google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 9月 2015

2015年9月30日水曜日

四国地方・高知県;土佐の南国市 「土佐の国司・紀貫之」









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 四国地方・高知県;土佐の南国市 「土佐の国司・紀貫之」  、





「人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に にほひける」(百人一首35より)




紀貫之は「土佐日記」に、この地で亡くした娘を思い、

『 都へと 思ふをものの 悲しきは 
帰らぬ人の あればなりけり
 』
と詠んでいる、


ここは四国・南国市の外れ、都会の田舎である。

昨夜、「ながおか温泉」に立ち寄ったが、「ながおか」という名称は、この周辺の小学校の建物などの一部に残るが、地域名、行政名としては既に無い。 

昔は長岡郡長岡村と称して、立派に存在していたが、町村の合併によって消失したらしい。 尤も、この地区の遥か北方、本山町、大豊町は長岡郡として、僅かにその名残がある。


近郊北方に「比江」、「国分」といった地名がある。 

この地区は古代、土佐の都があった所だという。奈良時代、この地に国分寺が建立され、前後して土佐国府が置かれ、土佐の中心地となった。 

これに伴って、京と国府を結ぶ官道が、四国山地を横断する道や海路を辿る道とが開かれた。 


だが、都の人々にとって土佐は、あまりに遠く「遠流(おんる)の国」とされた。 
しかし、その都からの流人達が都の文化、芸術や学問をこの地に伝え、この国の歴史を造ったともいわれる。

平安時代には、紀貫之が「土佐日記」を著したことは有名である。 
しかし、この地に土佐守(土佐国守)として、赴任していたことは、あまり知られていない。 

土佐日記は、紀貫之が国司の任期を終えて土佐の国から京まで帰京する途中に起きた出来事や思いを書いた日記である。


次回、土佐日記

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2015年9月29日火曜日

四国地方高知県; 土佐南国市 「温泉と蛙の合唱」







 四国地方高知県; 土佐南国市 「温泉と蛙の合唱」  、















安芸の市街を抜け、阪神タイガースのキャンプで知られる「安芸ドーム」をを右にみながら、夕刻迫った土佐街道を行く。 「土佐くろしお鉄道」と並行し、芸西村、夜須町等を後にしながら「物部川」を渡って南国市に来た。

ところで本日は、未だ宿泊の場所を決めていない、どうすべきか思案しながら、先ず近くの温泉地の有無を確かめた。スタンドのオニイサンに聞いたところ「ながしま温泉」が近くに在るとのこと。 

R55より北方、後免駅の近くらしい、電話番号よりカーナビを頼って目的地へ向かった。
市街地より離れ、田園地帯も混在する静かな住宅地の離れたところに、一際大きな建物が「ながおか温泉」であった。 

新装したばかりの和式のゆったりした館内であり、浴室、湯船、露天風呂とも石を基調とした造りとなっている。湯に浸かり、道中の緊張した体を解す、このリラックスした気分は変えがたい。


泉質がナトリウム・塩化物温泉の天然温泉というところも良い。

休憩は大広間で食事を摂りながら過ごす、今日一日の状況をメモに取りながら。
休泊は、田園路上の車泊としたが、側溝の水路の水音が些か気になったので、少々移動し、今度は蛙の声を子守唄に眠りに就いた。



蛙の合唱で気がついたことがある。

歌声は波のように響き渡り、その波が次第に小さくなって一瞬止むのである。 
始まりは先ず殿様蛙が第一声を発すると、次に重臣諸侯が歌いだす、その後は一族郎党が一斉に大合唱で歌いだすのであり、それの繰り返しである。 

端的な例かもしれないが、ベートーベンの第九交響曲(合唱)の第四楽章の合唱シーンで、先ずリードシンガーの男性ソロ、女性ソロが歌いだし、次に選抜された男女諸氏が歌いだす、その後は男女混声大合唱団が一斉に歌いだす、これを何回か繰り返す。



昨夜はこんな事を感じ入り、想像しながら眠りについたのであった。
子守唄で寝に就いたが、今は全く昨夜の合唱が嘘のように、朝のシジマ(静寂)の中にいる。
時に、早朝5時少々過ぎた頃、先ずは今日も好天のようだ。
周囲は青々とした田園が広がっている、民家は周囲にポツポツとあるだけで、いわゆる日本の原風景を感じられる。

