2009年5月15日金曜日

日本周遊紀行(24) 能代・「能代駅と水運」

日本周遊紀行(24) 能代・「能代駅と水運」

能代の街並みに入って、朝食を摂るためと町の状態や駅舎の様子を窺った。 
秋田を代表する大都市・・?のわりには、JR能代駅の駅舎は1階建てのこじんまりしたもんであった。 時刻表を見ると、能代駅というのは奥羽本線ではなく「五能線」であることに気がついたのである。 
秋田県北部にある比較的大きな街というイメージの「能代」ことだから奥羽本線沿線の街かと思ったが、そうではなかった、隣駅の東能代駅が奥羽本線なのである。

奥羽本線は、福島駅から山形駅、秋田駅を経由して青森駅に至る路線で、東北本線に対比してそれより西側の主要都市を結ぶ幹線のはずである。
本線建設は、明治中期の1894年北の青森~弘前間が先ず開通している。 次に南部の福島~米沢間が開通して、その後、順次北と南から工事が進められ、1905年に全線開通している。

その能代であるが本来、奥羽本線は能代市街地を通すはずであった。
しかし、何故か地元民に反対されてしまい結局、地の利もあって本線は「東能代駅」のみに落ち着いたらしい・・。 
奥羽本線の東能代は1902年に開通し・・、遅れて1908年、能代~東能代間の1駅区間が貨物取り扱いとして能代線、言わば本線の「盲腸線」として開業したのである。 
奥羽本線の青森、福島の間は日に10数本の特急列車が往来しているのに、「能代駅」は特急には無縁の駅なのである、ただ、能代・東能代間は特別に輸送頻度は多いが・・・。

「奥羽本線には能代駅がない」・・、そう、能代市街地の能代駅とは、幹線鉄道・奥羽本線の駅ではなく、いわゆる地方線である五能線の駅なのである。 
能代から先の北へ向かう五能線ダイヤは極端にすくなくなり、これはまさに「盲腸線」の状態であった。

「能代」は何故、本線駅建設を反対したのか・・?
能代は、米代川流域つまり「野の代」が転じて呼ばれたものであると考えられ、即ち水運により発展したのが「能代」の町であり、川との結びつきが強いのである。

能代市街の北部を、ゆったりと「米代川」が流れる。
奥羽山地の八幡平付近を水源とするが、米代川の語源は「米のとぎ汁のように白い川」と言われている。 
10世紀初頭の十和田湖火山が大噴火を起こし、その火山灰で白く濁った川の色を表現したとも言われているという。 

米代川流域には鉱山地帯が多く尾去沢鉱山、小坂鉱山、大葛鉱山、阿仁鉱山、太良鉱山などが在って、鉱山から出る鉱石は米代川での舟運で運ばれたという。 鉱山は約1200年の歴史があり、かつ ては金・銀を産出し、近代では銅を産出していたという。
また、この地区は優れた材木の産地でもあり、これらも米代川を使って運ばれた。 特に、丸太を筏にして川に流す筏流しは1964年まで続いたという。

明治中期に、鉄道敷設の話が持ち上がったが、地元民というより米代川に携わる水運関係者が、利益流出のための生活権を考えての反対だったといわれる。
水運は、鉄道や道路の整備がすすむとともにしだいに衰退し、いまは往時の面影はない。


その「五能線」は、東能代駅と南津軽郡田舎館村にある川部駅を結ぶJR東日本の鉄道路線である。
殆どが白神山地の西部、日本海沿岸を走るローカル線である。

歴史的には、南部地区は1908年に開業した能代の能代線より始まり、北部地区の青森県側においても、1918年、私鉄の陸奥鉄道が奥羽本線に連絡する川部~五所川原間に開業したのをきっかけに、順次延長されていった。 
昭和大恐慌の影響で、建設が一時スローダウンしたものの、1936年の陸奥岩崎~深浦間を最後に全通し、「五能線」と改称されている。

全通開通した五能線であるが・・、
岩館駅~北金ヶ沢駅間は海沿いを走るため、吹雪や強風、高波で運休することがシバシバ発生する。このことから地元の人々は、「不能線」、「無能線」とか云って、有り難くないあだ名が付けられているという。
又、臨時列車を除けば岩館駅~鰺ヶ沢駅間では5~7時間も運行されない時間帯もあるとか・・。

ところで、ご当地ソングの女王と言われる「水森かおり」が、所謂、ご当地の『五能線』を唄っている。 
御蔭さまと言おうか・・、五能線の秋田-青森を走っている快速電車「リゾートしらかみ」について、それ以来の年間乗客数が倍増したという。 
JR東日本・秋田の関係者は「水森さんに唄ってもらって、五能線が全国区になった・・」と喜んでいるようである。

次回は、白神山地


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01. 15.

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