google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(153)鹿屋 「航空基地」

2011年7月17日日曜日

日本周遊紀行(153)鹿屋 「航空基地」

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 日本周遊紀行(153)鹿屋 「航空基地」  ,



垂水市街から「桜島」の展望



鹿屋基地から特攻出撃して戦死した人々の員数は凡そ千人弱とも言われる・・! 

 
国道220から垂水に近づくと、いよいよ眼前に迫力ある「桜島」が迫る。
昨日通った国道10号の「大崎の鼻」からは丁度反対側からの眺めになるが、垂水市内から桜島の展望が効く位置の所々で、その勇姿をカメラに収めて戻ることにする。 


垂水市の海岸道の柊原から古江辺りの国道220号は、道路面の拡張、改修されていつ実に広々として走り良い。
更に、付近住民の理解と協力があってか、素敵な町並みが出来上がっている。 
望むならば、この国道町並みをもう一工夫して、例えば洒落た街灯などを設置すると更に引き立ち、名所・櫻島や鹿児島にも近いので、街の名物として成り得ると思うが如何であろうか・・?。 


確か、昨秋訪れた北海道東部の音別町辺りだったと思うが、市街地を貫通する国道38号線には、町花である「エゾリンドウ」をモチーフにした街路灯が連続して設置されてある。
夜ともなると、真直ぐ続く街頭の明かりは宛ら(さながら)遠くから眺めると滑走路の様だともいわれ、ドライバーにはすこぶる評判が良く、更に、霧がかかると幻想的で、音別町の「ふるさと自慢」の一つにもなっている。


その、海岸の鹿屋市古江からは内陸方向の鹿屋の中心市街地へ向かう。 

気持ちのいい海岸道路であるが、目を内陸方向に転ずると海岸からいきなり急峻な山並みが競り上がっているのが判る。
この山地は高隈山系といって1000m以上の山塊が連なっていて高峠、大隅湖、猿ヶ城渓谷などの景勝地もある。

そして、日本におけるブナ林の南限であり、「森林生物遺伝資源保存林」に指定された地域でもあるらしい。
高隈山系の最高峰は、チョット珍しい山名の大箆柄岳(おおのがらだけ:1237m)といい、頂上からの眺めは素晴らしく、桜島や開聞岳、大隅半島、霧島連山などの大パノラマが展開するという。

山地は、東側に向かってなだらかな裾野を広げている。 


その裾野は鹿屋の町であり、そこには広大な丘陵台地が広がっていて、この台地を利用して昭和の昔に飛行場が建設されている。 
市域の西部に広がる航空基地は、今は海上自衛隊鹿屋航空基地となっているが、戦前戦中においても一大航空基地でもあった。



1936年(昭和11年) 日本海軍・鹿屋海軍航空隊が結成されると同時に、飛行場も建設された。 
そして、第二次大戦における海戦においては、特に沖縄の戦闘は戦艦大和など戦史にも残るほど熾烈なものであった。 

この時期、日本の戦局は絶対不利の状態となっていて、ここに退勢挽回を図るため秘策を試みるに至った、即ち敵国海空軍兵力の全滅を期して計画したと言われる特別攻撃、つまり「特攻」であった。

鹿屋基地において戦時中期頃までは、中国大陸に対する爆撃やマレー沖海戦、イギリス東洋艦隊の攻撃などで戦果があったとされといる。 

特に零戦(零式艦上戦闘機)は大戦中には大量に製造され、世界的な名機といわれて太平洋戦争初期には圧倒的な力を誇ったという。

世界を震撼させた零戦は、海軍鹿屋航空隊でも頻繁に出撃していったが、この鹿屋基地は、戦時末期にはアメリカ軍の沖縄侵攻により、特攻出撃の航空基地となってしまうのである。


太平洋戦争末期には鹿屋基地には第五航空艦隊司令部が置かれ、「神風特攻隊」の出撃基地となり、爆弾を抱えた零戦をはじめ戦闘機は、その運動性能を充分に生かすことなく、搭乗員とともに特攻作戦を展開しながら南の海に散っていった。 

特攻機が離陸するに当たり、知覧基地では「開聞岳」が最後の見送りの地となったが、鹿屋基地からは「桜島」が最後の想いの地になったものと思われる。
この基地から出撃、特攻戦死した人々の員数は908名とも言われる。


現在は、海上自衛隊の航空基地で、対潜哨戒機や救難ヘリコプターの基地でもあり、日本の南西海域の安全保障や奄美諸島から甑島列島に及ぶ広大な海域・離島の海難・急患輸送に欠かせない基地となっているという。 
その滑走路脇には今でも、戦中から使われていた零式艦上戦闘機の勇姿が展示されているという。



国道220号は大隈半島を、ほぼ直角に横断するように延びている。 
その中ほどに「串良町」がある。

この町域のだだっ広い丘陵台地には、緑の絨毯が広がっていて名産の葉タバコが育成されているようである。 
おはら節に『 花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは 桜島 』と歌われているように、この地方は古来より葉タバコの生産地であった。 
昨今は、原料葉たばこの輸入(中国、インド、ブラジル・・)や専売公社の民営化、消費の低迷などによる減反政策のため減少傾向にあるという。 

J・Tからの買取価格も低下しているのが現状のようで、政府も転作を奨励するように働きかけているようである。
葉タバコ生産の産県別にみると熊本、鹿児島、宮崎と九州南部地域が全国ベスト3に入り、凡そ30%を占めているという。 

尚、時代の勢いもあっていずこの地も禁煙運動が盛んであるが、強硬に反対しているのは実は、葉たばこ農家よりもタバコ販売業者達ともいわれる。


串良町の串の字を分解すると、「中中」と読み、「なかなかよい町」という意味にもとれ、町民はそのことを意識しているともいう・・?。 

串良町(くしらちょう)は、今も第一次産業に従事する住民が多く、葉タバコ産業は今後懸念されるが、農業を基幹産業とする町に変わりはなく、「なかなかよい町」であることは確かなようである。 

だが、串良町は周辺の鹿屋市、輝北町、吾平町と2006年1月に合併し、新たに鹿屋市となってしまうという。
従って、行政としての独立性のある「なかなかよい町」は、消え去ってしまうのである。

次回は、「志布志




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祝い・・!!  平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 
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