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日本周遊紀行(109)相馬 「野馬追」
2010年度、相馬野馬追実行委員会ポスターより
相馬氏と野馬追について・・、
仙台東部道路から国道6号線へ出る、別名「陸前浜海道」ともいう。
交通の要衝・岩沼市、歴史の街・亘理町を過ぎる。 宮城、福島の県境いでもある山元町は亘理町と合併し「亘理市」として発足するらしい。
いよいよ福島県だ、我が故郷の県である。
国道6号が相馬市内に入って、その郊外に中村神社・城跡が在る。
相馬氏代々の氏神とその居城であり、17世紀、相馬18代藩主・相馬義胤(そうま よしたね)公により建立されている。
始めは平安初期、坂上田村麻呂が蝦夷遠征の際に、北の守りを固めた「砦」として造営されたとも言われる。
元々、相馬家は下総国(千葉県流山市)の住人で千葉氏の一族であった。
源頼朝の奥州平泉の藤原征伐、いわゆる、奥州合戦に従軍し、その功績によって奥州行方郡(今の鹿島町・原町市・小高町辺り)地を与えられ、これが奥州・相馬家の成立の起因となった。
相馬氏の居城は、元は小高城であったがこの頃、対立抗争を続けてきた伊達政宗が仙台城に移ってから、これに呼応して伊達氏に備えて中村の地に築城移転したともいわれる。
相馬・中村神社は別名「お妙見さま」とよばれ親しまれているようだ。
相馬地方の三神社(後記)は明治期の神仏分離政策によって、妙見宮から神社に改名されたものとされる。
因みに、妙見とは「妙見菩薩」を信仰することであるが、但し、妙見信仰あるいは妙見菩薩についての本質は未だ良く分からないという。 一説には古代中国の思想で北極星(北辰とも言う)を仏教思想化して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになったともいわれる。
相馬氏の中村移城にともなって、同時に妙見宮を小高から移して祀ったとされ、妙見信仰は相馬武士の精神的支柱であり、今でも「相馬野馬追」の総大将はここ「妙見宮」から出陣している。
さて『相馬野馬追』のこと・・、
それは相馬氏の祖国、下総国相馬郡小金原に野生馬を放し、敵兵に見たてて軍事訓練をしたことに始まるといわれている。
捕えた馬は神への捧げ物として、相馬家の守護神である「妙見様」に奉納したという。
奥州相馬氏の祖・相馬義胤が陸奥国行方郡にこの神事を移して以降、戦国時代には伊達氏をはじめとする奥州諸豪に備えるための軍事訓練として、又、「妙見宮」へと奉納する神馬の神事として続けられた。
相馬・中村藩時代には現在の原町市街地の南部一帯を「妙見神馬の牧場」として馬を放牧しながら、甲州・武田流の兵法を野馬追に応用し、その陣立てによる騎馬の訓練をも行っていた。
併せて、野馬を追い駿馬を捕らえて「妙見社」に奉納する行事をも兼ねたといわれる。
明治以降は、妙見三社(小高神社・太田神社・中村神社)による祭礼行事として定着していたが、明治5年頃には野馬原の野馬はすべて狩り獲られ、旧来の「野馬追」は消滅したという。
その後、相馬三妙見の一つである太田神社(原町市)中心となって野馬追祭の再興が図られ、それが今日の「相馬野馬追」祭礼の原型になっているといわれる。
現在は、相馬野馬追執行委員会(委員長=原町市長)が中心となり、新地町、相馬市、鹿島町、原町市、小高町、浪江町、双葉町、大熊町、葛尾村、飯舘村が支援する祭りとなっている。
祭礼は毎年の7月23日~25日の3日間に亘って行はれ、特に最終日、原ノ町郊外の「雲雀ケ原」で行はれる、甲冑競馬や神旗争奪戦は見物である。
「相馬野馬追」は国の重要無形民俗文化財に指定されている。 叉、相馬市は千葉県流山市と姉妹友好都市を結んでいる。
歴史の街,・相馬は全国的に知られた民謡のふるさとでもある。 この地方だけで十数種の民謡が残る。
名の通った曲は今日でも全国的に愛唱されている。
「相馬流れ山」は、相馬藩主が下総の「流山」から移ってきたために命名された。 元は軍事陣立の唄であり、今でも勇壮な「相馬野馬追い」の祭りには必ず唄われる。
『相馬流れ山』 福島県民謡
相馬流れ山ナァーエ ナァーエ
習ゐたか ござれナァーエ
五月中の申ナァーエ ナァーエ
アノサお野馬追ナァーエ
『新相馬節』
ハアーア 遥かかなたは 相馬の空か
ナンダコラヨート チョーイチョイ
相馬恋しや なつかしやナンダコラヨート
ハアチョーイチョイ)
『相馬盆唄』
ハアアーアイョー
今年ゃ豊年だよ アコーリャコリャ
穂に穂が咲いてよヨー コラショット
ハアアー道の小草にも
ヤレサナ米がなるヨ
アヨイヨイヨーイトナ
国道6号線・陸前浜街道を南下する。
沿岸地ではあるが、やや内陸部を走り海面は見渡せない。
丘陵地の裾には田園地帯が連なり、いかにも東北の温暖地と言える風景である。
「陸前浜街道」の名称はすでに8世紀初頭、陸奥の国の国府 として多賀城(宮城県)が置かれ、そこに通じる官道「海道」として開かれた事に始まる。
JR東日本の常磐線が並行して走り、常磐高速道は富岡町まで延びていた。
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