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日本周遊紀行;温泉と観光(34)松島 「瑞巌寺の高僧」
写真:瑞巌寺の法身窟
瑞巌寺には「真壁平四郎」という高僧がいた・・、
「法身窟」(ほっしんくつ)とは、北条時頼が諸国行脚中この場所にて法身和尚(真壁平四郎)と出会った岩屋である。
瑞巌寺には歴代高僧の内、四大高僧がいたといわれ、鎌倉期の「法身禅師」という禅僧もその一人であるという。
俗名を「真壁の平四郎」といい、今でも語り人となって登場している。
講談 の「伊達政宗より真壁平四郎のくだり」や浪曲「真壁平四郎伝」 でもお馴染みである。
『 平四郎が政宗の中間(ちゅうげん:中世の公家・武家・寺院などに仕える従者で、侍と小者との中間に位する。近世には武家の奉公人で、雑役に従事、足軽と小者との中間に位する)として働きながらも、ちょっとした誤解から政宗の怒りを買い、その無念を晴らすために長い苦労の末に立派なお坊さんになる・・、 』というお話である。
出身地は、常陸国真壁郡(茨城県真壁郡細野町)でその名が付いた。
若年の頃、城主・伊達正宗の下僕を勤めていたが或る宴のあった冬の日、履物を懐で温めて城主を待っていたところ、履物を尻に敷いていたと誤解され、額を割くほどに激しく撲られた。
これをきっかけに平四郎は政宗のもとを去り、出家して後に高野山や中国・宋に渡って修行を積んだ。
帰国後、京都・妙心寺の住主となり、更に諸国遍歴の旅中、松島の延福寺(瑞巌寺)に滞在し、岩窟にて修行していたといわれる。
その時、鎌倉執権・北条時頼が東国遊行中、延福寺(瑞巌寺)に立ち寄り、時頼が岩窟に入って休息していた時、岩窟には先住の修行僧がいて二人は意気投合し、法談問答などで時を重ねたという・・。
この岩窟での出会いから10数年後、縁あった「執権・北条時頼」に援助を戴き、法身禅師による臨済宗・円福寺を再建したという。
あの時、法身禅師が禅修業した岩窟を「法身窟」といい、今でも参道脇に現存している。
その後の円福寺(瑞巌寺)は隆盛を極めたという。
次回は松島・「湯の原温泉と斉太郎節」
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