2018年1月6日土曜日

平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社」


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「旅人よ、道はない。 歩くことで道は出来る。」  <アントニオ・マチャド>



  

平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社」   .




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https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7c/Keta-taisha_keidai.JPG/800px-Keta-taisha_keidai.JPG
気多大社の大鳥居と本殿




千里浜を左に見ながら、柳田のインターで高速より出る。
ほぼ同時に「気多大社」の大鳥居が目に入った。 

4本の支柱に支えられ、風雪に耐えているかの如く、やや色褪せて木製の大鳥居が天を刺している。 
鳥居をくぐり石畳の 広い境内を100mも行くと、神門の奥に開放感のある本殿に達する。 

参拝礼拝・・!! 。


ご神域は、2000年以上の歴史を持つといわれるが、社殿群はともかく境内一円の自然の成合(なりあい)は太古の史を重ねていることに納得させられる。 

特に、本殿裏に広がる鬱蒼とした、ほの暗い社叢林(しゃそうりん・神社の森)は古来より「いらずの森」として、その名の如く人の出入りが厳重に禁じられてきたという。 

森は北陸地方の代表的な照葉樹林で、凡そ、3ha(ヘクタール)の自然林が茂っている。 
樹齢三百年から五百年で、古くから神域として信仰の対象となり、住民の出入りが禁じられてきたという。 


ところで先般、森の実勢調査をしたところ、強い季節風で倒木の箇所も多く将来が心配されることが判り、県内をはじめ山形、新潟、鳥取などから国天然記念物に指定されている同種の神木の種を集め植林したという。 
幼木が生育するまで最低二百年はかかるという。 

克って昭和天皇が昭和58年5月、全国植樹祭のみぎり当大社の 「入らずの森」を視察され、お詠みになった御歌。


『 斧入らぬ みやしろの森 めづらかに 
           からたちばなの 生ふるを見たり
 』 

と歌碑にある。


気多神社(きたたいしゃ)と読みそうであるが、正しくは気多大社(けたたいしゃ)と呼び習わされてきたという。  
能登一宮として知られ、国幣大社(全国六ヶ所)であり、日本四神宮(気比神宮・気多大社・香取神宮・鹿島神宮)の一つに数えられる。 
祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと:大国主命と同一)で、能登開発の大神と仰がれている。 


出雲の国を中心に勢力を各地に伸ばしていた「大国主命」は、能登半島に上陸し少名彦命と力を合わせながら、地方を平定開拓するともに、美姫・奴奈河姫(ヌナカワヒメ:大国主の妻・子の建御名方命は後に諏訪の大神となる)を求めて越の国に渡ることになる。 
大国主は能登の小木港(珠洲郡内浦町)に漂着し、七尾市所口に鎮座し、(気多本宮)これより能登を開発しながら、鹿西町から羽咋の港に鎮座した(気多大社)といわれる。 この間の邑知平野(おうちへいや)の開拓を進め、後に伏木港(越中・高岡)より船出して越の国、居多ヶ浜(上越市)に上陸したという。
邑知平野は、気多神社の辺りから羽咋川、七尾線に沿って七尾湾に至る細長い平野で、能登半島一の穀倉地帯でもある。


次回、「気多大社祭礼

01. 15.

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