2012年6月11日月曜日

新・日本紀行(23)大潟村 「八郎潟干拓」(Ⅱ)

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小さな旅  

新・日本紀行(23)大潟村 「八郎潟干拓」(Ⅱ)


八郎潟干拓について・・、

元々の八郎潟は、東西12キロ、南北27キロ、水深はきわめて浅く、最深4・7m、平均水深3m程度であった。
その湖底のほとんどは軟弱粘土におおわれ、最も深いところでは何と50mにも及んでいたという。

八郎潟の干拓計画は、世界の最新土木技術を導入して「ヘドロ」と呼ばれる超軟弱地盤の上に新生の大地を作り上げようと言う計画であり、その広さは、東京都で言えば国鉄の山手線に囲まれた区域の約三倍にも及ぶ面積であり凡人からみれば、とてつもない計画であった。

ところで・・、

八郎潟の開発計画は古くから立案、計画されてきたという。
江戸安政年間(1854年~1860年)払戸村(現在の男鹿市払戸)の渡部斧松による「八郎潟疎水案」に始まり、その後、大正期(13年)、(昭和16年、23年)と計画されたものの財政、その他の事情により、やはり実現することはなかった。

しかし八郎潟開発の構想はその後も消え去ることなく、昭和29年(1954年)にオランダのヤンセン教授等が来日、それを契機昭和32年ついに着工の運びとなった。
そして足かけ20年、総事業費約852億円の巨費を投じた世紀の大事業は、昭和52年3月をもって全ての工事が完了した。

ヤンセン教授によるオランダの技術は、堤防の下5mぐらいまでのヘドロを全部取り除き、幅130mの砂床に置き換えるという大掛かりな工法で、日本の技術陣がついぞ克服できなかった軟弱地盤での築堤が、100%可能になったという。


因みに、「オランダ」という国は、ご存知の通りの低地の国で、国土の4分の1が海抜0メートル以下という。 
そして、風車の国である。
オランダでは最盛期に約九千基の風車があり、主として干拓の排水用として多く用いられたが、風車は、動力源としてその他にも粉挽き、水くみ、菜種油しぼり、製材など、幅広く活用されていたと。

更に風車のすぐれた技術は「造船」などにも応用され、やがて17世紀、オランダは世界の海を制して黄金時代を迎えることになる。

しかし、蒸気機関や電気などが発明されると、風車は建設されなくなり、現在は昔ながらの風車が千基ほど、文化財的に保存されているという。


オランダ第二の都市ロッテルダムの南東10キロの地に「キンデルダイク」というところがある。
平原と運河のこの村には、19基の風車群がずらりと並び、18世紀の美しい風景をそのままに残しているという。
キンデルダイクの長閑な風車群の絶景は、ただ美しいだけにとどまらず、オランダが国土を確保・拡大し、大繁栄を遂げた歴史の象徴として、「世界遺産」にも登録されている。


さて、日本では・・、八郎潟では・・、

この壮大な未知への挑戦に、技術者たちは燃えた・・!!。
だが自然は、彼等をそのまま受け入れてはくれなかった。
悪いことに工事途中で青森県西方沖地震、新潟地震、十勝沖地震と立て続けに大きな地震に見まわれているのである。 
知恵と汗と涙の結晶である堤防に、亀裂や地盤沈下が入ったのであり、その原因は最も恐れていた堤防下部の「砂の流動化現象」によるものであったという。

苦闘の歴史に終止符をうった後は・・、
干拓に携わった人々の回顧録の主題には「崩れ落ちた自信」、「不敵な挑戦」、「冷汗、油汗」、「血を吐き骨を削る苦労」、「責任の重大さに天を仰ぐ」等などと記されているという。
それだけに湖底が、新生の大地に生まれ変わった当初、干拓工事に携わった全ての人々は万感迫るものがあったに違いない。


オランダのヤンセン博士は、日本の技術陣の能力を誉め上げている。
日本の土木技術の質の良さは、高額の費用を払って私を招く必要はなかった程である。なぜ日本は私らを招いたか真意がわからない」といったという。
この謙虚さが日本人技術者の心証をどれほどよくしたか計り知れないとも言われる。 


次回は、「能代」です。




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