2013年9月22日日曜日

新・日本紀行(123)館山 「房総・安房神社」







 新・日本紀行(123)館山 「房総・安房神社」 



安房は阿波に通じ、古代の阿波一族が房総地方から武蔵を拓いたとされている・・、






安房神社、新装成った上の宮・拝殿と御本殿



先ず、その房総一ノ宮「安房神社」について。

房州」は、房総半島の海側の方から上総(かずさ)、下総(しもふさ)と呼ばれている。
古来、古代から中世の交通機関は船が中心だった。 
その房州は古くから関西との関係が強く、「勝浦」や「安房(阿波)」、「白浜」など、克っての故里(ふるさと)の地域の名を付けたところも多い。

又、九十九里には、鰯・イワシを追って大阪や和歌山の人々が移住して来ている。
銚子市の人口の何割りかは、醤油の製法などを伝えたとされる和歌山県人達の末裔で、今でも夏になると先祖の墓参りに戻る人がいるという。



安房一宮の安房神社は、四国・阿波から古代の「忌部族」(いんべぞく:大和朝廷成立に大きな役割を果たした阿波忌部氏:農耕、植栽の民)が渡来し創建したもので、四国の「阿波」と房総半島の「安房」が何れも「あわ」と読むのは忌部氏が阿波から安房に下った際に命名されたとも言われている。

忌部氏は更に、当地に「」(あさ)を植えたところ良く育ったことから、「」(麻の糸を束ねること、ふさ)の名が付けられ、上総、下総の名が生まれたとも言われている。 
更に、現在の西東京の一帯を「武蔵野」と呼ぶが、一昔の東京地方は「武蔵」といったのは周知である。 
武蔵(むさし)」の地名は、かつて南関東一帯が「総(ふさ)」という国名だったことに由来しているという。 

現在でも千葉のことを房総、下総と称しているのは前述のとおりであるが、その名が残る「総の国」は、特に現在の東京一帯を総の下、つまり「総下(ふさしも)」とも呼ばれていたそうで、その「総下」が年月と共に「ふさしも→ふさし→むさし」に変化したという一説もあるという。

その阿波忌部氏といわれる一族が、黒潮ルートに乗って房総半島に渡来し、房総から関東一円を開拓したとされてるのである。  


次回。四国・阿波へ、



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