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日本周遊紀行(132)厚木 「厚木と毛利氏」
大江氏(毛利氏)と厚木について・・、
厚木市及び周辺の状況、地史を色々と記したが、更に述べることにしよう。
厚木市街から西方に毛利台地区、南毛利といった地名がある。
又、旧来の住人に「毛利」と名の付く人々も多いという。
厚木は、初め「森の庄」と称していた。
「森の庄」とは、当時の愛甲郡内の大半が山林であったことから起こった地域名とされ、愛甲郡一円を含めた地区であった。
相模国・愛甲郡の内、庄園(荘園)として開かれた地を、源氏の一族である源義家(八幡太郎)の六男・義隆(森冠者、陸奥六朗、毛利六郎ともいわれる)に当てられ、これを知行としたのが、すなわち「森の庄」であったといわれる。
義隆は以降「森」と名乗り、森家の最も古い記述は鎌倉時代の吾妻鏡という書物に登場している。
森義隆は、平安末期におきた平治の乱(源氏と平氏の合戦で平氏が勝利)で戦死しているが、森氏の子孫は存続していて400年後の戦国時代、織田信長の武将として取り立てられ、寵臣・森三左衛門可成の子・森蘭丸がいる。
さて、中世・平安末期(保元、平治の乱以降)、関東における源氏の勢力は遂に地におちて、平家の官人の支配する領となっている。
この頃に、森の庄は「毛利の庄」と改称されていたらしいが、時期は定かでない。
時代がチョット下って源頼朝の石橋山の旗上げに際し、平家軍のうちに毛利太郎景行がいた。景行は平家の官人であったが、後に頼朝に味方して鎌倉幕府の御家人となっている。
その太郎景行の所領が毛利の庄にあったが、後には頼朝の重臣・「大江広元」の所領となっている。
その大江広元であるが・・、
広元は、京の都で太政官(国政を総括する最高機関)の書記を務めたという。
このように中央政庁の事務官である経緯から知恵者として知られ、その広元には兄の中原親能(ちかよし:公家の中原氏出身の文官御家人)がいた。
親能は源頼朝とも親しく、その縁から1184年に大江広元は鎌倉に召しだされて頼朝の側近重臣となり、政所の前身である「公文所別当」(別当は長官、今の政務、事務長官)として辣腕を振るうことになる。
頼朝が鎌倉幕府を開く直前、守護・地頭の制度を設置したのも、全ては広元の献策によるものであると言われている。
この鎌倉幕府の名臣・大江広元の四男・大江季光が、相模国愛甲郡毛利庄(もりのしょう、現在の神奈川県厚木市周辺)を父・広元から受け継ぎ所領とし、地域の名称を名乗って「毛利季光」(もうりすえみつ)としている。
「毛利」の元来の読みは「森・もり」だが、後に「もうり」と読まれるようになったのは前述の通りである。
後の鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて季光は、安芸国高田郡吉田(現在の広島県安芸高田市)へ移った後に、国人領主として成長する。
戦国時代には国人領主から戦国大名への脱皮を遂げ、その後、名将・「毛利元就」を生み、ついには中国地方最大の勢力である「毛利家」となる。
毛利元就について・・、
元就(もとなり)は戦国時代最高の名将の一人と言われ、用意周到な計略で自軍を勝利へ導く稀代の策略家として名高い。
ある日、元就は三人の息子を枕元に呼び寄せ、一本の矢を折るよう命じた。
息子たちが難なくこれを折ると、次は三本の矢束を折るよう命じたが、息子たちは誰も折ることができなかったという。
元就は一本では脆い矢も三本の束になれば頑丈になるということを示し、三兄弟の結束を強く訴えかけた・・、これが有名な「三本の矢」のエピソードである。
だが、毛利家は嫡男の毛利隆元が早世していたため、嫡孫の毛利輝元(隆元の嫡男)が後を継いでいる。
1600年の関ヶ原の戦いでは、輝元が西軍の総大将に祭り上げられ、敗戦の結果、周防国・長門国の2ヶ国に減封される。
それでも毛利家は、江戸時代を通じて安泰であった。
この後、江戸時代末期の長州藩は吉田松陰をはじめ、数々の優秀な志士を輩出し、明治維新を成就させる原動力となったことは周知である。
因みに、安芸の国・広島の「広」は、大江広元の「広」を採って命名されたともいわれる。
尚、長州・毛利家については「西日本編」の山口県・萩市の項目で詳細記載します。
次回は、「厚木の由緒、由来」
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