2013年8月23日金曜日

新・日本紀行(120)一宮 「玉前神社」








 新・日本紀行(120)一宮 「玉前神社」 




九十九里地方、上総の国の一宮:玉前神社本殿




一宮の「宮」の訳は・・、



海岸線の快適な・・とは言っても小雨の中であるが、九十九里道を更に南下する。
なだらかに湾曲した九十九里浜は、やがて「一宮町」辺りで尽きる。 


その一宮町であるが・・、

全国に数字のつく一の宮、二の宮など宮の付く地域名が多い。

小生の住む相模の国(神奈川)にも一の宮、二の宮、三の宮、四之宮とご丁寧に揃って存在する。
何れも「宮」と付くからには神社に所縁(ゆかり)のある地名であることは確かである。 

神社は昔から一郷一村の人達の心の拠り所であり、日本民族の魂のふるさとでもあった。 
又、神社は古来、政事(まつりごと・政治)の中心的存在でもあった。



平安期、その国(地域)の神社の格式や祭政一致に基ずいて、朝廷(天皇が政治を行っていた場所)がその神社の挌位(序列)を決めたのが、「延喜式(式内社)」といわれるもので、「一の宮」はその国の由緒ある信仰の篤い神社の第1位のものであるとされる。 

国司(中央・朝廷から地方・諸国へ派遣された地方長官)が地方へ赴任したときは、一の宮、二の宮、三の宮と順に巡拝しなければならないとも規定されている。



ここ「一宮町」は玉前神社が上総国の一宮だったため「一宮庄(荘)」の名前が広まり、現在まで「一宮」の名称が使われているのであろう。 

その玉前神社は上総一宮駅の西側に鎮座している、主祭神は玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)、相神は鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズ)又は神武天皇としている。
 

玉前神社の名前の由来は、古来から九十九里浜には寄石伝説というのがあり、古くは「玉の浦」と称していたことは前項でも述べた。 

寄石伝説」というのは、「玉」の信仰が古代より信じられ、人々は海から寄せられた石に霊力を感じ、これを光り輝く神として祀っていた。 
即ち、石玉には霊力を感じ、これを光り輝く神として奉っていたことに始まるとされる。

玉は勾玉、八坂瓊曲玉(やさかのまがたま)に通じ、天皇の「三種の神器」の一つでもある。

又、玉前神社の主祭神を日向三神に由緒ある玉依姫命(たまよりひめ)としていることだろう。

即ち、玉依姫命、鵜茅葺不合命、神武天皇は日向地方における古代神(天津神)といわれる神々で、記紀(古事記、日本書紀)においては山幸彦(火火出見・ホホデミ:神代二代天皇)と豊玉姫の間に鵜茅葺不合(神代三代天皇)が生まれ、この子を育てたのが玉依姫であり、更に、鵜茅葺不合が神武天皇(歴代の初代天皇)を生んだとされている。


次回も、一宮 「古代信仰と祭り」 






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