蛙の合唱が、ベートーベンの第九交響曲「合唱」に譬えられるなら、こちらの風景はさしずめ、ベートーベンの第六交響曲「田園」であろうか。 

しかも、南国市は、土佐の稲作の発祥の地といわれている。 
この地方は日本でも温暖、多雨であり、その恵まれた自然と環境を生かし、現在でも米の二期作が盛んなところでもある。


次回、土佐の国分






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2015年9月28日月曜日

四国地方・高知県;土佐の安芸 「三菱の祖・岩崎弥太郎」






 四国地方・高知県;土佐の安芸 「三菱の祖・岩崎弥太郎」  、













安芸市井ノ口にある岩崎弥太郎の像と生家 (Wik)



 


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江戸末期の安芸の著名人に、NHK大河『龍馬伝』でお馴染みだった「岩崎弥太郎」がいる。 三菱財閥の創始者である。

身分制度(後述)の激しい土佐国の「地下浪人」の子として生まれている。

地下浪人とは、無禄の藩士であり、収入を得るために自ら商売をしたり、力仕事をしなくてはならなかった。即ち、正規の土佐藩士たちから蔑まれ、常にいじめられる存在だった。家の事情を知る弥太郎は、幼少の時分より勉学に励み、幕末時に坂本龍馬や後藤象二郎の知遇を得る。


『 後日 英名ヲ天下ニ轟カサザレバ 
再ビ帰リテ此ノ山二登ラジ
 』



山とは弥太郎生家(保存邸宅)の近く、妙見山の星神社のことである。

1873年に現在の大阪市の土佐藩蔵屋敷(土佐稲荷神社付近)に「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」を設立、海運業を経営する。

この時に、三菱の商標(三菱マーク)が定められたそうで、見慣れたこの三菱マークは、岩崎家の紋である三蓋菱(三層にかさなった菱形を側面から見た形)と土佐藩主山内家の三葉柏(柏の葉三枚を図案化したもの)の紋を組み合わせたものだと云われている。 

台湾出兵・西南戦争の頃は軍事物資の運搬を独占し、莫大な利益を上げて三菱は急成長する。 国内船舶の7割を押さえ海運業を独占した時期もありその後、日本郵船となり三菱財閥の源流を創る。



岩崎弥太郎は元々、海援隊員(坂本龍馬が中心となり結成した貿易結社)でもあって海運業に力を入れ、「東洋の海上王」と呼ばれるまでに発展する。

海援隊」を創った坂本龍馬は、幕末の政局急変の時期、主役には躍り出ず脇役で通した。彼は政治家より、海外貿易などを通した経済人が望みだっらしく、長崎時代は、かのトーマス・グラバー氏(英国商人・グラバー商会を設立)に強く影響を受けていたという。


グラバーは1881年(明治14年)、官営事業払い下げで三菱の岩崎弥太郎に高島炭鉱(グラバー経営)を譲るが、三菱財閥の相談役としても活躍し、岩崎に勧めて後の麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)の基礎をも築いている。 

岩崎弥太郎はグラバーの思いに従い、坂本龍馬の意思をも継いだのかもしれない、明治18年(1885年)、52歳の若さで亡くなっている。なお弥太郎の娘婿から加藤高明及び幣原喜重郎の2人の内閣総理大臣を輩出している。




安芸の市街を抜け、阪神タイガースのキャンプで知られる「安芸ドーム」をを右にみながら、夕刻迫った土佐街道を行く。 「土佐くろしお鉄道」と並行し、芸西村、夜須町等を後にしながら「物部川」を渡って南国市に来た。

ところで本日は、未だ宿泊の場所を決めていない、どうすべきか思案しながら、先ず近くの温泉地の有無を確かめた。スタンドのオニイサンに聞いたところ「ながしま温泉」が近くに在るとのこと。 

R55より北方、後免駅の近くらしい、電話番号よりカーナビを頼って目的地へ向かった。
市街地より離れ、田園地帯も混在する静かな住宅地の離れたところに、一際大きな建物が「ながしま温泉」であった。 

新装したばかりの和式のゆったりした館内であり、浴室、湯船、露天風呂とも石を基調とした造りとなっている。湯に浸かり、道中の緊張した体を解す、このリラックスした気分は変えがたい。


