2017年5月10日水曜日

平成日本紀行;世界遺産・石見銀山 「はじめに」





 平成日本紀行;世界遺産・石見銀山 「はじめに」   、




写真:世界遺産の「龍源寺間歩」、公開中の坑内



世界遺産・石見銀山遺跡(1) 「はじめに」

2007年(平成19年)6月末、「石見銀山史跡」は世界遺産に正式に登録された。
正式名称は『石見銀山遺跡とその文化的景観』としている。

年当初、一旦は綿密な調査が必要などとして「登録延期」(事実上の凍結、落選)の勧告を受けたが、6月末のニュージーランド(クライストチャーチ)で開催されている第31回世界遺産委員会において、更に審議の結果、階級特進の「世界文化遺産」(産業遺産)として正式に登録のはこびとなった。

石見銀山は16世紀以降のもので『産業遺産』としては世界の遺産の中で最も古く、勿論日本では始めての登録となる。 
世界遺産についてのエリアは一般にコアゾーンといわれる核心(中心)部分とそれらを取り巻くバッファゾーンの緩衝地帯に別れている。



「石見銀山遺跡」の核心部分

一つ目に、「銀山柵内」(江戸時代初め柵で厳重に囲まれていたことからこの名がある)といわれる主に大森地区で、16世紀前半から本格的に開発され20世紀まで操業された銀鉱山遺跡の本体、銀の生産活動における生活、流通、信仰、支配に関わる遺構、遺物などなど・・名称として代官所跡、宮ノ前地区銀精錬工房跡、文化遺産的建造物、羅漢寺五百羅漢、それに石見銀山を防御するための山城遺構として石見城跡、矢筈城跡、矢滝城跡などがある。

二つ目に、石見銀山街道といわれる二つの港湾に向けてつながる、銀・銀鉱石と諸物資の輸送路で「温泉津・沖泊道」や「鞆ヶ浦道」で、何れも16世紀前半から銀、銀鉱石を博多への積み出しや銀山への物資補給、軍事基地として機能した街道である。

三つ目に、それらの港と港町・・、銀山で産出した銀・銀鉱石の積み出しに利用された二つの港湾とこれに隣接して発達した港町および港湾集落で、「鞆ヶ浦」や「沖泊」、両港は船を留める「鼻ぐり岩」などが往時を偲ばせる。
それに温泉のある港町・「温泉津」(ゆのつ)は、江戸時代以来の町割りをよく残し、町屋、廻船問屋、温泉旅館、社寺等の伝統的建造物である。

平成16年、温泉町としては日本で唯一の「国選定」(重要伝統的建造物群保存地区)を受けている。


それに、これら中心部分を取り巻くバッファゾーンといわれる緩衝地帯で、約3600haの周辺地域、山域である。


因みに、現在まで日本にあるユネスコ世界遺産は、知床、白神山地、屋久島の自然遺産が3物件。
日光の社寺、白川郷・五箇山の合掌造り集落、古都京都の文化財、古都奈良の文化財、法隆寺地域の仏教建築物、紀伊山地の霊場と参詣道、姫路城、原爆ドーム、厳島神社、琉球王国の城(沖縄では城をグスクという)及び関連遺産群の10物件の合計13物件である。


ユネスコについては次のように記されている。
ユネスコ」とは国際連合の一専門機関で、国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん)正式には、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationといい、頭文字をとって「UNESCO」、通称ユネスコと称している。


次回は、「石見地方


01. 15.

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