google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 近畿地方・兵庫県淡路洲本; 「稲田騒動と廃藩置県」

2015年8月31日月曜日

近畿地方・兵庫県淡路洲本; 「稲田騒動と廃藩置県」






  近畿地方・兵庫県淡路洲本; 「稲田騒動・Ⅲ」   、





「版籍奉還」、「廃藩置県」とは 、

戊辰戦争終結後、勝者の官軍であった薩摩、長州を中心とした新政府が曲がりなりにも誕生し、天皇を中心とした親政政治がスタートする。
なにしろ、朝廷政治が行われていたのは平安時代であり、それ以来で実に700年ぶりの朝廷政治である。 その間は源頼朝の鎌倉幕府から徳川幕府の、所謂、武家を中心とする政治が行はれていた。 

平安期と明治の最大の違いは、外国事情を知った明治人が、外国と互して強固な国土を造ることだった、つまり富国強兵であった。 その為には中央の政権が強力でなくてはならず、封建政治(封建制度・天皇の下に、多くの諸侯が土地を領有し、諸侯が各自領内の政治の全権を握る組織)から天皇を中心とする中央集権国家の造営であった。 

先ず、明治2年(1869年)、中央集権を促すために全国の各藩主が旧来領有していた土地と人民とを朝廷に返還する、即ち「版籍奉還」のことで、わが国、封建政治を終結させる大変革を行った。 これは、次に行うべき「廃藩置県」の前提でもあった。

薩摩、長州、土佐、肥後の四藩が実施し、次に徳川家も同じように行っている。
しかし、版籍奉還後も旧藩主が知藩事となり、世襲制などの封建制度が存続していた。 そのため此れを更に打破すべく薩摩の西郷、大久保、大山、長州の木戸、山県、井上ら7人が中心となって合議し廃藩置県を押し進めよとしていた。
新政府出仕の主要な人物たちは皆往々にして下級武士の出であった。西郷や大久保の上に立つ、薩摩の島津久光は強固な封建主義者であり、これらを実施することは不忠者の汚名を着せられ、後々まで久光に頭の上がらないのは必定であった。

当時の武士たちにとって不忠の汚名ほど心理的に苦しいものはなかったのである。
ここで西郷は「私情においては忍びがたいが、廃藩は天下の趨勢である。地元については、わしが全責任を持つ、おはん等は粛々と進めよ」、この一言で策は決した。
これによって7人は廃藩置県を奏上し、天皇詔書(みことのり)により勅令は発せられ、1871年(明治4年)、廃藩置県は施行された。
明治維新の一大画期であり、一種のクーデターとも言われる。 
各藩においては、意外と騒動らしいものは無かったらしいが、薩摩藩だけは久光公が花火を打ち上げ、最後の抵抗と意義申し立てを行ったともいう。 
諸外国も日本の変革を知り、大いに驚きながら歓迎したという。


更に次回へ続きます






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