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2013年6月25日火曜日

新・日本紀行(112)北茨城 「天心と雨情・Ⅱ」





 新・日本紀行(112)北茨城 「天心と雨情・Ⅱ」 





野口雨情記念館とすぐ近隣にある生誕地



「赤とんぼ」、「シャボン玉」、「七つの子」、「青い目の人形」、「赤い靴」、「雨降りお月さん」・・そして「船頭小唄」等々・・お馴染みである。
我々幼少の頃は学校で唱歌の時間に多くの童謡を教わり、心に馴染み、口ずさんでいたものだが・・、今の子供たちはどうなんだろう・・?。 

雨情の童謡は、日本の情景や日本人の情緒に、溢れんばかりの情愛を感ずる。 
純真無垢な子供達に、是非、これらの童謡を聞かせて、口ずさんでほしいものだ・・。

そういえば、「シャボン玉」のことをを知ってますか・・?、
屋根まで飛んで壊れて消えた・・」・・、とあるが、雨情の長女が病気のため二歳で亡くなり、その想いを詩にしたそうです。


野口雨情は生涯に2000余の詩を作っているが、童謡ばかりでなく、ご当地ソングといわれる民謡や学校校歌なども多数ある。  


童謡・『七つの子』 野口雨情作詞・本居長世作曲

烏 なぜ啼くの 烏は山に
可愛七つの 子があるからよ
可愛 可愛と烏は啼くの
可愛 可愛と啼くんだよ

山の古巣に 行つて見て御覧
丸い眼をした いい子だよ


次回は、日立




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新・日本紀行(112)北茨城 「天心と雨情」


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 新・日本紀行(112)北茨城 「天心と雨情」 






国道6号線は、美しい勿来の海岸を見ながら「茨城県」に入る。

県境でもある「北茨城」には、景観な五浦海岸(いづらかいがん)があり、日本美術界の重鎮、「岡倉天心」が居を構えたところでも知られる。

明治中期頃までは辺鄙な地ではあるが、太平洋を臨む風光明媚で変化に富む景観地でもある。この地に魅了され、住居の東側の崖の上に朱塗りの「六角堂」(観瀾亭)を建てたのが天心であった。




荒磯の先端に立つ六角堂


天心は、この六角堂に後輩の「横山大観」等を呼んで美術論、文芸論に興じ研究し、雄大な海の色彩や怒涛渦巻く波の形の絵画を生んだのはこの地であった。 
又、明治初期、新政府の神仏分離令によって廃仏棄釈が盛んになり、仏像等の美術品が破壊され、また海外に流出していったが、この時いち早く反対し、古美術の保存、保護に尽力したのも「天心」だったという。



五浦を出て、JR磯原駅前へ至る。

こちらは童謡作家として一世を風靡した「野口雨情」の生誕地である。

『 童謡とは、童心より流れて、童心をうたう自然詩である。童心とは、天より与えられた純真無垢なもので、全愛の心をもち、もののあはれを感ずるものである。詩とは、言葉の音楽で読んで味わうものではなく、うたうものである。 民謡とは、民族生活の情緒をつたふ唯一の郷土詩であり、土の自然詩である。 』

・・と、雨情は言っている。



次回に続きます、





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2013年6月21日金曜日

新・日本紀行(111)いわき 「勿来の関・Ⅱ」







 新・日本紀行(111)いわき 「勿来の関・Ⅱ」 





この周辺は古来より風光明媚な地にあって、松のこずえ越しに太平洋が一望できる。

今でも山桜の名勝としても有名で、県立自然公園に指定されている景勝地である。 


そして歌枕としても名高い「勿来の関」は、古来、“やんごとなき”人々より愛され、詠まれているのである。




みるめ刈る 海人のゆきゝの 湊路に 
        勿来の関も わが据なくに
』 新勅撰和歌集 「小野小町」
《海人が往来す湊路に来ないで、などという関は設けていないのに最近あなたは逢いに来てくれないのね》