泉質がナトリウム・塩化物温泉の天然温泉というところも良い。

休憩は畳みの大広間で食事を摂りながら過ごす、今日一日の状況をメモに取りながら。
休泊は、田園路上の車泊としたが、側溝の水路の水音が些か気になったので、少々移動し、今度は蛙の声を子守唄に眠りに就いた。


次回は、土佐の国司・「紀貫之

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2015年9月27日日曜日

四国地方・高知県;土佐安芸 「土佐の海」








 四国地方・高知県;土佐安芸 「土佐の海」  、










 大相撲の「土佐の海」  、


安田町から安芸市へ入る。 「土佐の海 ひねもすのたり のたりかな」、

土佐の海は太陽の光を散りばめてキラキラ光っている。 土佐の海といえば黒潮、黒潮といえばカツオで此の土佐はカツオの一本釣りでも有名であり、食べ方としては鮮度を保つために叩きが有名である。

其のカツオの叩きは、古くからわら焼きが良いといわれるとおり、わら焼きで仕上げ、わらの香りによって香ばしく鰹の風味が引き立ち、味も一層深まるとされています。
タレは、削りたての鰹節と昆布でダシをとり、土佐の鰹のたたきにあうタレとも言われ、召し上がり方は1センチ幅ぐらいに切り、薬味(ネギ、にんにく、大葉等をスライスしたもの)をのせて、特製のたれをかけて食べるのが一般的です。
海道沿いにはこのカツオの海鮮料理や「土佐の海」というお店も有った。

其の土佐の海といえば、元・大相撲の力士がいた。








高知県安芸市出身、伊勢の海部屋・・、』、 既に引退してしまった幕内力士「土佐の海」のことである。

立会いで仕方なく「待った」をすると大きな声で「スイマセン!」と相手に礼をする、立会いから取り組み中は“ウオッツ、ウオッツ”と気合を入れながら取り、殊勲の勝利を挙げ、インタビューに答える時は、嬉しそうに極めて明瞭に返答する。 

又、敗れたときは土俵際で丁寧に“お辞儀”をし、且つ、突き押しの戦法を一途に取る彼は、姑息な手段で敗れても嫌な顔ひとつせず正々堂々と花道を引き上げて去ってゆく。


大相撲ファンの小生にとって、気合の入った角界でも最も紳士的な、こんな姿の「土佐の海」は大好きな力士の一人である。 


尚且つ、土佐ノ海は、年寄名跡「立川」を取得したそうで、年寄株を取得すると引退後も相撲界に残れるわけで、そういう意味ではややホッとはしている。 

引退後は、是非、NHK相撲解説で、あの明晰な口調によって相撲内容、相撲界を語って欲しい。

因みに、2003年夏に引退した元関脇「安芸乃島」(藤島襲名)は、同じ安芸でも、広島県豊田郡安芸津町の出身である。(金星16個・三賞・19回:殊勲賞7回、敢闘賞8回、技能賞4回 は共に歴代1位である)。 

この力士も正攻法の取り口で始終し、小生の好きな力士の一人であったが。


次回、岩崎弥太郎 



 

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2015年9月26日土曜日

四国地方・高知県;土佐室戸 「最御崎寺と空海」





 四国地方・高知県;土佐室戸 「最御崎寺と空海」 





最御崎寺境内










御厨人窟から見える風景  (Wik)



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この地を訪れた大師は、この四国でも最も僻地の室戸岬を修行の地と定め、お寺を建立し、虚空蔵菩薩を刻んで本尊として安置したという。 
岬 一帯は若き日の弘法大師が修行を積んだ場所といわれ、至るところに大師ゆかりの遺跡が残っているとも。 
徒歩の遍路道近くに大師が修行した御蔵洞があり、この御洞の正面は「大空と大海」のみが望め、「空海」の名は、この大自然を黙視しながら「わが心空の如く、わが心海の如く」という境地を体験したことから付けた名前であるという。
嵯峨天皇の時代(平安初期・9世紀初)、勅願により伽藍を建立し、室戸山・最御崎寺と号し、第24番の霊場に定められた。
室町時代には土佐の安国寺に定められ、以後各武将の寄進により七堂伽藍も整う大寺院になった。
当時の「安国寺」とは、足利尊氏・直義兄弟が、夢窓疎石(夢窓国師)の勧めにより、南北朝の戦死者の追善または国家安穏の祈祷場として、1338年から日本六十余州の国ごとに設営させた臨済宗の寺である。


