google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(214) 門前町 「曹洞宗・祖本山」

2012年3月17日土曜日

日本周遊紀行(214) 門前町 「曹洞宗・祖本山」

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「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」 
<松尾芭蕉(奥の細道)>  

 日本周遊紀行(214) 門前町 「曹洞宗・祖本山」  .




総持寺山門
写真:豪壮な総持寺祖院の山門



この辺りの地名で、「門前町」というのは一寸な奇異な感じもするが・・?、

一般に、地域区割で門前町といわれる市町村は多々あろうが、門前町をそのまま行政名にしているのは極めて珍しい。 

能登・外浦に面する門前町はこんな町である。 その門前町の本院は「総持寺」である。 
外浦の八ヶ川を少々内陸部に入った地に、大本山総持寺が在り、この辺り、門前町門前というからご丁寧である。



1321年に瑩山禅師(けいざんぜんじ)が開き、永平寺と並ぶ曹洞宗の修行寺として栄えてきた。 
その後、明治31年(1898年)の大火で多くを焼失し、本山は神奈川県の鶴見へと移された。 
現在では、祖院として、大本山のおもかげを偲ばせる幽玄な寺院となっていて、焼失を免れた経蔵、伝燈院、慈雲閣などが境内にたたずみ、また、七堂伽藍も再建され、威厳と風格を今に伝えている。


私事ながら、横浜・鶴見は母の実家であり、小生が若かりし頃一時住んでいた地域であった。 
鶴見・総持寺は、首都圏である京浜工業地域の真っ只中にあり、東海道、京浜、京急などの各線が走る鶴見駅の駅前という、好立地・・?にも恵まれている。 
山門を入った広大な境内には幾つもの伽藍が林立してたのを覚えている。

因みに、近くには「生麦事件」(江戸末期、薩摩藩主の行列にイギリス領事館員が馬で行列を妨害し斬殺された。薩英戦争のきっかけになる)で有名な生麦地区があり、又、1963年(昭和38年)11月9日、国鉄・鶴見事故が発生し、死傷者300人を出した地域でもある。


曹洞宗」の本山は、現在はこの鶴見・総持寺と御存じ越前福井の「永平寺」である。
大本山永平寺は、高祖・道元禅師(どうげんぜんじ)が鎌倉期・1244年に開いたのが始まりで、今では全国に1万5千の末寺、檀信徒は800万人といわれている。 
無論、禅師が入滅した地でもある。 


道元禅師の後、数えて4世にして瑩山禅師に受け継がれ、師は、58歳にして、能登国の諸嶽寺(もろおかでら)を寄進されたのを期に、名を総持寺と改称し禅寺に改め、瑩山禅師教えの「大本山諸嶽山総持寺」とした。 

今でこそ、半島の外れの片田舎にあり、八ヶ川が造りだした小さな小さな盆地、清流と新緑に囲まれた幽玄の地に忘れかけたように大伽藍群が静座しているが、大本山当時は、時代が遡るに従って信徒をはじめ多くの人物が往来し、隆盛の極みであったという。

福井の「永平寺」を「越本山」と称したのに対し、こちらは能登の総持寺能本山」と称した程である。 曹洞宗の拠点寺であったためか、鶴見への移転には多くの信徒達から反対された経緯もあったらしい。

曹洞宗を開いたのは、道元禅師であるが、今一つの中国禅宗の流れをくむ臨済宗(りんざいしゅう)は、幕府や貴族階級など時の権力者の信仰を得たのに対し、曹洞宗は地方の豪族や一般民衆の帰依(きえ)を受け、もっぱら地方へと教線を伸ばしていったという。 

この辺りにも、庶民相手とする大本山が能登の僻地へ構えたのも納得できる。
2006年2月1日、門前町は隣接する輪島市と新設合併し、新しい「輪島市」となった。


【追記】  、

平成19年(2007年)能登半島地震・・、
2007年(平成19年)3月25日9時41分58秒、日本海の輪島市西南西沖でマグニチュード(M)6.9(気象庁暫定値)の地震が発生し、門前町(輪島市)も震度6強を記録したという。 

幸い死者は無かったが、門前町地区(旧門前町)の中心商店街(総持寺通り商店街)では主要な各商店も傾き、崩れた商品がいたる所に散乱、特に160年にわたって続く造り酒屋の酒蔵も崩れ、「のれん」を下ろすという。 

避難した住民の中には、「もうこの町は元には戻らない」と焦りの声も聞かれるという。

頑張れ・・!、門前町民・・!!。


次回は、「輪島



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