惜しめども とまりもあへず 行く春を 
        勿来の山の 関もとめなむ
』 夫木和歌集 「紀 貫之」 
《いくら惜しんでも過ぎて行く春だけど、勿来の関よどうか春を止めて欲しい》

なこそとは 誰かはいひし 云はねども
         心に据ふる 関とこそみれ
』 玉葉和歌集 「和泉式部」 
《逢いに行けないと言う恋人の返事に《来ないでなんて誰が言ったと言うの、いいえ誰も言ってはいないわ、あなたが心に関を作って私に逢いに来ないだけだわ》

吹く風を 勿来の関と 思へども    
        道も背にちる 山桜かな
』 千載和歌集 「源 義家」
《花を散らす風は「来るな」、と言う勿来の関には来ないはずだが、何と道いっぱいに山桜が散っているとは・・・》

陸奥の 信夫の里に やすらいで
      勿来の関を 越えぞわずらふ
』 新勅撰和歌集 「西行」
《誰にも言えぬ人目を忍ぶ恋に、「来るな」と言う関を越すべきか越さざるべきか迷い悩む私です》

都には 君に相坂 近ければ 
      勿来の関は とほきとを知れ
』 続千載和歌集 「源 頼朝」

次回は、茨城県・「北茨城




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新・日本紀行(111)いわき 「勿来の関」

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 新・日本紀行(111)いわき 「勿来の関」 





勿来の関と源義家(八幡太郎義家)の像


いわき湯本から旧国道(6号)を経て、茨城県の県境でもある「勿来」(なこそ)へ来た。

国道から勿来海岸の反対側に小高い丘があり、その一角に古来の「勿来の関」がある。

東北の三古関白河の関、念珠関=鼠ヶ関)の一つであり、因みに、念珠が関(ねずがせき)は小生が出発して2日目に通過している。
又、この古関は源義経と弁慶ら主従一行が平泉に逃避する際に通過したことで知られる。 


勿来の関」は、往年の東北の都・多賀城へ通ずる、陸前浜海道の東北(蝦夷)への入り口として重要な関所であった。 
古記には大和朝廷期にヤマトタケルが蝦夷(えみし)の蛮族を征伐するのに通った、との記載もあり、既に4世紀ごろから主要街道として機能していたという。 

平安期の後期(1051年)においては東北・陸奥の国で一大動乱(前九年の役、後三年の役)が勃発する。
朝廷はこれを治めるべく源氏の棟梁「源義家」(八幡太郎義家)を陸奥国守として任地の陸奥国に赴かせる。 

この時、源義家は「勿来の関」で休泊の時、一句詠んでいる

 『吹く風を 勿来の関と 思へども
          道も背にちる 山桜かな



平安期の頃は東北(蝦夷)の戦乱期も加わって、この浜海道は大往来時代を迎えている。 
近くには岩城(いわき湯本)の「三箱の湯」もあって、高家、武人、都人、文人墨客(万葉人)等も多く行き来していた。

太洋を望む美景の丘・「勿来の関」は、奥州三古関 と呼ばれており、古くから万葉集の中でも詠まれ、その後も多くの歌人らによって詠まれたのがこの地である。

この周辺は古来より風光明媚な地にあって、松のこずえ越しに太平洋が一望できる。
今でも山桜の名勝としても有名で、県立自然公園に指定されている景勝地である。 
そして歌枕としても名高い「勿来の関」は、古来、“やんごとなき”人々より愛され、詠まれているのである。

