24、世界遺産;厳島神社の仮説 「厳島神社と普陀山と補陀落」
中国・普陀山の海辺の洞窟
普陀山多宝塔
中国・普陀山の島には南海観音の巨大な像があり、多宝塔など数々の御堂が立ち並んでいる。
この観音像は新し1997年に作られたとされ、この台座から南方の海を見渡す風景は絶景です。
そもそも普陀山が観音の聖地と見なされるに至ったのは、日本人の入唐僧であった慧鍔大師(エガク大師)が、中国の五台山から観音像を勧請しての帰路に、船が難破してたどりつい島で、中国四代仏教聖地の一つとして観音信仰の中心的存在となったともされているのです。
ここは日本のお寺が協力して建てたようで、日本の各地の観音菩薩の像が数多く安置されているのです。
普陀山には修行のお坊さんの数も多く、仏教学院が島内にもあります。 中国人は仏教や観音信仰にも敬虔であり、圧倒的に信徒の数も多く、また非常に真摯に祈る姿が印象的なのです。
観光が普遍的になる中、中国全土からお客が訪れる地となっているようで、仏教と観光と共に力強く復興している様子が強く感じられます。
当地が観音霊場となった由来は、後述の「普済禅寺」の項にも記述される通り、平安時代の916年、中国への渡来僧である慧萼(エガク)が、中国留学を終えて日本に帰国しようとした際、日本に招来しようとした観音菩薩が当地で日本に渡ること拒んだ(=不肯去)、という故事にちなんでいるといわれます。
よって、その観音菩薩は「不肯去観音」と称されており、そのお堂は「不肯去観音院」と呼ばれているのです。
以後、この舟山群島中の普陀山は、観音菩薩の浄土である補陀落に擬せられ、人々の信仰を集める中国有数の霊場となり、普陀山という名称の由来も浄土を意味する補陀落からきています。
因みに、観音信仰が隆盛になると、その霊地として「補陀落」の名称が各地で広まったとされ、特に中国では現在の浙江省にある舟山群島を補陀落(普陀山)として遠隔地にまで観音信仰が広がったとされます。
因みに、日本でも熊野や日光が補陀落になぞらえられ信仰を集めたとされ、日光という地名は補陀落から二荒(ふたら)、そして二荒(にこう)から日光となったという説もあるのです。
中世の平安期には観音信仰に基づき、熊野灘や足摺岬などから小船に乗って補陀落を目指す、所謂、「補陀落渡海」(生きたまま浄土へ船出でする)という修行の有り方が盛んに行われたといわれます。
次回、「中国・普陀山と平清盛の関係」
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