室戸山・最御崎寺の山門を出て、真南の一段低いところに基礎から丸型の白亜の室戸岬灯台があった。
フェンスに囲まれ、やや草生したところに一棟孤高に建っている。 
完全無人の灯台と思しきが、何故か上部に展望用であろうか・・?一周柵のテラスがあった。   

明治32年(1899)の完成以来、休むことなく海の安全を守り続けている室戸灯台は、日本-の大きさを誇るという、直径2・6mのレンズは、光度190万力ンテラ、光遠距離は56kmと長い。 
毎年7月20日の海の日と灯台祭りの日(11月1日の灯台記念日に最も近い日曜日)の2回、無料公開されているらしい。


次回、田野

  
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2015年9月25日金曜日

四国地方・高知県; 土佐室戸 「二十四霊場・最御崎寺」







四国地方・高知県; 土佐室戸 「二十四霊場・最御崎寺」












最御崎寺の山門と境内




最御崎寺の奥之院ではある





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山腹の上部に灯台と第24番の霊場が在るはずなので、急ぐことにしよう。 
国道55を一旦岬の西側へ出て、標識に従って右折する。

土佐湾が雄大に広がり、室戸港を眺めながら、急勾配の大きなヘアーピンカーブを数度曲がって、暫く行くと「最御崎寺」の参道入り口が右に在った。



「第二十四番 最御崎寺(ほつみさきじ)」と書かれた石刻柱の横に、緩やかな参道が林の中に延びている。

300m位行ったところで、左へUターンするかたちで山門へ出た。
なるほど入り口側は寺院の裏手(北側)になるのだが、横を通り境内の南側(大洋側)へ一旦来て、それから本堂へ向かうようである。



この寺院まで今では室戸スカイラインができて便利になったが、徒歩巡礼の場合は昔ながらの下の岬から急な山道を辛苦しながら登って山門に達する。 

更には、阿波の最後の札所である薬王寺(23番)から、こちらの高知県最初の札所・最御崎寺へ達するのには、Vの字を描いた室戸半島の長い長い海岸線の道が続く。 

特に宍喰町を過ぎてから室戸市の入木までは、雨宿りの場所もなく荒波が打ち寄せる四国でも一番の難所といわれ、最長の距離(約80km)と最難関である。 
その名も最御崎寺は、「土佐・修行の道場」の一番目に当たる。 



さて、山門を潜ると境内には沢山のお地蔵様が目に付く。
参道左手に太子堂、 右手に古き貫禄の鐘楼堂が建つ。

この寺院の鐘楼は、NHKの大晦日の除夜の鐘でも有名で、記念碑に昭和37年ラジオ、昭和53年ラジオ、昭和55年テレビ、平成元年ラジオ、平成13年テレビなどと記されている。 

正面に大屋根・四柱造りの本堂、その手前に丸みの多宝塔があった。


次回、「最御崎寺と空海」
  
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2015年9月24日木曜日

四国地方・高知; 土佐室戸 「中岡慎太郎」







 四国地方・高知; 土佐室戸 「中岡慎太郎」  ,





室戸岬に立つ中岡慎太郎銅像







京都・円山公園の坂本龍馬と中岡慎太郎像 (Wik)




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室戸岬は、すぐ背後は山腹が覆っているように、岬は太平洋に突き出た山地がそのまま海に落ち込んでいる様子が分かる。

渚の公園入口の道脇には、大きな土佐の志士「中岡慎太郎」の像があった。

2010年度のNHK大河ドラマで『龍馬伝』が放送された。 

主演の坂本龍馬に福山雅治、中岡慎太郎に上川隆也が演じていたが、最終回あたりで、両人が京・近江屋で暗殺されてしまうのである。



中岡慎太郎は、室戸岬半島の付け根に当たる北川村の村役場の付近で、庄屋の倅として生まれている。 
7歳にして論語や孟子など四書を学び、14歳の時にはすでに塾の代講を務めるまでになっていた。

