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日本周遊紀行(121)合併の町 「小湊と日蓮」
千葉房総の「合併の町」について・・、
九十九里浜の中心より北部に位置する町村域は「平成の大合併」で、大幅に変化しているようである。
北から先ず「香取市」である。
千葉県北東部の市で2006年3に佐原市と香取郡小見川町、山田町、栗源町が合併して誕生している。
対岸の茨城県と接し、市北部の利根川に面した低地部は水郷と呼ばれ観光地として知られる。「香取市」の市名はこの地方ゆかりの名称(郡名)であること、合わせて由緒ある下総一の宮・香取神宮から選定されたものであろう。
「旭市」は2005年7月 、現旭市と干潟町、海上町・飯岡町が対等合併し、新しい「旭市」となっている。
「旭」という呼称は一説には「旭将軍」と呼ばれた木曽義仲の末裔である木曽義昌がこの地で死去したのを惜しんで命名されたともいわれている。
木曽義昌は、戦国期の信濃国の武将で、木曽谷の領主・木曽氏の第18代当主。
1590年、徳川氏の関東移封に伴って子義利に下総国阿知戸(現在の旭市網戸)の1万石が与えられている。
2006年(平成18年)1月23日 、八日市場市、野栄町が合併し「匝瑳市」が発足する。
「匝瑳」とは、難解である、「そうさ」と発する。
匝瑳を”そうさ”と読める人は千葉県民にも少ないといわれ、日本全国でも屈指の難読市名であろう、クイズ番組にでてきそうであるが。
匝瑳(さうさ)については・・、近畿の豪族・物部氏(物部氏の一族)が、朝廷から下総国の一部を与えられ、その名を「匝瑳郡」(さふさごおり)とし、その子孫が物部匝瑳(もののべのそうさ)氏を名乗ったと伝えられている。
匝瑳(さうさ)の語源については定かでないが、匝(そう・さふ)は、布(布巾)に通じ麻の織物、「総」のことで、瑳(さ)は、あでやかである、美しい事を意味する。
つまり、“美しい麻のとれる土地”のことで往時の下総国、房総にも通じると云われる。
地元の人は「匝瑳市」とは難儀ながら、縁起のよい漢字を充てたものと考えられているようである。
尚、「麻」に関係するとする「総の国」、「房総」の起こりについては、この先、館山の項:「房総・安房神社」に詳細記載してあります。
次に、2006年3月27日に光町、横芝町とが合併して新たく「横芝光町」が誕生する。
この地は、江戸期幕末に商人・測量家である「伊能忠敬」(幼名・小関三治郎)を輩出していることは先に述べた。
又、蓮沼村、成東町、松尾町、山武町の4町村が、2006年3月27日に合併し「山武市」が誕生する。
山武は、“やまたけ”ではなく、“さんぶ“でもなく、「さんむ」と称する。
当初は、合併後の新市名を稀有壮大な「太平洋市」にする予定だったが、一自治体に太平洋を名乗るべきではないと言う趣旨の抗議が相次いだ為、住民アンケートを行って現在の市名に変更されたという。
そして、九十九里と南房の境に「いすみ市」(いすみし)が、2005年12月5日に誕生している。
岬町、大原町、夷隅町の対等合併で、夷隅郡(いすみぐん)から市名を付けたという。
ただ、前にも記したが行政名で「ひらがな文字」は戴けない。 せめて、夷隅市で良かったのでは・・?、
「夷隅」は古事記にも絡む由緒ある地名のようだが。
ひらがな文字の地域名、行政名については・・、
“実際には合併の時の市町村同士の摩擦を避けるための名称なのではないか”
“他の市町村名との差別化を図って自己の市町村を目立たせるためではないか”
などの事由が有るらしいが、何れも住民、叉は当局員の「エゴ」によるものであろう。
このような偏見的見方は、いずれ時が解決するものである。
因みに、「漢文字」は、それ自体が主体性の有る独特の意味を持つ固有の文字であるが、「ひらがな」は漢字を楷書ないし行書で表現される仮名(万葉仮名)を、極度に草体化(くずしたもの)したもので、ひらがな文字自体は言語の「音韻」を主に表わすもので、言語の意味を呈してはいないとされる。
次に、勝浦、小湊について・・、
国道128は、勝浦の岬の付根を上り下りしながら、勝浦の市街地へ来た。
勝浦湾を正面に町は広がっていて、なかなか雰囲気がある。
目抜き通りに”朝市通り”というのが在る。
天正年間から400年以上も続いている勝浦の顔「朝市」は、ここで今も毎日開催されている。
四季を通じて、近郷近在の採れたての野菜や果物などの山の幸や、その日の朝漁港で水揚げされたばかりの魚介類などの海の幸のほか、自家製の漬け物・つきたての餅・赤飯・しおから、から干物などの加工品などと、細工などの工芸品も店先に並べられている。
