸時代に大流行したといい、水郷潮来の回船によって日本全国に広まったという。 

遠くは阿波踊りで知られる徳島の「よしこの節」や「佐渡おけさ」のルーツは潮来節だともいわれる。 

又、江戸唄の三味の節回しを重んじた「都都逸」(ドドイツ・粋歌)や「端唄」(ハウタ・はやり唄)も元唄は「潮来節」といわれるという。 



津軽・南部地方の巫女の名称である「イタコ」(特に恐山における霊媒者)の名は、こちらの地名から起こったとされ、「口寄せ」(巫女などが神がかりになって霊魂を呼び寄せ、その意思を伝え告げること)の際に踊るのは「潮来おどり」が元になっているという。


次回、潮来節の展開






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新・日本紀行(117)潮来 「水郷潮来」


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 新・日本紀行(117)潮来 「水郷潮来」 



水郷潮来の中心部・前川あやめ園

♪♪「潮来花嫁さんは舟でゆく・・」




「潮来出島の 真菰(まこも)の中に・・、」の潮来節は・・、

昨夜は「道の駅・潮来」で車中泊となった。

夜半中、雨の音に悩まされながら、寝不足のままの起床となったが周囲を見渡すと、雨に煙る中にも水の郷らしい雰囲気が感じられる。 


そう、ここは「水郷潮来」であった。 

潮来は南に広大な霞ヶ浦、北浦を控え、近くに利根川と外浪逆浦(そとなさかうら)、常
陸利根川に挟まれ、すぐ横に前川が流れる、まさに水の地帯である。 

昔は陸の道より、水運、水の道として栄えたといわれ、江戸時代に奥州各藩の産物を江戸に運ぶ中継港としての役割を果たし繁栄した。 
現在はこの前川下流から、常陸利根川を挟んで水郷観光の中心をなしている。



カスリのモンペに潮来笠をかぶった女船頭が操るサッパ舟と呼ばれる舟に乗って、水路をゆっくりと行き来する。 

白無垢の花嫁さんが嫁ぎ先へ舟で行く情景を、「潮来花嫁さんは舟でゆく・・、」の歌でも親しまれ、昔ながらの風情を今でも残し、水郷の情緒が味わえる場所柄なのである。 


アヤメの咲く町としても有名で、5~6月には「前川あやめ園」を中心とした3箇所の「あやめ園」に、500余種100万万余株の”あやめ”が咲き乱れ、町が活気づく。


茨城が生んだ詩人、野口雨情の「船頭小唄」もこの地を歌ったものという。 


船頭小唄』 野口雨情(詩) 中山晋平(曲)

己(おれ)は河原の 枯れ芒(すすき)
同じお前も かれすすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯れ芒

次回、潮来節






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01. 15.

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