つづく、 勿来の関



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2013年6月10日月曜日

新・日本紀行(111)いわき 「蛙の詩人・草野心平・Ⅱ」








 新・日本紀行(111)いわき 「蛙の詩人・草野心平・Ⅱ」  





この賢治のことをシンペイは、
現在の日本詩壇に天才がいるとしたなら、私はその名誉ある天才は宮沢賢治だと言いたい。世界の一流詩人に伍しても彼は断然異常な光を放っている。彼の存在は私に力を与える(中略)、私は今只、世間ではほとんど無名に近い一人のすばらしい詩人の存在を大声で叫びたいのである。(中略)今後、彼はどんな仕事をしていくか、恐るべき彼の未来を想うのは私にとって恐ろしい悦びである。 宮沢賢治の芸術は世界の第一級の芸術の一つである 』と断言している。


そして、若き天才・宮沢賢治の死後まもない昭和8年、「日本詩壇」に載ったシンペイが送った追悼文の末尾に、『 最後に一言ドナラしてもらえるならば、日本の原始から未来への一つの貫かれた詩史線上の一つに、類まれなる大光芒が「宮沢賢治」であることはもう断じて誰の異義をもはさめない、一つのガンとした現実である 』と書いている。   


宮沢賢治の偉大さと、又それを見抜いた草野心平の凄さがよく理解でき、草野心平はただ単なる「蛙の詩人」ではなく、彼こそ原始から未来への線上で大光芒を放つ詩人であり、世界に誇る哲学的詩人である。 

宮沢賢治と並ぶ、もう一人の「東北人らしい感性豊かな人の代表」なのである。



「草野心平」はただ単なる「蛙の詩人」ではない、偉大なる「蛙の詩人」なのである。

詩集「第百階級」の扉には、四行の題詞が書かれている。

「蛙はでつかい自然の讃嘆者である」
「蛙はどぶ臭いプロレタリヤトである」
「蛙は明朗性なアナルシストである」


そして、『 蛾を食ふ蛙はそのことのみによつて蛇に食はれる。人間は誰にも殺されないことによつて人間を殺す、この定義は悪魔だ。蛙をみて人間に不信任状を出したい僕は、それ故にのみ“かへる”を慈しみ、嫉妬の如き憎む 』とある。

かえる」は、自然の食物連鎖の中に組み込まれ、他の生物の食料になる可能性の中にいることが、他の生物を食料とすることの正当性がある。 


人間は自然の枠外に出て、しかも食物連鎖の頂点に立つ。 
もはや正当性はない。 
互いに殺しあうことによってのみ、その正当性を無理やり見出す。 
その幸、不幸を唱えるならば、悪夢を持たない「」のなんと幸福なこと・・!!と、「」を賛美しているのである。


次回、我等の先輩・草野心平





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新・日本紀行(111)いわき 「蛙の詩人・草野心平」


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 新・日本紀行(111)いわき 「蛙の詩人・草野心平」  




土の臭いのする「草野心平」氏




「いわき」を語る時、一人の偉大な人物がいた。 

しかも、小生の大先輩でもあるから是非紹介しておきたい。 
かえるの詩人・「草野心平」氏である。



春の歌』 詩 草野 心平

かえるは、冬のあいだは土のなかにいて、春になると地上に出てきます。 
そのはじめての日のうた。

ほっ まぶしいな
ほっ うれしいな
みずはつるつる
かぜはそよそよ
ケルルン クック
ああいいにおいだケルルン クック

ほっ いぬのふぐりがさいている
ほっ おおきなくもがうごいてくる
ケルルン クックケルルン クック




かえるのシンペイ」は・1987年の文化勲章を受章している。

1931年、東京・麻布十番で焼鳥屋台「いわき」を開店した、
1952年、文京区に居酒屋「火の車」を開店、
1957年には新宿にバー「学校」を開いている。

かえるのシンペイは、やはりかえる同様、水に縁があったようだ。 
それでも貧乏神はシンペイの元を去らず、未だ面識のなかった宮沢賢治あてに「コメ1ピョウタノム」と電報を打った。 
賢治に電報を打ったのは、彼が農場を持っているのを知っていたのである。

