google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(7)下田 「黒船祭とペリー」

2010年9月22日水曜日

日本周遊紀行(7)下田 「黒船祭とペリー」

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 日本周遊紀行(7)下田 「黒船祭とペリー」 



「下田黒船祭」

今井浜温泉、河津浜温泉からR135は内陸の高所を行く。
その後、再び白州の浜に出た、伊豆白浜という。
白浜の地名は 他に安房の白浜、南紀の白浜を記憶している。

スイセン(1月頃30万本の自然のスイセンが咲きほこる)と須崎御用邸(昭和46年に三井の静かな入江に御用邸がたてられ、天皇陛下や、皇室関係の方が、海洋生物の研究やお休みにお出でになる)で有名な爪木崎を左に見ながら、とりあえず伊豆急の下田駅に向かう。
駅は鉄道・伊豆急の終着駅で東京から下田は凡そ2時間半で結んでいる。


観光案内所で歴史的名所のガイドを伺いながら、パンフを戴く。
聞くところによると5月20日~22日つまり本日まで「下田黒船祭」の真っ最中で、各処々でイベントが行われているとか。

ソウ云われれば、商店大通りでは賑やかに出店や露天商が並んでいて、着物のお嬢さんのソゾロ歩きや港街らしくセーラー服の若き水兵さんの姿も見かけた。
黒船祭は、当時亡くなった米兵の供養祭から始まり、現在は日米両国の親善を深めるため、下田条約が締結された5月に、毎年行われてる。


思えば今年は種々の記念の年に当たっている様だ。
太平洋戦争の終戦60年、日露戦争の終結100年、そして江戸末期の開国から150年と。
この下田こそが、江戸期の長い鎖国から世界への扉を開いた地である。

先ずそれらの跡を訪ねて観よう。
駅前から稲生沢川沿いを行くと、下田公園の手前に「ぺりー艦隊上陸の地」があった。 

船体を真っ黒なタールで塗りつぶした4隻の艦船が「浦賀」に来航したのは、1853年6月であった。

母国アメリカを出航した後、大西洋からアフリカ喜望峰を回りインド洋を抜け、香港・琉球(沖縄)を経由し226日にも及んだ長い航海の末、日本へとやっと到達した。
ペリーは久里浜(浦賀)にて、開国開港を要求する国書を幕府に受け取らせると、翌年再び来日し返答を聞くことを約束して一旦日本を去った。 

時を経て再び来日したのは翌年1854年、今度は9隻の艦船を率いて、無断で江戸湾(東京湾)の測量や乗組員を強引に横浜に上陸させ、条約草案を押し付ける等、威圧行為を行いながら、幕府との話し合いの場を設けることに成功する。

強引な手段に出たのには、前任の東インド艦隊司令長官が浦賀奉行に呈よく追い帰されたという経緯があった。
そのため万が一の場合には「武力行使も辞さない」といった断固たる決意で臨んだ為といわれる。
腹を決めた幕府は江戸近隣での開港を嫌い、下田・函館両港の開港案を提示する。

ペリーはさっそく下田周辺の海洋等の事前調査を行う、外洋と接し安全かつ容易に出入りが出来る下田湾を、当時ペリーは「 天然にしてこれほどの良港は望めない 」と絶賛したそである。
遂に艦隊を集結させたペリーは乗組員と共に、この地に上陸する。



ぺりー上陸地(下田黒船祭にあたり、胸像には花輪と花束が手向けてある)


上陸地の園地にはペリーの胸像があった。

ここから「了仙寺」までは300mもあろうか、石畳の道に風流な弥治川、ナマコ壁の屋敷前に架かる朱色の橋、小公園やガス灯など情緒あふれる散歩道、下田の町の風情を感じさせ、若者に人気のおしゃれストリートになっている。
通称「ペリーロード」と呼んでいる。
その先に了仙寺は在った。

さすがに大きめの駐車場の横は土産店が並び、その前に紫色の花木鉢が並んでいる。
聞くと「 アメリカジャスミンでこの寺の名所名物だよ、中庭は今が盛りだよ 」と言う。

成る程、肩ぐらいはあろうかと思われる位のその名もアメリカジャスミンが庭一面に今が盛りと満開の花を咲かせていた。
本堂も古式な由緒を感じさせる。 


了仙寺と真盛りのアメリカジャスミンの庭園



ペリーや艦船の乗組員たちは、このペリーロードを軍楽隊の演奏と共に派手に行進をしながら了仙寺へと入ったことだろう。

ペリーは下田の町家を下見、見聞しながら幕府側代表と何度も交渉を進め、念願の全12ヶ条から成る日米和親条約(神奈川条約)を締結したという。 

初め、街を歩く白い色や真っ黒い鬼のような形相の大男に恐れをなして家の中に閉じこもっていた下田の町民も、フレンドリーでユーモラスなアメリカ人とすぐに打ち解けることができ、敵対心を抱いて接していた幕府役人を尻目に、友好関係を築き上げていったという。

又、ペリー一行が下田に上陸して最初受けた日本人の印象は、自分たちが考えていた一見した以上に、生活や教育水準の高さ、職人たちの手の器用さに驚き、尚且つ、日本の風習にも相当なカルチャーショックを受けたようである。

引続き下田での「ハリスとお吉



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