2015年9月19日土曜日

四国地方 ;閑話休題 「四国について」(Ⅱ)






 四国地方 ;閑話休題 「四国について」(Ⅱ)  、













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四国は、古くは奈良時代の古事記に『身一ニシテ面四ツ有リ』と書かれていて、更に、「伊予之二名島」とも記されている。
伊予国の愛比賣(エヒメ)と土佐国の建依別(タケヨリワケ)、阿波国の大宜都比賣(オオゲツヒメ)と讃岐国の飯依比古(イイヨリヒコ)との男女二神ずつが一対として表わされている。

つまり、伊予の愛・ヒメと土左の建依別 (愛らしい姫様と力強い建の男)、阿波(粟)の大宜都ヒメと讃岐の飯依ヒコ(男女一対:両方とも穀物・食事関係して神)を現しているという。 俗に言う、愛媛女と土佐男、讃岐男に阿波女といわれる。 
「伊予之二名島」の二名とは、その二対のことであった。 讃岐は香川県,伊予は愛媛県,土佐は高知県,阿波は徳島県である。 



四国は、国造時代から四カ国が寄り添いあって現代に到っている。 
尤も、領土的には変遷もあったようで、伊予国守・高安王(たかやすのおおきみ・敏達天皇の孫である百済王の後裔といわれる)が阿波、讃岐、土佐三ヶ国を合わせて領したこともあった。

一時期、中世の細川氏、戦国初期の長宗我部元親が四国を一国として統治していたが、長宗我部は豊臣秀吉によって征伐され、元の鞘(四ヶ国)に戻っている。




さて、これより訪ねる土佐の高知であるが 

奈良後期、国郡の制が定まり、駅制が整備されてからは京都と四国の国府を結ぶ官道の往来が賑やかになった。
国の格付は土佐が中の国で、他の三ヶ国は上の国といわれた時期もあり、都から見れば土佐は最も遠い国であったが為かもしれない・・?。

国守では、「土佐日記」を著した土佐守・紀貫之が有名(後述)で代表格であろう。 この頃から平安末期頃まで、土佐は遠流の国となり、貴き方々(都人)が流人として配流されている地域となった。 


戦国末期、土佐は長宗我部氏のあと、1601年(慶長6)に山内一豊が20万石余で入国している。(NHK大河ドラマ「功名が辻」で放映、詳しくは後述) その後の江戸末期、土佐の国から日本を背負い立つ傑物も現れている。

土佐もっこす」という言葉もあり、一本気で骨太で信用がおけるが、頑固で融通がきかないといった土佐人の県民性を表した言葉のようで、古事記に言う、土佐は「男の国」なのである。


次回は、高知の「室戸崎
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