2012年6月21日木曜日

新・日本紀行(29)竜飛崎 「竜飛の名所」

.



   
新・日本紀行    

新・日本紀行(29)竜飛崎 「竜飛の名所」 .






「竜が飛びたった」とされる北の果て「竜飛崎」。正面は北海道・松前周辺




さて、「竜飛崎」は、北海道の白神岬とは津軽海峡を挟んで19km程の距離があり、この下を青函トンネルが通っている。 

「JR津軽海峡線」であるが、岬の真下を貫く、本州・北海道の世界最長の青函トンネルに敷かれた鉄道で昭和63年開業している。 
その「竜飛海底駅」は非常時避難用の駅でもあり、海底駅見学整理券を持った人のみ下車できる、竜飛崎からも見学出来るという、岬の下には「竜飛海底駅」があり、旧坑道をケーブルカーで降りて海底下の坑道を見学できるという。 


「竜飛崎」は、津軽国定公園・「竜飛」に指定され、三厩村・北緯41度15分・東経140度20分、標高120m(・・位?)、津軽半島最北、地の果てである。 

この竜飛崎は今や一大観光地になっていて、記念館、記念碑、名所名物もあり、名物の「風車群」は、ウインドパークと銘打った風力発電群でもある。
日本有数の風の地帯では自然エネルギーで、3000軒の家の電力を供給し、現在11基が稼動中であるとのこと。  

又、記念館や施設として、「青函トンネル記念館」、「竜飛ウインドパーク展示館」「竜飛崎シーサイドパーク」「道の駅・みんまや」等々・・、 又竜飛は「記念碑の岬」としても知られ、吉田松陰碑・大町桂月碑・佐藤佐太郎碑・川上三太郎碑・大久保橙青碑・太宰治碑 などがある。
中でも、ご存知「石川さゆり」の歌碑「津軽海峡冬景色」は、一世を風靡した歌で知られる。

又、当地に「吉田松陰碑」がある。
江戸末期、長州藩の攘夷志士であった若き吉田松陰が、後に池田屋事件で客死する宮部鼎蔵とともに津軽の地を訪れたのは、嘉永5年(1852)の旧暦3月初めである。 
小泊から峠を越えて三厩の海岸に出るが、松陰は竜飛崎に立って、『竜飛崎と松前間の狭い津軽海峡を外国船が堂々と往来するのを許しているのは、日本の存亡にかかわる重大なことである』と悲憤している。

因みに、松陰が翌日訪ねた「平舘」(陸奥湾・平館海峡)には、既に砲台があったという。 
松蔭は「大砲が7個あるが普段は備えていないこと、下北半島とわずか3里の海を隔てたこの要衝の地に砲台があることはすこぶる佳いこと、 また4年前に外国船がやって来て、5、6人の異人が上陸したこと」などを日記に書き残している。 
この砲台場は松陰がこの地を訪れる4年前に、幕府の命により津軽藩が築造したもので、高さ2メートル、長さ90メートルの扇形の土塁には、松がぐるりと植えられ、海上からは見えにくい工夫が施されているという。 
現在もその名残を留める「お台場跡」が有る。 

このお台場跡のすぐ側を南北に走る国道280号には、1キロにわたって見事な黒松の並木が続いている。 
およそ300年前の津軽4代藩主・信政によって植樹されたとも伝えられる。 この道は、松前藩が参勤交代で通ったことから「旧松前街道」の名がある。 
おそらく松陰たちもこの松の並木道を歩いたことだろう。


国道階段の手前には、車が海岸へ通じる道が敷かれている。 
そのヘアーピンカーブを下ると、竜飛漁港がある。 

今でも竜飛の家々は、海峡を吹き付ける狂暴な風雨から守るためであろう、断崖にへばりつき、お互いに身を寄せ合うように建っている。 
さらに部落の路を先に進むと、いよいよ路が尽きるのである。 

ここに地元・津軽出身(金木町)の太宰治の碑が立っている。
記念碑銘文は・・、
『 ここは、本州の袋小路だ、読者も銘肌せよ、諸君が北に向かって歩いている時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外が濱街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すっぽりとこの鶏小屋に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである 』と、この碑によって行く手が阻まれる事を知らされる。
ここは正に本州最北端、袋小路なのだ。


司馬遼太郎も「北のまほろば」で・・、
『 江戸時代の千住を出発すると奥羽海遵が、関東と奥洲をながながとつらぬき、ついに津軽半島にいたって松前街道と名がかわり、半島の先端の三厩村(竜飛崎)で尽きる、古街道としては、墨痕一筋というべき雄大さをもっている。日本中の道という道の束が、やがて一すじのほそいみちになって、ここで尽きるのである。 』と言っている。


崎の正面に大きく「帯島」が横たわっていて、そこには多数のカモメが群れていた。
この帯島の海中下に「青函トンネル」が通じている。

竜飛崎にて、青函トンネル工事に携わった人々の人間模様を描いた映画、「海峡」が1982年に封切られている。

本州と北海道を結ぶべく着工した青函トンネル開通工事に従事する技術調査員を中心に、長年に渡って難航を極めた大プロジェクトに取り組む人々の人間模様を描いたドラマである。
 
「北海道と本州間で運航していた青函航路では客船の事故などが相次いだことから、航路の安定が望める青函トンネルが造られることとなった。そして、その掘削調査に津軽半島を訪れた技術調査員の「阿久津」(高倉健)はある日・・・、」

岩川隆の同名の原作の映画化で、「八甲田山」の森谷司郎が執筆、監督も森谷司郎、撮影は「駅/STATION」の木村大作が担当している。

男たちを陰で支える女の代表として、吉永小百合が見事な存在感を披露していた。クライマックスは、苦悩と犠牲の果てにトンネルが貫通したときに健さんの頬をつたった涙は、まさに本物であった。 
このシーンは、あの「八甲田山」のラストシーンでもお馴染みである。


次回は、「三厩




【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」




01. 15.

Google Analytics トラッキング コード