2013年7月13日土曜日

新・日本紀行;紀行(115)水戸 「水戸藩・Ⅱ」






 新・日本紀行;紀行(115)水戸 「水戸藩・Ⅱ」 




水戸は、無論、「常陸の国」が前進である。 

常陸は今の茨城県を指すが、当初の常陸国は現在の茨城県の大部分(西南部を除く)と、福島県から宮城県南部にまで至る辺境の広大な国であり、奈良期の7世紀に成立している古い国柄である。 
奈良期・八世紀初頭の養老年頃の編集とされる「常陸風土記」によると、常陸国の国柄、名の由来は、以下の様に記されている。

『 然と名づける所以は、「往来の道路、江海の津湾を隔てず、郡郷の境界、山河の峰谷に相続ければ、直道(ひたみち)の義をとって、名称と為せり」。倭武(やまとたける)の天皇、東の夷(えみし)の国を巡狩はして、新治の県を幸過ししに国造 那良珠命(ひならすのみこと)を遣わして、新に井を掘らしむと、流泉清く澄み、いとめずらしき。時に、乗輿を留めて、水を愛で、み手に洗いたまいしに、御衣の袖、泉に垂れて沾じぬ。すなわち、袖を浸すこころによって、この国の名とせり。風俗の諺に、筑波岳に黒雲かかり、衣袖漬(ころもでひたち)の国というはこれなり。 』

又、常陸国風土記が編纂された時代に、常陸国は、『 土地が広く、海山の産物も多く、人々は豊に暮らし、まるで常世の国(極楽)のようだ 』とある。

「常陸」は、「世の国では極楽」という訳で名付けられたようだ。

奈良期の政庁・国府は現在の石岡市にあったとされ、遺跡も発掘されている。
又、官寺である国分寺も石岡市府中にあった。



さて、水戸の始まりは、平安末期に、常陸の国の名門・大掾氏(だいじょう)一門が、水戸台地に居館(水戸城)を構えたのが最初と言われる。

戦国期、常陸は戦国大名・佐竹氏が豊臣秀吉によって支配をそのまま認められていたが、関ヶ原の戦いの際54万石の佐竹義宣は東軍・徳川方に加担しなかったため、出羽秋田(久保田藩20万石)に減量転封されている。

佐竹氏の後、徳川幕府が開かれ、家康が駿府に移動するに当たって、家康の11男・徳川頼房が25万石で入って「水戸藩」が成立する。 
水戸市の原形は、この頼房によって拓かれてゆくことになる。


余談だが・・、

佐竹氏は、秋田に左遷されるにあたって、藩主家の墓地と水戸の美人を根刮ぎ、転封先に持っていったと云われる。
これが、秋田美人のルーツともされるようになり、このため近年に至って秋田は美人の産地となり、水戸には美人がいなくなったとも云われているが・・??。

次回は、水戸の黄門




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