次回、シンペイの宮沢賢治評





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2013年6月3日月曜日

新・日本紀行(111)いわき 「いわき市・Ⅲ」










 新・日本紀行(111)いわき 「いわき市・Ⅲ」 




「内藤氏」について・・、

鳥居家が山形に転封後、磐城に来たのが「内藤氏」であった。
これにて磐城平藩は7万石となり、内藤家は永く江戸初期から125年間、六代の永きに亘って治めていた。 

六代目・内藤 政樹の代の磐城平藩では、天変による洪水や凶作、また悪政などにより藩財政の破綻が続き、そのため重税で苦しめられ、領民の不満が鬱積していた。

そして、ついに元文3年(1738年)に「元文百姓一揆」と呼ばれる大規模な百姓一揆が発生する。 
その責任をとって内藤政樹は日向(宮崎県) 延岡城7万石へ移封となり、磐城平を去ることになる。

去るに及んで・・、

『 日に向ふ(日向) 国に命を 延べおかば(延岡) 
           またみちのくの(磐城) 人に逢うべし
 』 

と詠んでいる。


江戸期最後の大名は「安藤氏」で入封後、藩校・「施政堂」を八幡小路に創設し藩士の子弟を教育を行うなど善政を施している。 
特に、歴代藩主の中で最も有名なのは、第五代藩主・「安藤信正」であった。 

幕末の桜田門外の変の後、老中として幕政を主導したが、文久2年(1862年)の「坂下門の変」(江戸城坂下門外にて、尊攘派の水戸浪士6名が老中安藤信正を襲撃した事件で、この結果、安藤は負傷し、老中を罷免された)で失脚した。 
現在は「松ヶ岡公園」に銅像が残る。

その後の戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟として西軍と決戦、鳥居氏築城から260余年を経て、いわき平城は落城している。


昭和41年、5市(平市、内郷市、常磐市、磐城市、勿来市)、4町(四ツ倉町、小川町、遠野町、久ノ浜町)、 5村(箕輪村、赤井村、三和村、好間村、大久村)が大同合併し、現在の「いわき市」が発足している。


次回は、「草野心平」



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新・日本紀行(111)いわき 「いわき市・Ⅱ」


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 新・日本紀行(111)いわき 「いわき市・Ⅱ」 



「いわき」の歴史概要について・・、

先にも記載したが・・、いわき地方は元は石城、石城郡と称し、小生幼少の頃は「福島県石城郡・・」であった。

石城地方は歴史的には古く、奈良時代までに遡るといわれる。 
当時は常陸国(ひたちのくに)属し石城郡(いわきのこおり)と称し、大化の改新後、陸奥国・略して「みちのく」に編入され、同時に「磐城」に改名している。(明治になって周辺合併で、再び「石城郡」となる) 


平安後期には、岩城氏が石城地方に勢力を得て、中心を「岩城の平」とした。 

岩城氏は常陸・平氏 (ひたちへいし:武士の発生の大元と言われる常陸の平将門の同系)の血を汲む名族であり、その子孫が奥州に土着したことが岩城氏の始まりと言われ、その祖先の名を戴いて『』としたらしい。  
岩城氏は、平安期の奥州藤原氏(清原氏)との関係も深く、石城一帯の領国支配に成功する。

戦国期は、小田原城攻めで豊臣秀吉に謁見し領土は安堵されるが、関ヶ原の戦いで石田三成に加担、徳川家康に降伏して磐城12万石は除封され、お家は断絶となる。
尚、当時の岩城貞隆は、後に家康の重心(土井氏、本田氏)の助言や大阪夏の陣の功により、信濃・川中島藩1万石の創設を許され大名に復帰している。

又、その息子である岩城吉隆は出羽秋田・亀田藩に封され藩主となっている。(亀田藩の創立;現在の秋田・岩城)
更に、子供のなかった伯父・佐竹義宣(常陸の国より転封・初代秋田藩主)の養子に迎えられて秋田藩52万石の第二代藩主「佐竹義隆」となっている。


