google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社の由緒」

2018年1月7日日曜日

平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社の由緒」


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「旅から戻ってくると、故郷の煙さえも甘く気持ちのよいものである。」
(グリボエードフ;帝政ロシアの外交官・作家・作曲家)



 

平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社の由緒」 .






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気多大社神宮寺の正覚寺




気多大社が文献に初めて見えるのは「万葉集」である。 
天平20年(748年)、万葉歌人でお馴染みの越中守・大伴家持(おおとものやかもち)が出挙のため能登を巡行したとき、まず本社に参詣して、


『 之乎路から 直超え来れば 羽咋の海 
          朝凪ぎしたり 船楫もがも
 』

(はるばると羽咋の地に赴けば、羽咋の千里の海は朝凪ぎで素晴らしい景色である。ここに船や楫(かじ)が有れば、漕ぎ出してみたいものよのう・・)


と早速詠んでいる。

本社がいかに重んじられ、後に能登の一の宮となる神威を当時すでに有していたことがわかる。 
北陸の一角にありながら朝廷の尊崇が厚く、このような国家の厚遇は、北越、東北経営、あるいは新羅や渤海を中心とした対外関係とも無縁ではないといわれる。 

能登半島の要衝に鎮座する気多大社の神威は中央国家にまで及んでいたのである。
  


普通、を「」と発音すべきか「け」と発音すべきかで、両方の読み方があろうが、この辺り、北陸地方では「」と読むのが慣わしらしい、敦賀に気比(けひ)神宮、こちらは気多(けた)大社である。


「気」という字は、気になる字である・・!。 
大げさに言えば全ての生き物には気が生じていて、これが生命の基本になっていることは確かである。 
しかし、それよりも尚、自然の営み、自然現象そのものが、気の力で成り立ち、地球そのものが気なのである。 

戻して、人間同士、気が気を呼ぶ、気多で、気が多いのは困るが、合縁気縁(奇縁・・?)女性の方は気麗になって気縁を結ぶ。 


気多大社は、出雲大社と同一神であり、縁結びの神なのである。 
気多大社は女性に関する催し物もあり、昨今では、うら若き女性に大変人気があるとか。 

「超」と付くほどの由緒ある神社で、真剣に願を賭ければ気が多く受けられて、必ずや適う事請け合いである。


本殿西隣に「正覚院」(しょうがくいん)という寺院がある。
越前・平泉寺を開基した「泰澄大師」が伊勢内外宮を参拝しての帰り、夢枕の歌として


『 恋しくば 尋ねても見よ 能く登る 
         一つの宮の 奥の社へ
 』
 
のお告げを受け、かの地に神宮寺を創建したと言い伝えられる。 

その一院が正覚院である。
院は元々、千年以上にわたり気多大社神宮寺で別当寺(神宮寺)であった。 
明治初頭の神仏分離により、主要な寺院の長福院・地蔵院・薬師院などが廃退したが、ただ一つ正覚院のみが残存し、現在に至っているという。 

元神宮寺・正覚院の配置を見ると、建物はは気多大社の本殿に向かって建っているといわれる。 
本院も、他の神宮寺に見られるように、神社を支配下に置き、仏事で社宮の祭り事を行われたことを伺わせる。
  

次回、「能登金剛

01. 15.

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