2016年2月17日水曜日

中国地方の旅・岡山県: 備前宇野 「瀬戸内の直島」







 中国地方の旅・岡山県: 備前宇野 「瀬戸内の直島」   、



http://www.town.naoshima.lg.jp/img/about/map.gif


http://www.town.naoshima.lg.jp/thumb/?src=/images/upload/image201203301059591.jpg&w=576&h=350&zc=1&zc=100




ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 
にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

旅の記録;「日本一周」へリンクします

宇野港の正面に位置する「直島」は、我が青春の1ページに記憶されている・、


長い、尾坂トンネルを抜けると県道22号線となり、やがてJR宇野線と真近に並行しながら南下すると行き着くところが宇野の街である。 
あまり往来する人もないアーケードの商店街を更に進むと、洒落た赤い三角屋根の宇野駅であった。

当然ながら40数年前の昔の駅舎とは大部違っていることだろう。 
駅舎を横目に見ながら、更にゆっくり前進させると、やがて大きな埠頭にでて、ここで行き止まりである。 むろん岸壁には全く線路の面影は無い。

かっては宇野駅から線路が岸壁端まで在って、接岸された連絡船内まで延びていた。 そう、ここは北の青森駅の「青函連絡鉄道」同様、西国唯一の四国・高松を結ぶ国道フェリー「宇高連絡鉄道」の埠頭ターミナルであった。 

当時の国鉄時代の鉄道車両を積載した岸壁は今は瀬戸大橋の開通とともに廃止され、普通の埠頭に改修された。
そして、目の前に大きく横たわる「直島」、「高松」へのフェリー埠頭になっている。 
現在、直島に向かう船はこの宇野港と更に、直島から香川・高松港へ連絡している。
この便は今も昔も変わらないようである。

小生とって、宇野港、直島そして高松は、青春の一ページを飾った懐かしい土地柄である。


20代後半(昭和43年)、品川白煉瓦(製鉄、非鉄精錬に要する耐火炉材のメーカー)の東京本社に勤務していた。 
業務上、香川県・直島の三菱金属精錬へ銅溶解炉建設のため、凡そ1年間の出張勤務を命ぜられた。東京から直島までの行程は東海道本線、山陽本線の「寝台専用列車・瀬戸」か、新幹線で新大阪(当時は新幹線は東京⇔新大阪のみ)を乗り換え山陽本線にて岡山、宇野に達するかの何れかで、宇野からは乗合船(フェリー)で島へ渡ったものである。 
殆どは、全室個室の「走るホテル」と言われた寝台専用列車・「瀬戸」を利用し、東京駅を22時前後発で、終着宇野へは翌朝の7~8時頃の到着であった。
宇野は、列車や乗合船を待つ間や休日には遊興、買い物等でブラブラした街であった。
直島までの乗合船は、「宮之浦」という港を出入りしていて、勤務する為の宿屋がこの港の上部、見晴らしの良いところに在った。

記憶に残るのは、朝6時頃の一番船が出る頃、船長が好きだったのかどうか定かではないが、船から当時、流行(はやり)の「長崎ブルース」(青江 ミナ)や「ブルーライト・ヨコハマ」(いしだ あゆみ)の曲を時折、結構大きな音量で流していたことであり、それがハッキリ宿屋の部屋まで達していたことである。 
朝の目覚めの時間帯であったので、さして苦にはならなかったけど、早朝の頃に夜のムーディーな曲を流す不思議さと、連日、聞かされたため知らぬ間に歌詞を覚えてしまった事であった。
そして、給料日の後は、チョット贅沢に高松まで繰り出して遊興を楽しんだものであった。
今の宇野港は、昔の面影は全く無いのは当然ながら、記憶の方も彼方へ消し去っていたようである。

又、3億円強奪事件が発生したのもこの頃であった。
「昭和43年12月10日午前9時30分頃、東芝府中工場のボーナス3億円(実際には2億9434万1500円)を積んだ日本信託銀行・国分寺支店の現金輸送車が、ニセ白バイの警官に現金輸送車ごと盗まれた。日本史上はじまって以来の巨額強奪事件で、3億円は今の貨幣価値でいっても30億円近い金額であり、昭和63年同日、民事上の時効が発生、今も未解決である。」



「直島」は、岡山県・玉野市(宇野)の目の前に在り、当然、経済、文化、社会の面では岡山県との結びつきが強い。 しかしながら行政上は讃岐・香川県に属しているらしい。 

江戸期、直島諸島と「小豆島」は、その海上交通上の重要性から徳川氏の直轄領となって讃岐国に移し替えられ、明治維新後は香川県に属したまま今日に至っているという。
また、保元の乱(平安期1156年)で敗れた崇徳上皇(すとくじょうこう:讃岐・金毘羅宮に大物主神:おおものぬしのかみと共に同祀)が讃岐へ流される際に、一時、四国上陸を拒否され、三年間を直島の泊ヶ浦(積浦)で過ごしたとされてる。 

島内各地に上皇ゆかりの地名や名所があり、直島という島名自体も島民の純朴さ、素直さを賞賛して上皇が命名したという言い伝えがある。
直島村は大正期、三菱鉱業の打診した銅製錬所を受け入れ(現、三菱マテリアル)、煙害、公害問題を発生させながらも、三菱の企業城下町として一気に発展し、人口増加と豊かな税源等で香川県内でも有数の豊かな生活が手に入ったという。
思い出の地「直島」へ渡って、当時の小生の足跡を辿ってみたいのだが・・んん・・!!。


次回は、倉敷・「鷲羽山」

  
「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします






【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」



01. 15.

Google Analytics トラッキング コード