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日本周遊紀行(18)相良牧の原 「お茶と意次」
牧の原台地を新緑の茶畑群が一面に覆う
「牧の原台地」
大井川を渡り吉田町から榛原町、相良町を行くと、右手方向の高台に沿って緑の絨毯が敷き詰められている。 茶畑である。
日本国内の約半分の生産量を占める静岡県の内、およそ7割が標高150メートル前後の、この「牧之原台地」で作られているという。
明治維新の時、幕府の瓦解で食の糧(かて)を無くした幕臣が大挙して静岡に移住し、そのなかで元新徴組隊士200人余が隊長・中条景昭とともに荒地の牧の原台地に入り開墾したという。
それに続いて大井川渡しで失職したの川越人足達数十人も加わった。
開墾は苦難の連続で脱落者も出たが、やがて近隣農民達にも開墾を促され、牧の原台地は東洋一の大茶園に変貌した。
ここでチョットお茶談義を・・、
お茶の銘柄で「やぶきた」とよく言われるが、これは米のコシヒカリ・ササニシキと同じ品種の名称で、全国で8割以上が「やぶきた」品種を栽培しているという。
よく言われることだが・・、
「緑茶」とは製造工程で高温の蒸気を当てるため、葉の中の酸化酵素が働かなくなり、鮮やかな葉緑色がそのまま残ることから言われる。
ここが酵素で酸化発酵させる紅茶やウーロン茶との違うところであり原料は同じらしい。
緑茶には、旨味成分としてアミノ酸のアルギン酸やテアニン、渋味成分のタンニン、カフェインなどを含み、栄養成分ではビタミンCとEや各種ミネラルを含み、滋養飲料として重宝がられる所以であろう。
製法では「深むし茶」、「浅むし茶」と比較されるが、深蒸し茶はその名のとおり茶葉を蒸す時間が長いため苦味や渋味が柔らかになって飲みやすい。 いわゆるマイルドな味わいのお茶をいう。
蒸し時間の短い若蒸し製法(浅むし茶)は、お茶の葉の質がストレートに出る製法で、長時間蒸すことにより香りと渋味を消してしまった深蒸し茶にくらべ、香りや甘みが増すという。
最近の消費者は渋味を嫌い、また忙しいため、お湯をそそぐとすぐに出る深蒸し茶の需要が高くなっているともいう。
しかし、丹精込めて育てた山のお茶のすばらしさを味わうには、若蒸し茶が最適だとも愛好家は言う。
榛原町の海岸は遠浅の砂浜が延々と続き、砂丘には松林が品良く連続している。
特に「静波海岸」は良い。
100メートル位沖まで歩いていけるほど遠浅で、その名のとおり波静かな静波海水浴場は逸品である。
水質も良く、規模も東海一の静波は全国的にも知られ、毎年夏には100万人前後の海水浴客で賑わうという。
元々水好きな小生、子供が幼少の頃はこちらへ数回訪ねたことがある。
車にテントを載せて、東名の吉田インターからは一投足で「静波オートキャンプ場」へ着く。
松林に囲まれたオートキャンプ場は設備も良く整っていて、実に勝手が良かった。 そして、なにより海は目の前にあった。
よちよち歩きの赤ちゃんでも安心して、波打ち際で遊ばせることが出来るのは、ここぐらいだろう。
相良(さがら)の街へ至る。
ここは善と悪との評判高い、大名「田沼意次」(たぬま おきつぐ)の城下街である。
紀州藩主・徳川吉宗が将軍として江戸に上がった時、300石の旗本として御供をした父意行(もとゆき)の子として江戸で生まれている。
八代将軍の徳川吉宗に登用され、九代将軍家重、十代将軍家治に仕える。
遂に老中を兼任するまでに至り、相良藩5万7千石の大名に取り立てられた。
このころより「田沼意次」を中心とした幕府の閣僚は、農業より商業を優先した数々の政策・幕政改革を手がけ、田沼時代と呼ばれ権勢を振るう。
町人・役人の生活が商業金銭中心のものとなり、その為、贈収賄が横行したとも言う。
「意次」も政策実行のため「袖の下」を利用し、所謂「ワイロ政治」と呼ばれた。
この時代、天災、飢饉、疫病が多発し、江戸商人への権益を優先したことを理由に賄賂疑惑を流され、田沼政治への批判が高まる。
更に、急激な改革が保守的な幕府閣僚の反発を買い、将軍家治の死亡後に遂に失脚することになる。 失脚後は蟄居を命じられ、領地も没収される。
次の松平定信(陸奥・白河藩主)の時代になって「倹約政策」が実行され、賄賂や庶民の贅沢は一切禁じらた、「寛政の改革」という。
1758年に田沼意次が相良藩主となり、12年かけて築城した相良城は、三重の堀をめぐらし、建物も「けやき」づくりで、遠く海上からも眺められ、まるで竜宮城のようであったと言われている。
「相良」における藩政は、下町の整備、産業の奨励、飢饉対策や相良湊の整備など地元民には多いに貢献している。
『 白河の 清きに魚も 住みかねて
もとの濁りの 田沼恋しき 』
現代ではかなり問題であるようが・・!!
次回は、「御前崎」
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