google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 新・日本紀行(110)いわき湯本 「徳一と藤原氏」

2013年5月26日日曜日

新・日本紀行(110)いわき湯本 「徳一と藤原氏」






 新・日本紀行(110)いわき湯本 「徳一と藤原氏」





前回は奈良の三輪山、大和の国、そして大和朝廷の関わりを述べてきたが・・、

ここで、「藤原氏」が登場する。
これら大和朝廷及び天皇家を擁護し画策し、最終的な神統譜である紀記(古事記、日本書紀)を製作したのが「藤原氏」であるといわれる。 
製作の目的は「天皇制」という新秩序のためであり、新しい律令的秩序であり、藤原氏自身のためのものであった。 
「旧秩序」、「旧勢力」、「旧豪族」を打破し、同時に大和勢力、強いては「中臣=藤原氏」の勢力を拡張することでもあった。


常陸の国に「鹿島神宮」(茨城県鹿嶋市宮中:常陸国一の宮)が壮大に鎮座している。香取神宮と並ぶ東国の大社であり、霞ヶ浦を中心とする大水郷地帯の歴史的中心でもある。

藤原氏の祖・藤原鎌足(中臣・なかとみのかまたり)は、この鹿島の地で生まれたと伝えられ、やがて大和の都に「春日大社」を分社遷宮し創祀したといわれる。 

この地鹿島は中臣(藤原)氏本流の地で、海人族であったとも言われる。 
鹿島神宮は、「常陸国風土記」や「延喜式神名帳」などに多くの記載があり、武甕槌命(タケミカズチ)とその子神の天足別(アマタラシワケ)命を祭神としている。 

武甕槌命は通常、記紀では迦具土神(カグツチノカミ)の血から生まれた神とされるが、藤原氏が奉斎する鹿島神宮の祭神・武甕槌命は、元より天孫降臨・天照大神の一族とされ、出雲の国の「国譲り」では、かの諏訪大社の大神・建御名方神(タケミナカタ)と相争い、これが日本における「大相撲」の起源ともされているのは有名な話である。


藤原鎌足は飛鳥時代の政治家で、藤原氏の始祖にあたる。 
大化の改新以降に中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍するのは歴史上でも有名であるが。 
その子「藤原不比等」(ふじわらのふひと)が実質的な「藤原姓」を名乗り、藤原氏の祖と言っても良い。 
その孫に藤原仲麻呂がいて、仲麻呂の第11子が「徳一」とされている。 
つまり、徳一は偉大なる不比等の曾孫にあたるのである。



ここまで、だいぶ話が飛び飛びになったが・・、

徳一は「藤原徳一」であり、徳一自身は意識したか、しないかは別として、間違いなく大政治家の極く身近な直系の存在であった。 
しかし、仏門に身を置き、陰ながら藤原一門として、旧来勢力の打破、律令国家の成立の一助として活躍したと思われる。



 いわき湯本 「徳一と藤原氏・Ⅱ」





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