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30、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(3)
大鳥居に飾られた扁額(へんがく)の意味、
そして、この大鳥居に飾られた扁額(へんがく)の文字が、海側と社殿側で異なっているということは知らない方も多いのではないでしょうか。
実は、この厳島神社の大鳥居の扁額には、以下のような謎の文字が刻まれています。
海側には「嚴嶋神社」、そして社殿側には「伊都岐島神社」と書かれているのです。
しかし、この社殿側の「伊都岐島神社」とは、どういった意味があるのでしょうか、ま
ず、「伊都岐島」の読み方ですが、これは伊都岐(いつき)島と読みます。
さらにその語源は、神仏分離が行われる前で言う仏教の弁財天のことであり、所謂、弁天様にあたる「市寸島比売命(いちきしまひめ)」から来ています。
勿論、伊都岐(いつき)島は厳島と同じ様な読みですが、名前を変えたのは清盛が厳島という名前を付けたとされます。
その理由はこの厳島神社の厳(いわお、いつ)とは、神聖と言う意味や他にも威力(勢い)が盛大であるなどと言う意味合いにもなります。
清盛は平家の繁栄と、将来、この厳島神社が、自らが創造した幻の都ともされた「神戸の福原京(ふくはらきょう)」の守護神として、この厳島神社の加護を得ることを想定していたとされます。 市寸島比売命とは宗像大社の三女神の一神でもあり、三神の中でも一番の神とされているのです。
厳島神社・大鳥居の「扁額」を書いたのはいったい誰かと言うと、扁額の裏には「明治7年甲戌四月二品熾仁親王謹書」と記されているそうで、江戸から明治時代の皇族である「有栖川熾仁(ありすがわ たるひと)親王」による染筆とされています。
親王はご承知の戊辰戦争や西南戦争、日清戦争において最高指揮官を務めた人物ですが、又、皇女和宮の元婚約者としても知られています。
次回、「厳島神社の大鳥居の謎・秘密(4)」
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