google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 四国の旅・愛媛県: 伊予波方 「村上水軍」(Ⅱ)

2015年12月15日火曜日

四国の旅・愛媛県: 伊予波方 「村上水軍」(Ⅱ)






 四国の旅・愛媛県: 伊予波方 「村上水軍」(Ⅱ)   、




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村上水軍博物館




60年程続いた南北朝の時代に、南朝の後醍醐天皇の懐良親王(かねよししんのう・後醍醐天皇の第11皇子)を助けたとされる「村上義弘」が頭角を現し、村上水軍の基盤を確立した。

一時は、瀬戸内全域を制する海賊大名であったが、織田水軍(和歌山・九鬼)と2度戦い、2度目の戦いで織田水軍が仕立てた鉄甲船(紀伊の九鬼水軍)の前に大敗し、次第に勢力を弱めていった。 

更に豊臣秀吉の時代になり、海上の権力を警戒した秀吉によって海賊禁止令が出され、次第に衰退してゆくが、中世の歴史を語るのに村上水軍を外して語れないともいわれ、晩年、朝廷より義弘公は正五位を賜っている。



来島海峡大橋のすぐ西側に、周囲1kmほどの小島が「来島」である。(来島の南に実際に「小島」という島もある) 
往時、来島・村上水軍がここに根拠をもち、来島城の城塞が全島をめぐらしていたという。

しかし、水軍の将家・来島家も、徳川幕府の成立にともない豊後(大分県)に移封され、その後再び今治に戻ることはなかったという。 



こんな、村上水軍の古跡の地に、今でも、その精神、技術が継承されているのだろうか・・?、
大西町、波方町(現今治市)には、造船で有名な来島ドッグがある。 
戦前は、軍艦などを建造していたが、現在は日本でも有数の産業用の造船所として伊予地方の経済を支えている。


戦後、経営難に陥った「来島ドック」の再建を引き受けたのが、伊予地方出身(松前町)の坪内寿夫であることは有名な話である。

社長に就任いらい伊予商人独特の月販方式(月賦販売、今で言うクレジットは伊予今治が発祥地といわれる)などをテコに急成長し、その後も佐世保重工業など造船会社の再建を相次ぎ引き受け、巨大な造船グループを築いたことで、業界では造船の神様、四国の大将とも称される。


次回は、「今治





  
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