「世界は一冊の本だ。旅をしないものはその本を一頁しか読めないだろう。」
アウグスティヌス(古代キリスト教世界で最大の教父、神学者と言われる)
平成日本紀行(211) 金沢 「兼六園」 .
兼六園(入場口付近)と徽軫灯篭と黄門石橋
兼六園の灯篭と石橋
見れば、右手に広大な「小松空港」が横たわっていた。
走り出して間もなく梯川の橋を渡る。
ここから先の北陸道はまるで海上の上を走るが如く一気に走り抜き、金沢西I・Cで下りて金沢市内へ向かった。
県道25号、通称、西インター大通りから市内中心部、北陸本線を超えて名所「兼六園」へ達した。
緑豊かな、やや勾配の道の上に入園口がある。
小生、何度か訪れているので入園はせずここまでで、記念の写真に収めるのみとした。
兼六園は、春夏秋冬それぞれに趣が深く、季節ごとに様々な表情を見せるが、特に雪に備えて行われる「雪吊」は冬の風物詩として情緒を添える。
又、霞ヶ池の湖畔には、琴に見立てて徽軫灯籠(ことじとうろう)というのが据えられていて、園内でも有名スポットであり池に映える姿は優雅で美しい。
徽軫(ことじ・琴柱)とは、形が楽器の琴の糸を支え、音を調整する琴柱に似ているため、その名が付いたと言われている。
又、この灯籠の架台は、虹のような形の橋に支えられているため虹橋ともいい、琴橋という別名もある。
徽軫灯籠は、水面を照らすための雪見灯籠が芸美に変化したものであり、兼六園を代表する景観となっている。
兼六園は、江戸時代を代表する池泉回遊式庭園としてその特徴をよく残されている。
岡山県の後楽園、水戸の偕楽園とともに日本三代名園の一つに数えられていることは周知である。
兼六とは、宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)・人力(じんりき)・蒼古(そうこ)・水泉(すいせん)・眺望(ちょうぼう)の六勝を兼ね備えた庭ということで、その名が付けられたという。
園内には、池を渡る石橋や築山を巡って曲水や池、滝などが配され、随所に縮景という作庭手法が用いられている。
例えば霞ヶ池は琵琶湖を模じったともいい、霞ヶ池と瓢池の間にある「黄門橋」(黄門と言えば水戸黄門が有名であるが、加賀三代目・前田利常も加賀の黄門様と言われた)と「獅子厳」は謡曲・「石橋」を表現しているという。
謡曲「石橋」は、能の中で最も勇壮にして豪華な演目であるという・・!、
文殊菩薩(知恵を授ける仏尊)の乗り物の霊獣・獅子を表すことにより、(文殊)浄土を象徴しているとされる。
『 平安の歌人・大江 定基(おおえさだもと) は出家して寂昭(じゃくしょう)法師と号し、唐・天竺へと渡り、清涼山へと至った。 目も眩むような深い谷には幅の細い石の橋が懸かり、渡ろうとしていると童子が現れ、「この橋は人間の渡れるものではない・・、」と諭し、「向側は文殊菩薩の浄土である。ここで待てば、やがて奇瑞(目出度いことの前兆として現れる不思議な現象)が現れるであろう。」と告げて消え失せる。 しばらくすると橋の上に獅子が現れ、国土安穏を祈念しながら、咲き乱れた牡丹の間を舞い戯れる。』
牡丹は百花の女王、獅子は百獣の王、この最強にして最上の組み合わせは、古代、高貴な身分の人が御印として使ったものであるとされた。
一般に、歌舞伎における「獅子物」と「道成寺物」の両舞踊は、相並んでの女形舞踊の二大ジャンルといわれ、獅子物舞踊はその発想を謡曲「石橋」に発しているという。
次回、「金沢城」
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