google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 新・日本紀行(130)川崎 「平間寺・川崎大師」

2014年2月12日水曜日

新・日本紀行(130)川崎 「平間寺・川崎大師」








 新・日本紀行(130)川崎 「平間寺・川崎大師」 



http://www.rakuchin-rent.net/kouyuchin/kawasakisi.jpg
山門


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/archive/5/55/20110406075352!%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%A4%A7%E5%B8%AB%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E5%A0%8202.JPG
本堂







東海道・川崎宿の堀の内地区は大師道への分岐でもあり、お大師様参詣で賑わったところでもある。
大師道は六郷の渡しから医王子、若宮八幡宮を経て、川崎大師・平間寺(へいけんじ)の山門に至る道を言い、”川沿いの道(大師道)を下りて18丁(1962m)の所にある”と、当時の物の本・案内書に書かれている。 

厄除けで有名な川崎大師は江戸時代から東海道を通過する旅人だけでなく、江戸を中心とする庶民の霊場にもなっていた。
尚、江戸表から訪ねて来る参詣人は、多摩川を渡るとき六郷の渡しではなく上流の矢口や丸子の渡しを利用して渡ったともいわれる。

中原街道の丸子の渡しは水量も少なく、庶民の渡しだったのだろうか・・?

川崎大師は大治年間(1126~1131年)、尊賢(そんけん)が開山、平間兼乗(ひらま かねのり)の開創といわれ、後北条氏の時代から弘法大師信仰(真言宗)の零場として賑わっていた。

江戸時代になると、徳川家斉、家慶、家定、家茂らの各将軍も厄除け参りをするようになり、その為御膳所、御成門も建立され門前町としても多いに発達したという。

川崎宿の繁栄は、この川崎大師の隆盛の影響も大きかったのである。


現在、高尾山薬王院成田山新勝寺とともに真言宗の関東三本山の一つとされ、毎年の正月には初詣の参拝客で大変な賑わいとなることは周知である。

因みに、2006年初詣客は272万人となり、全国三位、神奈川県第一位を記録している。

当寺への参詣客を輸送する目的で1899年1月21日(初大師の縁日)に開業した大師電気鉄道は、現在の京急(京浜急行電鉄)の基となった。


次回は、「横浜





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」


01. 15.

Google Analytics トラッキング コード