2014年2月16日日曜日

新・日本紀行(131)横浜 「横浜開港」







 新・日本紀行(131)横浜 「横浜開港」 



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明治後期の横浜港(開港資料館所蔵)



http://www.kaikou.city.yokohama.jp/document/images/picture/06/6-02.jpg
大正期の横浜桟橋 〔絵はがき〕




近年(2009年)、横浜開港150年を迎えた、


江戸期の「横浜」は、東海道の宿場として神奈川宿それに保土ヶ谷や戸塚が賑やかであったにすぎず、当時の横浜(横浜村)の港は、砂浜が広がる戸数100戸足らずの小さな漁村だったという。

横浜の地域は、隣地・鎌倉に幕府が置かれた華やかな鎌倉時代においても、せいぜい北条氏により称名寺や金沢文庫が建てられ、また小机に水田が開かれた程度で、さして注目はされなかった。
その主な理由は地域全体が丘陵地、山坂がかなりの部分を占めていて、農作物の作付けにも適さず、人の往来の自由をも阻んでいたと思われるのである。

横浜港域としては、歴史的には鎌倉幕府の玄関港として繁栄していた六浦湊(現在の横浜市金沢区)の存在にまで遡ることが出来るが、原型は神奈川湊(かながわみなと)の方にあると考えられている。

神奈川湊は、東京湾内海交通の拠点の1つとされ、鎌倉幕府が置かれた13世紀以降、湾内の物流が活発になると共に神奈川湊も発展して行く。 
現在の横浜市神奈川区神奈川本町、青木町付近にあった。(京急・神奈川駅付近)


江戸末期には船舶は大型化し、外国船受け入れの為の大型の港が必然となってきた。

その前提として19世紀半ば、神奈川湊沖で締結された「日米修好通商条約」にて、港としては現行の神奈川宿の湊が取り敢えず開港場に指定された。 

しかし、東海道に直結する神奈川宿・神奈川湊は避けるべきだとの合意で、幕府の指令によって対岸の横浜村に新規に港場を新設することを改めて決めた。 


実際に開港したのは横浜村(現在の中区北側近辺)であり、港やその周辺の工事は突貫工事の急ピッチで行はれたという。

これらの事業や初期の町作りを担ったのは、神奈川宿、保土ヶ谷宿や周辺の村々の人達の所謂、民間の人々であったと言われる。







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