「人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである」 <ゲーテ>
平成日本紀行(210) 小松 「安宅の関」 .
写真:安宅関の銅像
弁慶(中央)・富樫(右)・義経(左)の各像、石碑に刻まれた「智・仁・勇」の文字で、智は弁慶の知恵、仁は富樫の情け、勇は義経の勇気を表現している言葉
北潟湖の南端は既に加賀・金沢であった。
そして、北陸道の加賀I・Cがすぐ近くにあり、これに乗って金沢まで行くことにした。
途中、「安宅PA」で休憩、ここがまた珍しくトイレ以外何にも無い、売店も無ければ自販機も、ベンチも無い、無い無いずくしでこれはこれでよかったが。
ただ、意外なことに、トイレがとても管理の行き届いて綺麗なので、「おー!」という感じであった。
何も無い安宅のPAであるが、この地安宅は「安宅の関」で有名なところである。
石川県小松市安宅町、日本海に注ぐ梯川(かけはしがわ)の左岸の丘、ここは美しい松原で「安宅関跡」の碑が建ち、そのほか安宅・住吉神社、神社の参道に弁慶逆植松、弁慶・富樫問答の像などがあるという。
弁慶(中央)・富樫(右)の銅像は、七代目松本幸四郎・二代目市川左団次をモデルとし、左端は義経像である。
石碑に刻まれた智・仁・勇の文字で、智は弁慶の知恵、仁は富樫の情け、勇は義経の勇気であり、わが国古来の国民性の美しさを端的に表現している言葉ともいう。
日本海の海の色は、太平洋と違って濃い紺青色で、松の緑と対照的に美しい。
この「安宅の関」(あたかのせき)は、古来、梯川の上流にある北陸路の通行を監視する、重要な役目を持っていたという。
その関は、加賀安宅に加賀の守護・富樫氏が設けたと言われる関所であり、歌舞伎の「勧進帳」で有名になった箇所でもある。
『 源平・壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした源義経は生来の猜疑心から、これを退けようとする兄頼朝に追われ、奥州・平泉の藤原氏の元へ落ちのびようとしていた。 頼朝はこれを捕らえようと各地に関所を設け、当、安宅の関守は冨樫左右衛門泰家が任に当たっていた。 そして文治3年(1187年)3月頃、山伏姿に変装した義経弁慶以下主従が安宅の関にさしかかる。 一行の山伏姿を関守・冨樫に疑われると、弁慶は、東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧である称し、何もか書かれていない勧進帳(寄付帳)を読み上げ、難を逃れようとした。 しかし、荷人夫姿の義経に疑いをかけられると、弁慶はすかさず金剛杖を持って主君・義経を打ち据える。 冨樫は弁慶の忠誠心に心をうたれ、義経一行だと気付きながらも関の通行を許したのであった。 』
ここまでは、後年、歌舞伎や物語になったのであるが、以前は義経の西国落ちの道程を扱った「船弁慶」という猿楽(能楽の原型)や能になって演じられたのが始めであると言われる。
又、能以外にも幸若(幸若舞のこと、室町後期の芸能の一つ、広義の曲舞の一種で、武士の世界を素材とした物語を謡うのを特色とする)の富樫軍記物や「義経記」などの諸要素を取り入れて成立したともいう。
安宅(あたか)能楽は、観世小次郎信光(室町期の能作者)の作とされ、曲名の四番目の出し物である。 義経追補のために設けられた新関を富樫(ワキ)が守護している。 弁慶(シテ)は、義経(子方)を荷人夫姿につくりあげ山伏の一行として新関にかかると、富樫はこれを怪しみとどめる。 一行は覚悟を決め、山伏の勤行を始めるが、勧進帳の聴聞を求められた弁慶は、これを高らかに読み上げる。 疑いも晴れ、関を通ろうとするとき、変装した義経を見出し供の郎党(ツレ)は詮議するが、弁慶の知略で事なきをえる。 安堵する主従の元へ、先度の非礼をわびる富樫から御酒が届けられ、弁慶は一差し舞って喜ぶ(男舞)。 以上のように劇的構成をもつ現代物で、後に歌舞伎に入って「勧進帳」となった。
『 それ、つらうらおもんみれ~ば 大恩教主の秋の月は ねはんの雲に隠れ 生死長夜の永き夢 驚かすべき人もなし ここに近頃の帝おわします 恩名を聖武天皇と申し上げ奉る 最愛の夫人にわかれ 追慕やみがたく 涕泣眼にあらく 涙玉を貫く 思いを善路にひるがえし 上求菩提のため盧遮那仏を建立したもう しかるに去んじ 治承の頃焼亡しおわんぬ かほどの霊場絶えんなきことをなげき・・』
勧進帳を諳(そら)んじてた弁慶は、怪力無頼の強僧でありながら、学識、知恵のある智僧でもあった。
次回は、「金沢」
『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
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