2013年10月23日水曜日

新・日本紀行(125)君津 「久留里」






 新・日本紀行(125)君津 「久留里」 



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歴史ある「久留里」は君津市の地域であった・・、

地図を見て確かめると、成る程、君津市域の湾口部は僅か3km程度しかないの近距離の幅である。
そして、湾口部にはあの「新日鉄君津」の事業所が大部分・・?、否、100%占めているのである。 
その為でもあろう、現在の人口的市街地は、JR君津駅周辺とした湾岸部に集中している。

だが、市全体の範囲は房総内陸の山間域が大部分をしめ、それらは鹿野山や亀山周辺の三島湖の行楽地、歴史の町である「久留里」辺りが市の主要部分と言ってもよさそうである。

その君津市久留里地区は房総半島の中心に位置し、その一昔前までは太平洋岸の勝浦、小湊、鴨川地区と武蔵、江戸地区を結ぶ交通の要衝であった。
そして既に、平安末期の頃から城が築かれ、房総の代表的な城下町で里見家、黒田家等の武将の居城として名を馳せた歴史ある地区で、今もその面影が色濃く残っている。
久留里の地名は戦国期から見られるという。



16世紀半ば、戦国大名として名を馳せた里見氏は、ほぼ房総全域を拠点としていた。 

戦国期、相模小田原の北条氏(後北条)の勢力が武蔵から房総に及ぶと、里見氏は久留里城を最前線として北条氏と対峙する。 
だが中央より勢力を伸ばしつつある豊臣秀吉の北条氏攻め(小田原の役)が行はれる。 このとき秀吉より里見家参戦指示がでる。 だが里美氏は内部事情が生じて参戦に遅参してしまう。
戦局は秀吉が勝利し、小田原北条は滅亡する。

しかし、充分な戦果を出せなかった里美家は、その罰として上総全域および下総南部の所領が召し上げられ、安房一国のみと減領されてしまう。 結果、没収した上総、下総の領地は、徳川家康に与えられてしまう。
従って里見氏は、逆に久留里を最前線とする徳川氏と対峙することになる。

更に、慶長19年(1614年)
大久保忠隣失脚事件に連座したとして、里見忠義は安房一国を没収されて伯耆倉吉に転封となってしまう。
里美家は房総より失脚し、久留里城は最前線としての役目も終わり一時は廃城になりかける。

江戸中期には、衰退していた久留里は黒田直純が上野沼田から入封して再び久留里藩が立藩され、次いで久留里城も再建されている。
以後、久留里は黒田氏の支配の下、明治4年(1871年)7月の廃藩置県まで存続していた。
現在は、城山公園として模擬の天主が立つ。



次回、君津 「久留里城」 







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