2012年3月21日水曜日

日本周遊紀行(215) 輪島 「能登・御陣乗」

.



「長生きするものは多くを知る。 旅をしたものはそれ以上を知る」 
<アラブの諺>  

 日本周遊紀行(215) 輪島 「能登・御陣乗」  .


御陣乗太鼓
写真:能登の奇祭・御陣乗太鼓


南北朝時代に足利尊氏に従い、室町幕府創立時の功績によって能登、越中を領する守護大名に列せられるのが「畠山氏」であった。 
かの、鎌倉幕府創立時、頼朝の重臣として大活躍する「畠山重忠」を祖にもつ名門であり、室町時代には斯波氏や細川氏とともに三管領家(将軍を補佐して幕政を統轄した官位)として名を連ねていた。


天正5年(1577年)の戦国期、能登・畠山氏は上杉謙信によって滅ぼされる。 
この時、上杉軍が畠山残党退治に遠征してきたとき、名舟(輪島市名船町)の地で村人達が鬼面や海草を顔に付け陣太鼓を鳴らして驚かせ、追い払ったといわれる。 

これは伝説の域をでないが、この事が有名な「御陣乗太鼓」の発祥、起源とされている。 
御神乗太鼓は、名舟大祭といわれ、白山神社の祭礼で披露され、御輿の渡御・還御の先導として露払いを務める役割を担うという。


天正5年、越後の上杉謙信は能登・七尾城を攻略して、

『 霜は軍営に満ちて  秋気清し 
越山を併せたり  能州の景
 』

と詠じ、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。
 

現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。  
武器らしいものがない村の人達は、鍬や鎌で打ち向かったが散々な負け戦であった。 

そのような時、村の古老の指図に従い、急場の一策として樹の皮をもって仮面を作り、海草を頭髪とし、太鼓を打ちならしつつ上杉勢に逆襲をかけた、この奇襲作戦が功を奏し、戦いを勝利に導いたという。 
面をつけ、太鼓を打つことによって、「御陣乗っ取り」を果たしたのである。

この戦勝は舳倉島(へぐらじま)の奥津姫神社(白山神社)の御神威によるものとし、毎年、神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)には仮面を被り、太鼓を打ち鳴らしながら、御輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っているという。 
以来名舟の村人たちは、戦勝の感謝を氏神に捧げるために、この御陣乗太鼓を叩くようになり、400年以上にわたって今に伝えられる。


始めはゆっくり、次にやや早く、最後はもっと早く、即ち序・破・急の三段で打ち切り、各自が自由な形で見えを切り、面に応じ、個性を生かした芸を入れるのが御陣乗太鼓の見どころであり、聞きどころであるという。 
又、御陣乗太鼓の踊り手は、地元に生まれたものにしか資格がなく、地元の子供たちは週2回、大人は毎晩太鼓の練習をし、一般に御神乗太鼓は男性が打つものとされ、女性の演奏は単に太鼓演奏として区別しているという。 

尚、ゴールデンウイークの4月29日(土)から「道の駅・輪島 ふらっと訪夢」でも夜に実演されるといい、御陣乗太鼓は今や、すっかりテレビでもお馴染みでになっている。


次回も更に輪島で、「輪島塗



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」




.
01. 15.

Google Analytics トラッキング コード