27、世界遺産;厳島神社の仮説 「平家滅亡と厳島神社」
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当時の中国・宋は、北方民族「金」(今の中国東北地区・満州)の侵略を受けていました。
武器の確保は、宋にとって最重要課題だったのです。
清盛は、非常に優れた情報収集能力を持っていて、非常に優れた戦略化であり、偉大な外交家だったのです。
当時の東アジアの情勢については”自分の手のひらを見るように詳しかった”のです。
宋が弱体化している今こそ、平等な貿易関係を築くことが出来る絶好のチャンスだと思っていました。
当時は、海に出ることはとても危険でした。
貿易都市として栄えた寧波、そんな貿易に携わる人にとって心のよりどころとなったのが、普陀山でした。
宗教都市・普陀山と貿易都市・寧波が近くにあるという関係は必然でした。
これは、厳島神社と福原の関係と似ていますし、つまり日宋貿易で重要な位置にあったのが、厳島神社でした。
厳島神社は、日宋貿易の入口であり出口なのです。
清盛は、貿易と宗教の相乗効果を知っていたのです。
日宋貿易によって日本の国力を高め、同時に信仰の聖地として厳島神社を築き上げたのです。
その後の源平の戦いで平家は滅びたものの、厳島神社に残された観音信仰そのものが機能していたので、厳島は残ったのかもしれません。
何故なら、鎌倉時代というのは日本の宗教界、仏教界では最も栄えた時代でもあったのです。
鎌倉幕府も貿易を念頭に置いていたので、この厳島の修繕には力を入れていました。
因みに、現在残されている具体的な仏教界と言うのは鎌倉期から派生した各種の宗派が引き継がれているのです。
今から800年以上前に清盛によって建設された海上神殿・厳島神社は今も輝き続けています。、そこにはまだまだ知らない謎が眠っているかもしれません。
本稿、世界遺産・厳島神社、終わり、
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