その後、藩校・田野学館が開校した時、18歳で武市半平太と出会い、その人柄に惹かれた彼は24歳の時に半平太率いる土佐勤王党に参加、高知の城下へ出て行く。 

26歳で土佐を脱藩、藩の庇護を離れ倒幕活動に奔走したが、大政奉還後に坂本龍馬と一緒のところを京・河原町近江屋で「見回り組」の刺客に襲われ暗殺されている。

中岡慎太郎はじめ、土佐脱藩浪士の多くは志半ばで非業に倒れたが、その活躍は明治維新で土佐藩が薩摩・長州に次ぐ地位に立つ下地となった。 
中岡は、この世に2人といない智慧者ぢゃったが、竜馬先生はハンコを押すだけぢゃった」という著名氏の見方もあるとか、享年30歳。


中岡慎太郎像の入口から海岸へ出ると、「乱礁遊歩道」とい長さ約3kmの散策道が延びている。

太平洋の荒波に浸食された奇岩や岩礁が屹立し、ダイナミックな景観が堪能でき、付近にはタコの足のように気根が伸びる亜熱帯植物のアコウという木(天然記念物)が鬱蒼と繁る


次回、二十四霊場・最御崎寺
  
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2015年9月22日火曜日

四国地方・高知; 土佐の室戸 「室戸岬」






 四国地方・土佐高知; 室戸 「室戸岬」  ,





写真:室戸崎灯台






室戸岬   (Wik)




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国道55号は、いよいよ室戸岬を目指す。

道路は「土佐浜海道」、「土佐東海道」とも称し、室戸への“V形の辺”を40kmほど太平洋を眺めながら、長い長い海岸沿いの道を南下する。 

特にR493が分岐する東洋町・野根と言う集落を過ぎると、打ち寄せる波濤と山崖が車窓に迫り圧巻である。 

しかし、沿道にはすっかり集落、人家がなくなってしまい、モノ悲しい雰囲気は否めない。延々と走ってようやく集落が現れた。 
佐喜浜の浦という集落だが、人の気配が全く無く過疎化が感じられる集落でもある。



ここから先は急に道が細くなり、普通車のすれ違いもままならないほどである。 
アップダウンも激しく、所々で人家の真前(まんまえ)を通過するようにもなる。

台風の備えであろうか、民家の前は石垣でしっかりガードしてあり、一種風物にもなっているとか。

気がつくと新道らしきのと合流した。 知らぬ間に旧道を走っていたようであるが、こらはこれで良しとする。



暫くして「室戸岬」のバス停のある公園風のところに到着した。 
早速、背後の山の中腹にある展望台に上って岬の先端を眺める。 
真に雄大の極みである。
例によって地球の丸さを感じる地点であるが。(実は視界が丸みを帯びて見えているにす
ぎない) 


岬の先端からは大きな岩礁や奇岩が連なり無限の太平洋に延びていて、こちらも奇怪(きっかい)にして驚きの眺望である。


次回、中岡慎太郎 
  
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2015年9月19日土曜日

四国地方 ;閑話休題 「四国について」(Ⅱ)






 四国地方 ;閑話休題 「四国について」(Ⅱ)  、













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四国は、古くは奈良時代の古事記に『身一ニシテ面四ツ有リ』と書かれていて、更に、「伊予之二名島」とも記されている。
伊予国の愛比賣(エヒメ)と土佐国の建依別(タケヨリワケ)、阿波国の大宜都比賣(オオゲツヒメ)と讃岐国の飯依比古(イイヨリヒコ)との男女二神ずつが一対として表わされている。

つまり、伊予の愛・ヒメと土左の建依別 (愛らしい姫様と力強い建の男)、阿波(粟)の大宜都ヒメと讃岐の飯依ヒコ(男女一対:両方とも穀物・食事関係して神)を現しているという。 俗に言う、愛媛女と土佐男、讃岐男に阿波女といわれる。 
「伊予之二名島」の二名とは、その二対のことであった。 讃岐は香川県,伊予は愛媛県,土佐は高知県,阿波は徳島県である。 



四国は、国造時代から四カ国が寄り添いあって現代に到っている。 
尤も、領土的には変遷もあったようで、伊予国守・高安王(たかやすのおおきみ・敏達天皇の孫である百済王の後裔といわれる)が阿波、讃岐、土佐三ヶ国を合わせて領したこともあった。

