2014年2月4日火曜日

新・日本紀行(129)東京 「江戸城・桜田門」


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 新・日本紀行(129)東京 「江戸城・桜田門」 



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「桜田門外の変」略図と現在の桜田門





幕末騒乱の時期、「桜田門」外で起きた「変」について・・、



江戸城・皇居の東にあたるのが表門といわれる大手門、西側にあるのが半蔵門、そして南面のあたるのが「桜田門」である。


皇居外苑と日比谷公園に挟まれた銀座四丁目に通づる主要道路(15号線)を西へ進むと、新装成った白い高層の東京警視庁が聳える。
昭和期までは赤茶けた威厳のある建物でTVなどでもお馴染みであるが、この建物の正面に「桜田門」がある。
この警視庁を通称あるいは隠語として“桜田門”と呼ぶときもあるという。


更に、西へ進むと正面に日本の政治を司る国会議事堂があり、この周辺は所謂永田町といわれる処で政治の中枢機関が集積しているところでもある。

この一角に「紀尾井町」という、何やら意味深の地名があるが、江戸時代には徳川御三家の「紀州家」、「尾張家」そして、「井伊家」の屋敷が占めていたことから、その名付けられた。 
その頭文字を一字づつ取って「紀尾井町」としたのである。

井伊家といえば幕末の大老である「井伊直弼」も住まわれた地である。
尤も、実際の井伊直弼の住んでいた井伊家の上屋敷は、今の議事堂の正面にある憲政記念館の処であり、桜田門からこの地までの距離は概ね500mぐらいであろう。 
この桜田門の付近で大老・井伊直弼が襲撃、斬殺されたのは安政7年(1860年)3月3日であった、享年46。

安政年間とは・・、
徳川治世が家康以来250年以上もの長期間を有していて、いよいよその屋台骨がぐらつき始めた頃でもあった。



江戸時代後期の日本には外国船が相次いで来航した。 
嘉永6年(1853年)、アメリカの使節ペリー黒船(黒い塗装の軍艦)4隻を率いて江戸湾の浦賀沖に、更に翌年、軍艦7隻を率いて再渡来して日米和親条約が調印され、日本は新しい時代に船出することを余儀なくされた。
その後も引続き米国総領事ハリスが下田に来日、ペリー顔負けの強圧的な態度で、日米通商を求めてきた。

この頃、お隣の中国ではアヘン戦争(当時の清とイギリスとの間で2年間にわたって行われた戦争で、名前の通り、アヘンの密輸が原因となって発生した戦争)に敗北した結果、日本国内でも対外的危機意識が高まり、幕閣では海防問題がしきりに議論されるようになる。

通商の求めに対して何とか先延ばし戦術を取りながらも、混乱をさばいてみせた老中・阿部正弘も心労がたたって退任、幕府・諸藩・公家の混乱はピークに達していた。


安政の年号は1859年まで約6年間続くが、その頃世間では「攘夷」か「開国」かで幕府と朝廷、幕府と水戸藩とが意見の相違、二元論的対立関係になってゆく。
勢力で言えば、圧倒的に攘夷派優勢という図式であり、それら攘夷に頑強な水戸や朝廷もその意向でもあった。

ところで、アヘン戦争で敗戦国となったは多額の賠償金と香港の割譲、各地のの開港を認め、又、治外法権、関税自主権の放棄などを余儀なくされた。 所謂、戦勝国・イギリスと清との間に不平等条約を締結せざるを得なかった。

この事を知った幕閣は列強国とは穏便に開国せざるを得ず、通商条約実施の方向へ傾くようになる。
調印を迫ってきたハリスに対しても、阿部正弘の後の老中に就任した堀田備中守は、朝廷の権威を借りて事態の打開を図ろうと孝明天皇から勅許を得ようとしたが、朝廷とその取巻き達(梅田雲浜ら在京の尊攘派)に反対され得ること出来なかった。


攘夷」とは、外来者を追い払って平和を維持するという発想・考え方で、国内では国学の普及にともなって民族意識がとみに高まった時代でもあった。

尊皇攘夷とは・・、
天皇を尊び外圧・外敵・外国を撃退しなければ日本の未来はあり得ないという考え方で、江戸幕末に革命の旗印になった思想でもある。
尚、尊皇攘夷の延長線上には天皇を親政とし、徳川幕府は徳川藩一藩とし、尚且つ倒幕の思考が含まれてもいた。 
これらの急先鋒が長州の吉田松陰、越前の橋本左内、儒学者の頼三樹三郎などであった。

このような攘夷論者が跋扈する安政5年(1858年)4月、近江の井伊家藩主・井伊直弼が大老職(将軍の補佐役、臨時に老中の上に置かれた最高職)に就任し、これらの混乱を収拾しようとした。




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