2015年1月30日金曜日

新・日本紀行(17)焼津 「日本武尊と大井川」 


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 新・日本紀行(17)焼津 「日本武尊と大井川」 






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日本武尊所縁の地・焼津に鎮座する焼津神社




焼津は「日本武尊」伝承の地

焼津へ到達した。 
昔から全国一遠洋漁業の盛んな街であり、焼津漁港の全水揚げの6割がカツオ、3割がマグロといわれる。 
江戸期には焼津産の鰹や鯛を駿府城に隠居していた徳川家康にも献じたといわれ、所謂、駿府城御用達でもあった。


焼津は静岡市との境に「東海の親不知」とも言われる駿河湾に面した深海湾が、険しい大崩海岸というリアス式海岸を形造っている。
この険しい地を、日本坂トンネル(1979年7月、トンネル内で発生した事故火災により、数十人の死傷者と170台の車が延焼したことで有名)を抱える東名高速やJR、国道がひしめきあっている。

それとは対照的に南側には、大井川の扇状地である志太平野が焼津の町・港を形成している。
この様な特殊な海岸地形が、昔から漁業が盛んだったともいわれる。



JR焼津駅の南西約1kmに「焼津神社」が鎮座している、祭神に「日本武尊」(ヤマトタケル)を祀っていて、この地はその伝説の地でもあった。

古事記における日本神話では日本武尊の東征のとき、この地の国造(くにのみやっこ:古代の世襲の地方官)が謀って日本武尊のいる野原に火を放ち陥れようとした。 日本武尊は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ:三種の神器の一つで熱田神宮の神体である)で周囲の草を薙ぎ、向火(迎え火:山火事などを抑えるのには有効といわれる)を放って難を逃れたと伝える。 
その様相が烈火のように見え、あるいはその火で葦が焼け燃え盛ったという伝承から、「焼津」と命名されたといわれる。

又この後、この剣を草薙剣(くさなぎのつるぎ)と命名されたとされる。
尚、日本武尊の東征の様子は、東日本編の「千葉・木更津」の項で記載してあります。
千葉・木更津URL::http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-16-5.htm




 http://onakasuitakibun.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_9c7/onakasuitakibun/IMG_0797-fbccb.JPG?c=a1



http://www.city.yaizu.lg.jp/g07-006/images/skyview_mtfuji_dropshadow.jpg




意外と水量が少ない広大な大井川河口付近。(河口に一番近い大平橋より)





市内を過ぎると、道は地方道(県道)31号を行くようになる。 石津辺りの松並木が実にいい雰囲気を造っている。 
大井川町の海岸部は、大井川河口のデルタ地帯といえる見通しの良い平坦地が続く。
その大井川の港を迂回して河口に一番近い「大平橋」を渡る。

広大な河口は砂州と水流の部分が半々ぐらいであろうか、橋の長さも2kmに及ぶようだ。 
大井川は,3,000m級の山、南アルプスを源流とする大河であり、日本でも有数の急流河川として知られる。   
だがこの辺り、広い川幅の河口の割には比較的水量は少なく見受けられる。 渇水期でしかも上流に多くのダムが作られているせいもあろうか。

しかし、昔は違っていたとよく言われる。

  『 箱根八里は 馬でも越すが、
           越すに越されぬ 大井川
 』

といわれるように、往時は東海道を基点に上・下流の遠方まで橋は架けられていなかった。


大井川は南アルプスの険しい山岳地帯を流下する。
流域の平均年降水量は3千mmと多雨地域に当たり、古くから水量の豊富な河川であった。 
加えてフォッサマグナの崩落地帯が上流にある為土砂流出量も多く、広大な河原を形成している。 
中流部は「鵜山の七曲り」に代表される大蛇行地帯でもあり、こうした特徴的な河川形態が大井川を国境として利用され、駿河国と遠江国の境界線であった。 
ただ氾濫により度々流路が変わるため、紛争の原因にもなりやすく、徳川家康や武田信玄の対立の導火線になったといわれる。

江戸時代には江戸防衛のために架橋や渡船が禁じられていたという。 
そのため人や馬の背に乗せて旅行者や荷駄を渡河させる川越(かわごし)が行われた。これによって、東海道でも1,2を争う難所とされ、増水の際は川留めとなった。



慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで東海道筋の大名は秀吉の恩顧に反し、揃って東軍・徳川方に付き、その功あって戦後は山内一豊は土佐へ加増転封されたのを始め、堀尾吉晴(ほりお よしはる:豊臣政権三中老の一人、出雲松江藩)や中村一忠(秀吉重臣・一氏の嫡男、伯耆米子)等の諸大名は西日本へ転封となった。 

その後は、東海道筋は天領・親藩・譜代(徳川家近臣)の大名で固められ江戸の防衛に当っていた。 
大井川に関しては、当時平均水深が80cm余りあり急流であったことから、江戸の防衛に加え家康の隠居城であった駿府城の外堀の役目を果たす為、架橋はおろか船による渡し舟も厳禁とされたという。 
この為武家大名・庶民問わず大井川を渡河する際には馬や人足を利用して輿や肩車で渡河する川越(かわごし)が行われた。
こんなことで、大井川を渡河する拠点の宿場町として「金谷」等が発展したという。


この河口上流・東海道線に「金谷」の駅が在る。
名物、大井川鉄道のSL列車が大井川に沿って「千頭」まで上る。 SLの郷愁を感じつつ、大井川の清流と広大な川根茶の畑を眺めながら、秘境・寸又峡の景観に触れ、温泉に浸かる。 
2,3度訪れたことがある良き旅の思い出であるが、尚、千頭駅からさらにアプト式鉄道井川線(スイスで生まれた、歯車を使って急坂を登る特殊鉄道で、2本の線路の間に歯車用のレールを付けたもの。急な坂を専用機関車を連結し力強く登って行く)で接阻峡温泉駅そして南アルプスのふところ深く「井川」まで延びている。
秋の紅葉シーズンに是非訪れたい処である。


次回は「牧の原、御前崎







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