一時期、中世の細川氏、戦国初期の長宗我部元親が四国を一国として統治していたが、長宗我部は豊臣秀吉によって征伐され、元の鞘(四ヶ国)に戻っている。




さて、これより訪ねる土佐の高知であるが 

奈良後期、国郡の制が定まり、駅制が整備されてからは京都と四国の国府を結ぶ官道の往来が賑やかになった。
国の格付は土佐が中の国で、他の三ヶ国は上の国といわれた時期もあり、都から見れば土佐は最も遠い国であったが為かもしれない・・?。

国守では、「土佐日記」を著した土佐守・紀貫之が有名(後述)で代表格であろう。 この頃から平安末期頃まで、土佐は遠流の国となり、貴き方々(都人)が流人として配流されている地域となった。 


戦国末期、土佐は長宗我部氏のあと、1601年(慶長6)に山内一豊が20万石余で入国している。(NHK大河ドラマ「功名が辻」で放映、詳しくは後述) その後の江戸末期、土佐の国から日本を背負い立つ傑物も現れている。

土佐もっこす」という言葉もあり、一本気で骨太で信用がおけるが、頑固で融通がきかないといった土佐人の県民性を表した言葉のようで、古事記に言う、土佐は「男の国」なのである。


次回は、高知の「室戸崎
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四国地方; 閑話休題 「四国について」






 四国地方; 閑話休題 「四国について」  、
















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高知へ到ったが、その前にチョッと閑話休題・「四国」について


阿波・徳島を周って、土佐の高知に到った訳だが、ここで「四国」について触れて見よう。
一般に四国は北四国、南四国といって瀬戸内海側と太平洋側とに区分される、だが、気候、風土的には瀬戸内海沿岸地域、四国山地地域、南四国地域の三地域にも分けられる。
瀬戸内海は日本最大の内海で、穏やかな波や美しい島々があり、一大美観で大半が国定公園に指定されている。

瀬戸内海とは、北側は関門海峡、東側は鳴門海峡、そして西側には豊予海峡(速吸瀬戸)と何れも強力な潮の流れの激しいところの内側の海域を指した名称である。
因みに、「瀬戸」とは幅の狭い海峡、潮汐の干満によって激しい潮流を生ずるところを指す。


瀬戸内海沿岸地域の気候の特性は年間降水量が少なく、しばしば渇水になる特性があるようだ。 これは後日、高知の沿岸(太平洋側)と愛媛の瀬戸内側を巡るうち、河川の水量が全く異なることに気がついている。

特に、この時期になると(4~6月・・?)高知の四万十川等は満々と水量が豊富なのに対して、瀬戸内側の大小河川は、ほぼ完全に渇水状態であったこと。 これはダムの残水量等、時折、生活上問題にもなっているようで、吉野川水系の明浦ダムが渇水に見まわれ、連日水不足がニュースや新聞のトップ項目に挙げられるなど全国的にも話題となっている。


又、四国山地地域は、四国の中央部を東西に貫く山地で、中央構造線の南に千数百メートル級の急峻な山々が連なり様々な様相をなしている、四国山脈ともいう。

この地域では多くの自然と景観が合間って信仰の地でもある。険しい山々が荘厳で神々しいことから古代より山岳修行が盛んであり、西日本最高峰の石鎚山や剣山などはその代表格である。 
さらには弘法大師ゆかりの四国八十八箇所遍路は、四国の全山、全域が霊場といっても過言ではない。


南四国地域は、気候は海洋性で温暖湿潤であり、台風の通過も多い。
徳島に四国一の河川である急流・吉野川が流れ、高知に四国二の河川てある四万十川の清流が流れる。 
然るに水資源が豊富で住民の節水意識が薄いとも言われるが、これは北四国がたびたび水不足に見舞われる地域であるのとは対照的である。 それは四国山地の影響度もある。


経済的に観ると、北四国が瀬戸内海ベルト地帯の一環として経済発展したのに対し、南四国は発展から取り残され、所得水準や工業生産高では大きく差が開いているとも云われ、
全国的に見ても開発が遅れた地域であるとみなされているようだが。 

