日本周遊紀行(29) 竜飛崎・「竜飛名所」
さて、竜飛崎は、北海道の白神岬とは津軽海峡を挟んで19km程の距離があり、この下を青函トンネルが通っている。
「JR津軽海峡線」であるが・・、
岬の真下を貫く、本州・北海道の世界最長の青函トンネルに敷かれた鉄道で昭和63年開業している。
その「竜飛海底駅」は非常時避難用の駅でもあり、海底駅見学整理券を持った人のみ下車できる、竜飛崎からも見学出来るという・・岬の下には「竜飛海底駅」があり、旧坑道をケーブルカーで降りて海底下の坑道を見学できるという。
「竜飛崎」は、津軽国定公園「竜飛」に指定され、三厩村・北緯41度15分・東経140度20分、標高120m(・・位?)、津軽半島最北、地の果てであること。
この竜飛崎は今や一大観光地になっていて、記念館、記念碑、名所名物もある。
「風車群」は、ウインドパークと銘打った風力発電群で、日本有数の風の地帯では自然エネルギーで、3000軒の家の電力を供給し、現在11基が稼動中である。 又、記念館や施設として、「青函トンネル記念館」「竜飛ウインドパーク展示館」「竜飛崎シーサイドパーク」「道の駅・みんまや」等々・・、
又竜飛は「記念碑の岬」としても知られ、吉田松陰碑・大町桂月碑・佐藤佐太郎碑・川上三太郎碑・大久保橙青碑・太宰治碑 などがあり、中でも、ご存知「石川さゆり」の歌碑「津軽海峡冬景色」は、一世を風靡した歌で知られる。
又、当地に「吉田松陰碑」がある。
江戸末期、長州藩の攘夷志士であった若き吉田松陰が、後に池田屋事件で客死する宮部鼎蔵とともに津軽の地を訪れたのは、嘉永5年(1852)の旧暦3月初めである。
小泊から峠を越えて三厩の海岸に出るが、松陰は竜飛崎に立って・・、
「竜飛崎と松前間の狭い津軽海峡を外国船が堂々と往来するのを許しているのは、日本の存亡にかかわる重大なことである・・」と悲憤している。
因みに、松陰が翌日訪ねた「平舘」(陸奥湾・平館海峡)には、既に砲台があったという。 松蔭は「大砲が7個あるが普段は備えていないこと、下北半島とわずか3里の海を隔てたこの要衝の地に砲台があることはすこぶる佳いこと、 また4年前に外国船がやって来て、5、6人の異人が上陸したこと」などを日記に書き残している。
この砲台場は松陰がこの地を訪れる4年前に、幕府の命により津軽藩が築造したもので、高さ2メートル、長さ90メートルの扇形の土塁には、松がぐるりと植えられ、海上からは見えにくい工夫が施されているという。
現在もその名残を留める「お台場跡」が有る。
このお台場跡のすぐ側を南北に走る国道280号には、1キロにわたって見事な黒松の並木が続いている。
およそ300年前の津軽4代藩主・信政によって植樹されたとも伝えられる。
この道は、松前藩が参勤交代で通ったことから「旧松前街道」の名がある。
おそらく松陰たちもこの松の並木道を歩いたことだろう。
国道階段の手前には、車が海岸へ通じる道が敷かれている。 そのヘアーピンカーブを下ると、竜飛漁港がある。
今でも竜飛の家々は、海峡を吹き付ける狂暴な風雨から守るためであろう、断崖にへばりつき、お互いに身を寄せ合うように建っている。
さらに部落の路を先に進むと、いよいよ路が尽きるのである・・。
ここに太宰治の碑が立っていて記念碑銘文は・・、
「ここは、本州の袋小路だ。 読者も銘肌せよ。 諸君が北に向かって歩いている時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外が濱街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すっぽりとこの鶏小屋に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである。 」・・と、この碑によって行く手が阻まれる事を知らされる。
ここは正に本州最北端、袋小路なのだ。
司馬遼太郎も「北のまほろば」で・・、
「江戸時代の千住を出発すると奥羽海遵が、関東と奥洲をながながとつらぬき、ついに津軽半島にいたって松前街道と名がかわり、半島の先端の三厩村(竜飛崎)で尽きる。古街道としては、墨痕一筋というべき雄大さをもっている。
日本中の道という道の束が、やがて一すじのほそいみちになって、ここで尽きるのである。」と言っている・・。
崎の正面に大きく「帯島」が横たわっていて、そこには多数のカモメが群れていた・・。
この「青函トンネル」工事に携わった人々の人間模様を描いた映画、「海峡」が1982年に封切られている。
次回は、 青森「三内丸山」・・乞う御期待・・!!
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