2014年2月1日土曜日

新・日本紀行(129)東京 「江戸城炎上」







 新・日本紀行(129)東京 「江戸城炎上」 





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歴史民族博物館より、

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当時の江戸城天主台(皇居)



江戸城、炎上す・・!!

さて、この江戸城郭の大天守であるが・・、
完成からわずか19年後の明暦3年(1657)1月の、いわゆる「振袖火事」(明暦の大火)で焼失してしまう。 
天守再建の声も多かったが、保科正之(徳川秀忠の庶子)が異議を唱え、四代将軍徳川家綱もこの意見を受け入れたため、天守はついに再建されなかったという。
つまり、世界に誇る江戸城・大天守閣は、僅か19年という最短の寿命を記録してしまったのである。

現在、NPO法人によって「江戸城天守閣再建活動」がなされているようであるが、さて・・?。



因みに、振袖火事とは明暦年間の大火のことで、明暦3年1月18日(1657年3月2日)に出火、当時の江戸の大半を焼失するに至った大火災である。
この明暦の大火は、三日間にかけて外堀の内側を殆ど焼き尽くしたと言う。

この頃の外堀は現在でいう北は秋葉原からお茶の水、西は四谷、南は新橋、東は隅田川というから、山手線の内側と匹敵するか、あるいは全体としては広いともいわれる。
この火災による被害は、延焼面積・死者共に江戸時代最大で、江戸の三大火災の筆頭としても挙げられる。 

天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失し、諸説まちまちではあるが、死者は3万から10万人と記録されている。
江戸城天守はこれ以後、再建されなかったという。

火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大のものであり、世界三大大火の一つに数えられることもあるとされる。

明暦の大火を契機に江戸市中の都市改造が行われることになる。
火災防備上、千住大橋のみしかなかった隅田川へ両国橋や永代橋などを架橋し、市街地の造成が行われたという。
又、延焼を遮断する防火線として造成した広小路は、現在でも上野広小路などの地名で残っており、当時の防災への取り組みの痕跡が残されている。

幕府は耐火建築として土蔵造や瓦葺屋根を奨励したが、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるとおり、その後も江戸はしばしば大火に見舞われている。


次回、振袖火事





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01. 15.

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