しかし、近年は四国各地を結ぶ「四国縦横断自動車道」の開通など交通の便が改善されたこともあり、現在では四国を南北のブロック分けすることは少なくなっているともいう。


次回、更に「四国について
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2015年9月18日金曜日

四国地方・徳島県; 阿波海陽 「鯖大師」







 四国地方・徳島県; 阿波海陽 「鯖大師」  ,










鯖大師(八坂寺)・本坊






四国・海南地域は歴史の表舞台でもあった

道の駅・日和佐を出ると海岸部から離れて再び山間部を走る。
海岸線は「南阿波サンライン」といって極めて風光明媚な所,と言いたい所だが起伏が激しく悪路も予想されるので国道55を直進することにした。 

JR牟岐線とともに日和佐トンネルなど大小トンネルを抜けながら山間部を走る。 
山河内からも延々と山間部を走り続け、寒葉坂峠を境に牟岐町に入る。ここからは下り勾配を4~5キロ走り山間部を抜けて平野部を牟岐川に沿って行くと牟岐の街へ出る。 
途中、海上に浮かぶ出羽島の姿が美しく、牟岐町きっての観光の目玉らしい。


Jr牟岐線はここの地名を付けたもので、牟岐駅は当初の牟岐線の終点であったが、近年この先の海部まで延びている。
この沿線に沿って明るい海岸が見通せる、景勝「八坂八浜」と称している。その名のとおり屈曲した八ッ坂があり、その度に八ッ浜が見られるという、路行く者には大変な難所の海岸線だった。
この中間に「鯖大師」、別名でその名も「八坂山・八坂寺」というのがある。



日和佐の23番薬王寺から室戸岬の24番最御崎寺までは凡そ80キロの長丁場で、歩けば2日以上かかる距離であり、1日歩いても一つの札所にさえ行き当たらない。 
そのため、番外札所と言われるのが八坂寺であった。

鯖大師は別格二十霊場にも数えられ、弘法大師と鯖に因んだ話が伝わっていて、鯖の話はこの八坂八浜の大坂を舞台にしたものである。

「 馬の背に鯖を積んだ馬追に、大師が鯖を1匹くれとたのんだ。馬追が断ると大師は次のような歌を詠んだ。 」

『 大坂や 八坂坂中 鯖ひとつ 
大師にくれで 馬の腹や(病)む
 』

すると馬が苦しんで歩けなくなった。
驚いた馬追が鯖を差し出すと大師は別の歌を詠んだ。

『 大坂や 八坂坂中 鯖ひとつ 
大師にくれて 馬の腹や(止)む
 』
そうすると馬の苦しみはおさまったという。
」と「」と「」で歌の違いが判り、面白い。


,


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2015年9月17日木曜日

四国地方・徳島県; 阿波日和佐 「第23番札所・薬王寺」






 四国地方・徳島県; 阿波日和佐 「第23番札所・薬王寺」  ,






仁王門



第23番札所・薬王寺 本堂




医王山・薬王寺の「瑜祇塔」  (Wik)






日和佐の町内に入ると国道沿いに名刹が在った。

「医王山・薬王寺」である。

我々年配者には有難そうな厄除けのお寺さんであり、誰が詠んだか、御詠歌(巡礼または信者などが詠う和歌)としてこんな歌碑があった。


『 皆人の 病みぬる年の 薬王寺 
祈願のくすりを 興えましませ
 』

御本尊も、当然と思える薬師如来である。



山門をくぐり 桜並木の参道から本堂への石段を登りつつ、振り返ると日和佐城と日和佐湾・太平洋が望まれる。 
石段は、女厄坂の33段、男厄の42段とあり、大師堂、地蔵堂から本堂に達する。 

この上には61段の還暦の厄坂というのもあり、山腹の高目に密教特有の円形のお堂に四角い屋根の「瑜祇塔」(ゆぎとう・多宝塔の原型とされているのが瑜祇塔であり、一重の屋根と円筒形の厨子、そして屋根の上に聾える五本の相輪が特徴)が建ち、屋根の上には五智を表す五つの相輪が立つ。

瑜祇塔は、通常の寺仏堂とはチョッと変わった斬新な印象を与えてくれる不思議な塔で、神秘的な香りが感じられる。
建造は比較的新しく、昭和39年に四国霊場開創1150年を記念して建てられたという。
内部には宝物展示室や地下の戒壇巡りなどがあるという。

