google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 大阪府・大阪: 「浪速とミナミ」

2015年8月30日日曜日

大阪府・大阪: 「浪速とミナミ」







 大阪府・大阪: 「浪速とミナミ」 






出典;Wik



水の都・大阪は浪速とも云われる



大阪市内に入ると、水辺や橋の多さに驚く。 
古来、譬え(たとえ・引き合いに出す)として、「大江戸八百八町」、「京都八百八寺」、そして「浪速八百八橋」といわれる。 江戸は町屋が多く、京はお寺が多い、そして、大阪は橋が多いという意味である。 
大阪は古くから都へ通ずる水上交通の要地で、江戸期には幕府直轄地として庶民、商人の町として繁栄し、出船千艘、入船千艘と謡われたれた。

大阪は浪速・難波・浪花とも読まれるが、昔は「なにわ・浪速」といわれ古代の日本書記には、たくさんの川があって、いずれも流れが急であったので「浪速・なみはやの国」と名付けられていたという。
又、大阪の古い呼称で「浪花・難波」ともいって、共に水に縁があるのが面白い。 大阪は、やはり「水の都」といってもよい。現に、中ノ島などは川の中洲にある官庁・オフィス街である。

又、この地域は、やはり水運に関連した「船場」があり、往時の周辺には船宿、料亭、両替商、呉服店、金物屋などが軒を並べ、政治、経済、流通の中心地となっていた。 
江戸時代になってからは「天下の台所」として北部を中心に日本の商業の中心ともなっている。 
現在は、東西南北の船場が有り、大大阪の中心地として繊維問屋や商社、証券会社、銀行等が集中しており、大阪より発生した大商社・伊藤忠商事や丸紅などは、この船場を出発点とする企業だと言う。
中ノ島の北側を流れる堂島川は、江戸期には水上交通の要衝であり、米市場があって相場をなし、いわゆる相場の発祥地でもある。ここで大阪商人により江戸をはじめ全国各地へ送られていった。

難波は「なんば」ともいって、道頓堀以南、浪速区の北部にわたる一帯を指し、私鉄・地下鉄の難波駅がある。 
大阪の広域的な通称で、「キタ・北」や「ミナミ・南」と云ったりすして、北は、大阪駅を中心とした北区辺りを指し、南は、通天閣のある天王寺、難波を中心とした地域を指しているようである。 
所謂「ミナミ」は、難波、道頓堀、心斎橋、法善寺横町、天王寺といったエリアで食い倒れ、難波花月、ひっかけ橋(戎橋)といった、いわばコテコテの大阪的なものは全てここに集まっているとされる。
さしずめ、難波は、南場といったところか・・?。

小生、20代後半の頃、仕事で国鉄・大阪駅(現、JR大阪・・乗り入れてる私鉄の駅名は何故か梅田駅という・・?)から難波の南海電鉄で堺東へ何回となく行き来し、ついでにミナミでよく遊んだのが懐かしい。 


次回。「大阪駅とキタ」






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