日本周遊紀行(132)厚木 「厚木基地」
厚木基地(エキサイト地図)
厚木市域には無い、「厚木基地」・・?
ところで、小生が初めて「厚木」を知ったのは東京在住の頃、昭和30年代後半で(20代前半)、 この頃、山歩きの味を覚えた時期で厚木周辺の低山や大山、丹沢山塊を歩くために厚木の駅(小田急・本厚木駅)でよく仲間、友人と待ち合わせをしていたもんである。
その頃の駅周辺はかなり鄙びた感じで、鉄筋コンクリートの建物などは無く、薄ぎたない木造平屋建ての粗末な食堂やうどん屋が数件並び、神奈中バスの集散営業所などが在ったことを記憶している。
現在では県央の中核都市で小田急の本厚木駅を拠点として発展し、大きなビルも建ち並び、既に昔日の面影は無い。
ところで、小田急線の一つ手前相模川の対岸の駅に「厚木」駅がある、実のところ駅の所在は厚木市ではなく海老名市なのであるが・・、
かって小生も間違えて降りてしまった事があり、厚木市に御用向きのある方で初めて当地を訪れた方は今も時折、本厚木駅(実際の厚木市の駅)を一つ手前の厚木駅とを間違えて降りてしまう人がいるらしい。
海老名市に厚木駅が存在する理由は、現在のJR相模線や小田急線より開通が早かった相鉄厚木線(貨物線)がかって在り、まだ駅のなかった厚木町(当時)の承諾を得て「厚木」と付けられたというのが説である。
又、この貨物線は「厚木航空基地」(現、米軍厚木基地)への貨物列車の連絡専用線としての駅でもあり、そのための名称でもあったとされる。
厚木基地について・・、
さて、今度はその「厚木基地」のことであるが、駅名同様にこの基地は地図を見ても判るとおり、呼び名のような厚木市内には存在しない。
敷地は大和市と綾瀬市にまたがっているが、両市とも名前の由来となっている厚木市との間には、海老名市や相模川によって隔てられており、地理的に「厚木」との関連性は全くない。
なぜこの飛行場に「厚木」の名がつけられたのかについては昔から様々に論じられているようであるが、決定的な事は今でも定かでないらしい。
基地の歴史は、昭和13年に旧日本軍が航空基地として定めたことから始まりで、昭和16年には帝都防衛の為の海軍航空基地として使用が開始されている。
太平洋戦争末期は海軍の東京防空拠点となり、人員・装備とも枯渇しきった大戦末期の海軍航空兵力の中にあって、数少ない精鋭部隊の一つであり、祖国防衛、敵機迎撃のため出撃の拠点だった。
終戦の1945年8月、日本がポツダム宣言を受諾し降伏を決定すると、米軍は東京占領の基点として厚木飛行場に白羽の矢を立てた。
戦後の8月30日、連合軍総司令官・ダグラス・マッカーサーの乗った輸送機「バターン号」が厚木飛行場に着陸する。
そして、「メルボルンから東京へ、長い道のりだった」と第一声を放った。
このとき、彼が細いコーンパイプを咥えてタラップを降りる写真はあまりにも有名である。
その後、昭和20年の終戦により連合国軍を構成する米軍に接収された。
以来、米第7艦隊の後方支援基地となり、この間、昭和46年には基地の一部が海上自衛隊に移管され、日米共同管理体制が採られるようになり、米海軍は「厚木航空施設」として、また、海上自衛隊は「厚木航空基地」として、所謂、日米共同使用の基地として現在に至っている。
さて、その「厚木基地」であるが、厚木市域にではなく、基地の名称とは異なる前述の二市に所在している。
このことは多くの人の疑問なのであるが、この名称の由来については、次のようなことが言われている。
一つに「厚木」は、この近隣で古くから「小江戸」と呼ばれていた通り宿場町、生産物の拠点、交易の場として栄え、全国的に知られていた名であること。
二つに基地の所在を欺くなど、軍事上の理由によるもの。
三つに大和基地とすると、大和(やまと)は古代の日本国名や朝廷の名称であり「戦艦大和」や奈良の大和などを連想し混同しやすい。(綾瀬の地域名は当時存在しない)
など諸説あるようだが、実は確証がなく、今だにその由来は解明されてはいないという。
駅や基地名の他にも、厚木ナイロン(現アツギ:海老名市)、雪印乳業・厚木マーガリン工場(海老名市)、アートコーヒー 厚木工場(海老名市)等、厚木市外にも拘らず周辺に「厚木、アツギ」の名の付く企業名やその他がけっこう在るのである。
次回は、「小江戸・厚木」
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