自分の厄年に、厄坂の石段を一段ずつコインを置いてゆくと、願いが叶うという薬王寺。
寺院は行基菩薩の開基で、弘法大師が厄除けを願って薬師如来像を刻んで本尊とした。 阿波・「発心の道場」の23番、最後の霊場で、24番からは土佐の高知の地で、「修行の道場」へ進むことになる。

薬王寺の山腹より日和佐の町が一望でき、日和佐湾が青く光る。
湾の小山状の上部に「日和佐城」がこじんまりと遠慮がちに見えてる。 
海城というか、山城というか・・? お城・天守閣は昭和期の近年、観光用に増築されたものらしいが、本来、室町時代にこの地に拠った肥後守・日和佐氏の築城であるが、戦国期、四国を統一した長曽我部元親(土佐高知の戦国武将、四国全土を統一しているが・・)に降伏している。



日和佐の町内を少し行くと、程なく「道の駅・日和佐」である、ここで小服を入れる。

JR牟岐線日和佐駅と国道に接して立地しており、四国でも国道とJRの駅が一体になっているのは珍しいのでは・・?。 

ここには温泉が在る、足湯もある。小生も一足浸かることにした。 
物産館の敷地内で湧出する温泉を利用したもので、お遍路さんの足を癒す「休足所(足湯)」としては最適であり、発案担当者に感謝したい。

弘法大師が薬王寺を開いた際、その麓から湧く泉を発見したという古泉でもあり、飲用、また温浴に適した水として、人々に効能を知らせたと伝えられている。 

少々の硫黄臭があり、無色透明でサラリとした湯は単純硫化水素泉。 神経痛やリウマチ、慢性皮膚病、慢性金属中毒症、糖尿病などに効能があるという。地下30メートルから豊富に冷泉がわき出ているという。

尚、日和佐町は、2006年3月に由岐町と合併て「美波町」となっている。 

大浜海岸に産卵のため上陸してくるアカウミガメで有名、これを主題とした2009年のNHK連続テレビ小説「ウェルかめ」の舞台にもなった。


次回は、海部(かいふ)の海部氏






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2015年9月16日水曜日

四国地方・時しまけん; 阿波那珂川 「阿波公方」







 四国地方・時しまけん; 阿波那珂川 「阿波公方」  ,





(出典 足利家家系 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/awa_kubo.html



那珂川町の国道55の「道の駅・公方の郷なかがわ」で一服入れる。 

公方の郷とは貴き御方に所縁があると思ったが、やはり室町将軍・足利氏が居留した地であった。
阿波公方または平島公方(ひらじまくぼう)と言って、代々阿波国平島荘古津(那賀郡平島村 現・阿南市那賀川町古津)に在したことからも、そう呼ばれている。

室町後期、政治の腐敗を嘆き淡路島で病死した第10代将軍足利義植(あしかがよしたね)の養子・義冬は、父の悲願を果たすため上洛したが戦いに敗れ、阿波の守護・細川持隆に迎えられ、この地に落ちついたという。
その後、足利氏は九代270年にわたってこの地に居住し、漢文学などを広め「阿波公方」として人々に親しまれたという。これが公方の郷の由縁であった。


那賀川町、羽ノ浦町は、平成18年3月に阿南市に吸収合併されるとのこと。
阿南市街は、国道55のバイパスで知らぬ間に通り過ぎてしまった。
その後は、自然豊かな四国とは思えぬほどの重工業の港湾が広がっている橘港である。 
古くは天然の良港として知られており、昭和初期には阪神~高知航路の中継港として栄えたが、今では、火力発電、造船、鉄工所などの大企業がひしめき、徳島県東部における工業の集積拠点としての役割を果たしているようである。



国道55は別名「土佐東街道・土佐浜街道」と称している。
浜街道とは言いながら、現在は山中険路の道であるが、由岐町と日和佐町の町界あたりの地名に「星越」とい、うのがある。 星をも越すような高度がある・・?というのはチト、オーバーではあるが、かなりの高所を走っているのは確かなようである。 

山間からどうやら見通しのきく平地に出たようだ、日和佐の街である。


次回、二十三霊場・「薬王寺」 ,





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