google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(134)由布院 「由布院温泉」

2011年5月29日日曜日

日本周遊紀行(134)由布院 「由布院温泉」

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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/



  日本周遊紀行(134)由布院 「由布院温泉」  ,




写真:由布院の瀟洒な「湯の坪通り」


共同湯・「ゆのつぼ温泉」


写真:金鱗湖と由布岳(右の茅葺屋根が共同湯・「下ん湯」)




鎌倉期より開けていた由布院は、江戸期には閑散としていた・・?

金鱗湖から流れ出る小川に沿って行くと、堂々たる屋敷の門があった。 
昔は家老の御屋敷だったそうで、その門構えに「由布院民芸村」とあった。
湯布院の人気スポットで、幕末から明治期の民芸品を収蔵した民芸民具館でいわば資料館のようなものらしい。

帰路、お目当ての「ゆのつぼ温泉」の共同湯へ向かう。 
瓦屋根が二重構造の民家風の小さな木造で、引き戸の玄関上に木板で大きく「ゆのつぼ温泉」と書かれてあり、粋な雰囲気を出している。 
料金箱に入湯料を入れ扉を開くと右が女湯で、左が男湯になっている、竹を編みこんだ天井など細かいところに工夫がしてあり、木目が鮮やかな木の壁や床が明るく清楚なイメージがもてる。 

本日開場したばかりと見えて、洗面具等はキチンと整理されている。 
浴槽は中にも藍色の石ダタミを敷くなど、見た目にもその木材と調和していてかなり落ち着いた雰囲気を出している。 
湯舟の縁からは惜しげもなく湯が溢れていて、無色透明、無味無臭の単純泉だけれども、触ると温度はかなり熱い、分析表によると泉温は64度とあった。
湯舟の湯はさすがにそこまでは熱くはないものの、かなりの高温ではあった。
熱いので湯船に長く浸かることなく、縁で「掛け湯」を楽しみながら湯舎を出た。

因みに、金鱗湖の湖畔にも「下ん湯」(したんゆ)という妙な名前の半露天の混浴施設がある。



陽光が燦々として眩しいくらいだが、路地の樹木の緑が補ってくれる。 
人の群れも一時より増えてきたようで、ツアーの団体客も目に入る。
やはり御婦人方、若い女性、カップルが目立つ。 

今日は6月6日の月曜日の平日である、にも拘らずこれだけの人出である、週末の休日などは相当な人出であることが想像できる。  



ところで、ここの温泉地の本来の名称は、由布院地区にある「由布院温泉」である。
昨今、観光案内で「湯布院温泉」などと表示される場合があるが、「湯布院」という名称は先にも記したが旧湯平村と旧由布院町が合併した際に作られた町名である。 
湯布院温泉とすると由布院温泉と湯平温泉のことで、更に塚原温泉も加わることになる。 
従って本来は湯布院町の三つの湯で湯布院三湯が正しい。 現在は、由布市三湯由布院温泉、湯平温泉、塚原温泉)である。 

尚、現在では知名度の向上に伴い「由布院」と「湯布院」の使い分けについての理解もある程度進んでいるが、その一方で状況は一段と複雑になっているともいい、その為、「ゆふいん温泉」、「ゆふいん」という平仮名表記が用いられることも多くなっているともいう。
この表記は「由布院」なのか「湯布院」なのかという区別を一層曖昧にする結果を生んでいるともいえる。

ともあれこれら三つの温泉群からの湧出量は、別府温泉に次いで全国第二位であるとか。 
中でも由布院が湧出量・孔数とも断然多く、なんと740を超える源泉孔からは毎分40KLの温泉が湧出しているという。 
江戸時代から使われていたと言う共同浴場は金鱗湖畔に佇む茅葺屋屋根の小さな湯小屋「下ん湯」をはじめ14ヶ所があり、外来観光客は勿論、地元の人たちの憩いの場として利用されている。泉質は主に単純泉で効能は神経痛、筋肉痛、関節痛など。


奈良期には既に開かれ、鎌倉期から効用のある温泉として広く知られていた由布院であるが、江戸時代になって突如としてただの村人だけの行水(ぎょうずい))の湯になってしまったと言うのである・・?。

16世紀頃までは由布院はキリシタンの里であった。 しかし、江戸期になって、この平和な村にキリシタンの弾圧が襲ってきたのである。 
全村民がキリシタンだったような由布院は、やむなく一部の信者を除いて殆どが改宗してしまったともいう。(今でもその隠れキリシタンの痕跡が墓石などに残っている) 

由布院に対する監視の目は厳しく、キリシタンの疑いを避けるためにも、村人が行水する以外、外部の人は誰も湯治に来なくなっていた。
ここに由布院温泉の陰の歴史が秘められてたのである。

由布院が湯治場として再び活気を帯びるのは明治維新後のことで明治中期、近隣に陸軍の演習場ができ、陸軍のお偉方や兵士たちが旅館や民家に宿泊し、温泉気分を満喫するようになってからである。 
湯布院には今も自衛隊の駐屯地があり、日出生台(ひじゅうだい)演習場(湯布院町、玖珠町、九重町にまたがる西日本最大の演習場)からは時折、砲撃音が聞こえるという。

由布院には、更に大分-佐賀を結ぶ佐賀県道が開通し、大分-由布院間に鉄道も走るようになった。
そして何処も同じようにこの町も歓楽温泉地と化していこうとしていたのである。 

これを憂いたのが油屋熊八をはじめ、江戸時代からの庄屋たちや医者、外部から訪れた学者たちであった。 
油屋は由布院の名勝宣伝文として「 朝かすみ・四季蛍・山のみどり・木々の紅葉・杉の大木・興禅院・八山地獄・蕨狩り・若宮八幡・六所宮・石松公園・倒映湖・人と魚の混浴・下の湯 」を挙げている。

熊八に案内されてやって来た客人たちは、仙郷・由布院盆地の美しさに感動し、その後も度々自らこの自然の素朴な温泉地を訪れたという。 
客人は、由布院で遊んできたと言うより、由布院で癒してきたと言ったといい、勇壮な姿で由布院盆地を包み込むように聳える由布岳や美しい金鱗湖、そして変わらない純朴な農村風景、町の人々の生活がそのまま由布院の歴史を伝えている。

次回は、「湯平温泉




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