google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(91)姫路 「国宝・姫路城」

2011年3月2日水曜日

日本周遊紀行(91)姫路 「国宝・姫路城」

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 日本周遊紀行(91)姫路 「国宝・姫路城」  、



写真:天下の名城・「姫路城」



日本で最も美しいと言われる「姫路城」は別名「白鷺城」ともいう・・、

この大幹線道・国道2号線は早朝というのに、交通量が多く神戸、大阪方面へ向かう流通大型トラックが目に付く。 
30分程して姫路市街に入り、国道2号線をそのまま東へ進むと、やがて姫路城の天守閣が遠望できるようになる。 

大手前通りからお城の方角へ向かうと、お堀端に沿って幅広い道路が東西に走っている。
その中央に大手門があり、ここから入園(入城ではない)する。 
まず、広大な三の丸公園が目の前に広がる。 
早朝のせいか観光客は少ないが、中年の夫婦や各グループがウォーキング、ジョギングを楽しんでいる。

正面中央に丸く囲まれた園地の中心に、巨大石で「世界遺産・姫路城」の刻印が刻まれている。
そしてその背後に遠く、高く姫路城・天守閣が聳えていた。 城郭へは、正面管理棟の「菱の門」辺りから入城するのであるが、現今は、時間外で入ることはできない、入城は600円とか・・!。

通りすがりの人と、話をする機会があった。 
和歌山の人で「全国の名城」を見物旅行しているという。 小生自身のことも若干話し多いに納得されたようである。
一週間ほど前に小生の地元「小田原城」を訪門されたといい、旅行の目的とは色々あるもので、小生も大いに感心させられた。


園内より東の方角へ行き、出来るだけ本丸・天守閣に近ずくと、朝日に照らされて白く輝く五層の大天守閣が天に突き上げ、その威容を誇っていた。 
この大天守は、三つの小天守を白壁の渡櫓が結んでいる。 
空に向かって建ち並ぶ天守群と白く美しい白壁の広がの様は、天を舞う白鷺のように譬えられ、姫路城は別名「白鷺城」(しらさぎじょう・はくろじょう)ともいわれる。



姫路城は、鎌倉末期の元弘三年(1333:鎌倉時代終焉)に、播磨の守護職・赤松則村(南北朝時代、湊川の合戦で楠木正成を破った)がこの場所に砦を築いたのが始まりと言われる。
」と呼べる規模の構築物としては、16世紀に播州平野に割拠した小寺氏の被官である黒田重隆が築城したのが最初であるという異説もあるが・・?。

山陽道上の交通の要所・姫路に置かれた姫路城には黒田氏や戦国期・天正八年(1580)羽柴秀吉が西国支配の根拠地として入城し、翌年三層の天守閣を築いているる。
関ヶ原の合戦後、徳川家康の女婿・池田輝政(秀吉の仲介によって家康の次女督姫・とくひめを娶る)がその戦功により姫路城主となり、戦国末期から江戸初期の慶長年間から八年の歳月をかけ大規模に城域を拡張し、姫山に五層七階の天守を築いたのが今の城郭である。

輝政およびその子・孫以降は親藩松平氏や譜代大名が配置され、さらに西国の外様大名監視のために西国探題が設置されたりもした。
本多忠政が嫡子・忠刻とその妻千姫(徳川秀忠の長女)のために西の丸に化粧櫓を築き、1618年頃、今日の名城としての全容を完成させている。  
その後、榊原氏や酒井氏などのを経て明治維新後陸軍省に引き継がれ、明治末期に荒れた城の修復をし、昭和30年代から八年の歳月を費やして天守閣群を解体修理し今日に到っている。 


現在、大天守と三つの小天守およびこれらを結ぶ渡櫓(以上は国宝) をはじめとし、化粧櫓などの櫓27棟、門15棟、土塀およそ1km(以上重要文化財)と内濠、外濠の大部分は当時のまま残っているという。中濠より内は、特別史跡に指定され、また1993年(平成5年)、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

尚、上記の「昭和の大修理」により「50年は保つ」といわれていたが、今日、大修理から45年が経過し漆喰や木材の劣化が進んだため、大天守の白漆喰の塗り替え、瓦の葺き替え、耐震補強を重点とした補修工事が予定されているという。
2009年(平成21年)度着工、2014年(平成26年)度竣工予定としている。

事業費は30億円弱と見積もられ、工期中も工事や安全に支障がない範囲で大天守内部の公開は続け、大天守を覆うように素屋根を設置するため天守からの展望や外観の展望は望めないが、修復作業を見学出来る「見せる修復」も検討されているという。



ところで江戸時代の初期には全国に大小180ほどの城があったとされるが、その殆どが、明治維新の際の取り壊しや、戦災によって滅失し、名城・名古屋城や熊本城も例外ではなかった。
その中で、姫路城は幾多の危機を乗り越え、奇跡的にも往時の姿をよく残しているという。
そして現在、その建築物のほとんどが、国宝や重要文化財に指定されいる。
日本三大国宝城の一つ(他に松本城、彦根城)に数えられ、築城以来の姿をよく残していることもあって時に「天下の名城」あるいは「日本一の名城」とも言われる。 
現在、国宝に指定されている城は、松本城、彦根城、犬山城と、そしてこの姫路城の4つのみである。



姫路城の勇姿を何枚かカメラに収めて姫路を後にした。
今度は山陽道を西に向かう。備前I・Cより岡山ブルーラインへ、瀬戸内海が深く入り込む片上湾の入江を跨ぐ片上大橋を渡る。 
青空の下、紺碧の海が光る。 周囲は、たくさんの小島が海に浮かび、湾では無数の筏が浮かぶ素晴らしい景観である、牡蠣の養殖が盛んなようである。 
「道の駅・黒井山グリーンパーク」で小服を入れる、ここは、子供たちのための楽しい施設が盛りだくさんで、家族連れで一日中遊べそうである。

ブルーラインを邑久(おく)インターチェンジから、県道39号を南下して「牛窓」に向かう。
牛窓は、海沿いのリゾート地として知られる。 
オリーブが生い茂った小高い丘から見える瀬戸内の小島や、ヨットハーバーなどがかもし出す雰囲気から、「日本のエーゲ海」とも呼ばれているが、実際、目にしたのは、きらめく海に長く延びる防波堤があるわりには、船の姿も見あたらない不思議な港の風景である。 

謳い文句とは裏腹に、普通の港のようで特に観光地らしい景観は見られなかったようであるが・・?、
場所を間違えているのか、名に言う美風の景観地は他にあるのかもしれない。

次回は、 岡山西大寺 「裸祭りの西大寺

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