google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行;石見銀山紀行(9) 「守り神と間歩」

2011年11月3日木曜日

日本周遊紀行;石見銀山紀行(9) 「守り神と間歩」

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 日本周遊紀行;石見銀山紀行(9) 「守り神と間歩」   .






石見銀山の守神・「佐比売山神社」




写真:石見銀山遺跡・「龍源寺間歩」入口


龍源寺間歩の内部




落ち着いた雰囲気の「安養寺」からは道路は山峡の地へ入り、車がやっと一台通れるくらいの道幅である「新切間歩」や「福神山間歩」などがあり、間歩までは約1.5kmの坂道を緩やかに登って行くと最奥に「龍源寺間歩」があった。 
尚、間歩(まぶ)とは、明治以前は坑道(こうどう)のことを指していた。


この「龍源寺間歩」の近くには、前述した「佐比売山神社」があり、鉱山の神様をまつる神社として知られている。
社は参道、鳥居、山裾の階段を登った先、鬱蒼とした木立の中に鎮座している。

佐毘賣山神社は、鉱山開発の祖神である益田の同社・佐毘賣山神社から分霊、勧請したもので石見銀山の主神であり守り神である。 
主神は鉱山の神とされる「金山彦命」を祀る。


面白いのは石見銀山の主神・佐毘賣山神社と同名の神社が、同地域の大田市内の三瓶山の麓にも鎮座していることである。
この社は、大国主命が国土経営の時、佐比売山(三瓶山の旧山名)山麓に池を穿ち、稲種を蒔き、田畑を開いて農事を起こし、民に鋤鍬の道を教えたので神徳を仰いで、この地に祀ったという。 
所謂、米造り、金属の神とされる。 

配神として鉱山の神である「金山彦命」を祀ってはいるが、直接の鉱山の神ではないらしい。


だが、新羅(朝鮮)からの伝承をもつ三瓶山であり(国引き伝説)、元より稲作技術、金属精錬、鉱山開発の技術、それらの集団は朝鮮半島より伝わったものとされている。
これらの意味をこめて三瓶山の麓に、自身の山名でもある佐毘賣山神社を祀ったことは道理なのである。

出雲地方に共通した社名が付くのは決して偶然ではなく、神社としては珍しいことに三瓶山の佐毘賣山神社をはじめ、益田の佐毘賣山神社、石見銀山の佐毘賣山神社の三社殿とも西北風(あなじ)が吹いてくる北西に向かって鎮座しているという。
このことは渡来発祥の地・新羅(朝鮮半島)に向いているもので、渡来の民の祖国を想ってのことと推察できるのである。

佐毘賣山神社の各社は、今では忘れられたように鬱蒼とした叢林の中に苔生して鎮座している。



さて、「間歩」のことである。

小さな受付小屋があって、「変な・・おじさん・?」が居座っている。 
山蔦に覆われた坑道の入り口に「史跡石見銀山遺跡龍源寺間歩」とあり、現在唯一内部を見学できるのが、この龍源寺間歩のみであるという。 

龍源寺間歩案内板より・・、
『 江戸中期以後に開発された間歩(坑道)で、「御直山」と呼ばれた代官所直営の創業地にあった坑道で、中でも銀山を代表する「五か山」の一つです。 坑口の横には番所(管理小屋)を設け、四ツ留と呼ぶ坑木を組み合わせて坑口としています。坑道は、ほぼ水平に約600m掘り進んでおり、高さ1.6~2m、幅0.9~1.5m、採掘と同時に鉱石運搬の幹線坑道としても使ったようです。内部の岩質は角礫凝灰岩、坑道の壁面や天井にはのみ跡が残り、鉱脈を追って掘り進んだ小さな坑道(ひ押し坑)や上下方向に延びる斜坑を見ることができます。排水用の坑道でもあった下の「永久坑」へ降りる垂直の竪坑も残っています。  坑道は入り口から水平に約630m続いており、そのうち現在公開している坑道は、156mまでで、そこから新しく掘った116mの連絡通路で栃畑谷へ通り抜けるようになっています。床面の高さは入坑しやすいように一部で掘り下げたところもあります。 』


銀を掘るために掘った坑道を間歩(まぶ)というが、石見銀山に500余り存在するとも言われる間歩の中で、現在一般公開されているのは「龍源寺間歩」のみとう。  
しかしその龍源寺間歩にしても、見学できるのはほんの一部分であり、その奥にアリの巣のように掘られている坑道は見ることができない。 

龍源寺間歩よりもっと大きな坑道もあったようで、 近年までは電動のトロッコ列車なども使用されたようである。


間歩入り口は小さな洞窟で、古い坑道の壁面 には当時のノミの跡がそのまま残ってている。最盛期の頃は間歩の掘削は1日5交代の24時間フル稼働であったそうで、縦1m・幅60cmの横穴堀は大変な作業であり、当時の技術では熟練の堀子(ほりこ・鉱山労働者)でも1日に掘り進める距離は凡そ30センチがやっとであったと言われている。 

因みに、掘子の賃金は熟練の者で銀2匁(1匁=3・75g)で、今のお金で5000円位であったとか。(江戸・慶長年間) 
壁面に残る当時のままのノミ跡が堀子たちの過酷な労働を想像させる。


龍源寺間歩は、石見銀山に掘られた500ほどの坑道のうち、江戸時代の中頃に開発された坑道で、代官直営坑道「五山」の一つである。 
「御直山五ヶ山」とは、「龍源寺間歩」、「永久間歩」、「大久保間歩」、「新切間歩」などを五ヶ山と呼んでいる。


次回は、「銀山街道




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