江戸期においては鳥居氏、内藤氏、井上氏、安藤氏の歴代藩主が其々入封している。

鳥居氏は、あの有名な関ヶ原の戦いの前哨戦といわれる「伏見城攻防」での功により、直接家康より賜っていて、この時期に「磐城平城」が築城されている。 

磐城平城は、「いわき駅」裏手の城山地区にあった城で、今は住宅地となり昔の面影は城址が僅かに残るのみである。 
当時の姿は「磐城名物三階櫓、竜のお堀に浮いて立つ」と詠われ、この城の主目的は仙台藩・伊達氏の押さえにあったとされる。 
平の街並も純然たる城下町で、今も鍛冶町、紺屋町、材木町といった往時の職人街と思しき懐かしい地名が今も各所に残っている。


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新・日本紀行(111)いわき 「いわき市」


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 新・日本紀行(111)いわき 「いわき市」 




いわき市」は当時は、ひらがなの地域名として珍しがられた。 

昨今、多くの市町村が合併する際、さまざまな思惑から「ひらがな名」とした例が多いが、本市はその魁(さきがけ)といえる。 
そして、2003年4月までは日本一の面積を誇っていた。 

昭和40年の初め磐城地方の中心都市の平市(平・四倉地区))、炭鉱と歴史の内郷市(内郷・白水地区)、温泉と炭鉱の常磐市(湯本・湯長谷地区))、港湾都市の磐城市(小名浜・泉地区)、海浜と歴史の勿来市(勿来・植田地区)、と周辺五市が大合併して現在の「いわき市」が誕生している。 そして、市域面積も日本一になっていた。

しかし、2003年4月、静岡市と清水市の合併で、最大面積を持つ市の座を明け渡すこととなり、現在は、岐阜県高山市が日本一面積の大きな市となっている。
ちなみに本年(2006年)では、地域面積は第13位になっているようだが、最近の平成の大合併で、今後多いに変動する可能性はある。


2006年4月現在の市町村面積(km2)

1  岐阜県 高山市  2,177.67
2  静岡県 浜松市  1,511.17
3  栃木県 日光市  1,449.87
4  北海道 北見市  1,427.56
5 北海道足寄郡 足寄町 1,408.09
・・・
13  福島県 いわき市  1,231.34


「いわき市」は、福島県浜通りの南東に位置し、東は太平洋に面し、西は阿武隈高地に面し7割が山間部で、残る3割に居住区が分散する。 
東北地方としては珍しく、涼夏暖冬地域で、比較的寒暖の差も少なく、山間部を除いてめったに雪は降らない。 
又、地盤が硬いために大きな地震が起き難いと云われるようである。

この、いわきの中心、浜通り地区の最大都市が「平地区」である。 
行政、商勢圏とも今、再開発の発展途上にあるようで、駅前辺りの景観がガラリと変わるらしい。 
駅名は、近年の平成6年(1994年)、常磐線・平駅から市民の要望により「いわき駅」に改名している。

常磐線・平駅は、小生が学生の頃の昭和30年代前半頃までは、まだ、SL・蒸気機関車であった。 黒煙を吐きながら、力強く前進する蒸気機関車の列車が懐かしい。

学生当時、平~湯本間を通学(県立磐城高校)していた頃はまだS・Lで、発車してもユックリ発進したもんで、時折、改札を通らないで駅舎の端から線路沿いに追いかけて行ってデッキに飛び乗ったものであった。
3学年頃になって、気動車(ジーゼルカー)になり、発車速度も速く、自動ドアーになったため、その楽しみも出来なくなったが、後の昭和30年後半には平駅まで電化された。 
その時も、電車の始動の速さに驚いたものであった。
因みに、当時のSLで平⇒上野は7時間前後かかっていたが、現在では2時間少々のようである。


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