2014年1月27日月曜日

新・日本紀行(128)千葉 「千葉城」






 新・日本紀行(128)千葉 「千葉城」 



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四層五階の「千葉城」って実際に在ったの・・?

今の千葉市に根拠を持った「千葉城」(別名、亥鼻城・いのはなじょう)は、源平争乱の時期、常胤の父・千葉常重によって築城されたといわれる。

当時の千葉城は都川の下流、東京湾に臨む「亥鼻丘」(千葉市亥鼻:いのはな)に築かれ、西は絶壁、北は都川が自然の水堀となり、南は細長い侵食谷、東は台地が続く天然の要塞であったという。 

だが、城郭としての天守や石垣はなく、木造の城主館に櫓、矢倉、米倉などを配した典型的な中世期の城郭であったという。


その千葉城跡の遺構は今はほとんど残っておらず、土塁や堀切の一部にその面影を留めるのみであるという。


尚、亥鼻山の北側の麓には史跡・「お茶の水」という井戸がある。

千葉氏の祖・平良文(平安中期の武将、千葉氏を含む坂東八平氏の実質的な祖とされる)の子、忠頼が生まれた時にこの泉が湧き出しと伝えられ、以降、千葉氏は代々この水を産湯としたと伝えられる。

源頼朝が千葉城に立ち寄った時、千葉常胤はこの湧水で茶を献じたという。



現在、亥鼻丘の千葉城跡は「文化の森」と呼ばれ、市民の憩いの場所になっていて、園内には昭和42年に四層五階の天守が小田原城を模して築かれたという。

天守の前には千葉常胤の銅像が建つ。 


しかし、今の模擬天守閣は、もちろん鎌倉から室町期においては、このような天守閣がありようはずもなく、復元ではなく近世の天守閣に擬した創作物であるとされている。

周辺には、北東の台地上に千葉大医学部があり、台地続きの南側に千葉県文化会館、千葉県立中央図書館、千葉城の西約400mの低地には千葉県庁などといった公共施設が多い。

ただ、前述したように、元々の千葉城は天守閣など持たない中世期の木造の平城であった。 従って、この四層五階の「千葉城郭」に関し史実とは異なるのではないか・・?、
これは行政による偽造であり、捏造だと一部有識者が問題提起しているようである。

又、歴史の偽造を平気で行う当局・千葉市も問題であるが、それを批判しないで持ち上げるマスコミ・新聞もおかしいのではないか・・?、という批判も相次いだと言われる。

観光目的の見世物であり、似非物のお城だとすれば・・、これは一体どうなるのだろうか・・?。

次回、千葉神社






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01. 15.

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