歴史と文化を感じる勝浦の朝市は、石川県の輪島、岐阜県の高山と並ぶ「日本三大朝市」の一つと言われている。
朝市通りは下町通り、仲町通りと2箇所あって、其々月の半数ずつ交代で行っているらしい。
「勝浦」は古くから漁業がさかんで、中でも勝浦漁港は国内有数の「カツオ」の水揚げ港である。
カツオの水揚げは1990年から日本一を記録している。因みに、同地名の紀州・和歌山の那智勝浦町は生マグロの町と言われ、「生鮮マグロ」の水揚高日本一を誇る。
面白いのは、この地「勝浦」の地名は、紀州・勝浦の漁業流民が当地に土着するようになって名付けられたという、こちらも詳しくは後ほど。
行川アイランドを左に見ながら、丘陵地というより山間地と云ったほうがいい。
つかのトンネルを抜けると、小湊の港へ出た。
気持ちのいい、静かな港・「鯛の浦」である。
字の如く、本来深海を単独で回遊する魚なのに、水深10~20mを鯛が群れをなして泳いてる。
学術的にも解明されていないといい、不思議な魚で一帯は天然記念物に指定されている。
日蓮が誕生した際、無数の鯛の群れがここに集まってきたとされ、この現象が奇跡とされ聖人の化身との伝説もある。
現在も鯛の浦の鯛は、餌を与えて手厚く保護しており、捕獲したり食したりはしないという。
このすぐ前に「誕生寺」が在る、日蓮は1222年(鎌倉初期)、ここ小湊のこの地に誕生した。
その後、直弟子 (1276)によって、生家跡地に建立したのが高光山・日蓮誕生寺である。
日蓮は、この地の奥山「清澄寺」に12歳で「僧」になるため入山し勉学に励んだ。
その後、鎌倉、比叡山などに遊学し、その後得度して布教活動を始め、日蓮宗、日蓮正宗、法華宗などを広め開祖となる。
他宗派(念仏宗)を批判しながら、著書「立正安国論」を表し、時の執権、最高実力者の北条時頼に送るが、逆に批判、法難をあびて伊豆に流されたこともある。
日蓮に縁のある寺院に身延山・久遠寺があり、東京・池上本門寺にて逝去している。
ところで日蓮宗派のお題目は「南無妙法蓮華経」である。
「南無」とは「~を信じる」、「妙法蓮華経」つまり「法華経」を信じよう、という事。
このお経の特徴は、全ての生きとし生ける者は皆成仏できると説いている点で、わざわざ西方極楽浄土に行かなくても、この娑婆世界で十分成仏できると説いている。
本来は法華経を読めばよいが、できない場合は、「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで同じ功徳が得られるともいうこと。
清澄山の山頂近くに「清澄寺」がある。
創建1200年を誇る、格式ある古刹であり、日蓮は12歳でこの山に入り教学し、得度している(高名な僧になっている)。
清澄寺は、比叡山延暦寺の流派である天台宗であったが、後に真言宗に変じ、大正期に日蓮聖人の銅像が完成してから信者が増え、昭和24年にこのお寺は日蓮宗に改宗、大本山として現在に至っている。
清澄山は標高377m、房総半島で2番目に高い山で、麻綿原高原へ続く尾根の道は、四季を通じてハイキングの名所である。 原種ツツジに興味のある小生、「キヨスミツツジ」の名所でもある。
海岸沿いに旅館やホテルが並ぶ鴨川のメインロードの中心に、御存知「鴨川シーワールド」が在った。 さらに海岸に沿って鴨川漁港の南に明媚な島々が広がっている、「鴨川松島」というらしい。
外房随一の名勝といわれ、水平線から昇る朝日をバックにした景色は素晴らしいといい、「新日本百景」の1つにも選ばれている。
その島群の一角、大海海水浴場の南に、「仁右衛門」という島がある。
島名は、島主の平野仁右衛門一族が一戸だけ住んでいることに由来するという。
居宅は、300年の歴史を刻んだ木造の立派な建物があり、今でも住んでおられるという。
1180年 静岡県伊豆の韮山に流刑されていた「源頼朝」が挙兵する。
頼朝軍と大庭景親のひきいる平氏軍が、相模国(神奈川県)の石橋山で戦い、平氏軍は3000人あまり、頼朝の兵はわずか300人足らずで敗れる。頼朝は海を渡り、安房(千葉県)へと逃げた。この時、追っ手をさけて身を潜めたと伝えられるのがこの仁右衛門島であり、今でも洞窟が残っているという。
その後、頼朝は地元の千葉介等、諸侯の協力を得て鎌倉へ戻り、平家清盛一門打倒への準備が整っていくのである。
天津小湊町と鴨川市は、平成17年2月に新「鴨川市」として合併誕生する。
次回は「南房総」
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