google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(132)厚木 「宮が瀬ダム」

2010年8月29日日曜日

日本周遊紀行(132)厚木 「宮が瀬ダム」

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日本周遊紀行(132)厚木 「宮が瀬ダム」




宮が瀬振興財団(リンク)



宮が瀬ダム湖の奥部にある「水の郷」




「宮が瀬ダム」は、厚木の地域ではないが・・、

昨今、この宮が瀬地区に大きなダムが完成した、「宮が瀬ダム」という。 
東京都心から約50kmの至近に位置した首都圏最大級のダムで貯水池としても注目されている。

愛川町半原と相模原市津久井町(旧津久井町)、更に清川村宮ヶ瀬の3市町村に跨る相模川水系中津川に建設されたダムで、湖名は宮ヶ瀬湖という。 
1991年10月に宮ヶ瀬ダム本体コンクリート打設開始、1995年10月から貯水が開始され、1999年春には箱根の芦ノ湖に匹敵する「宮ヶ瀬湖」が誕生している。 

宮ヶ瀬ダムでは.二本の導水路で県内の相模・城山ダムと連携して水資源を合理的に利用し、2001年4月から本格運用が開始されている。 
総貯水容量約2億トンといい、水道水として新たに利用される水は横浜市や川崎市など県内の3分の2を賄い利用されてる。 

宮ヶ瀬ダム建設に伴い、本ダムに愛川第一発電所、副ダムに愛川第2発電所を新設。
ダムからの下流への補給を利用して水力発電を行い最大出力は、それぞれ25,200kW、これは一般家庭約21,000世帯の年間使用量に相当するという。

堤高156.0m、堤頂長約400mの重力式コンクリートダムで、全国の堰堤の規模からすると高さで5位にランクされる、ちなみに1位は黒部ダムで186mである。


又、宮ヶ瀬ダム建設に伴って多くの人が移転を余儀なくされた、水没地の面積は45平方キロメートル、移転戸数は281戸に及び、新規造成団地「宮の里」に移住している。

宮ヶ瀬ダム湖周辺は今は観光地として見所は多く、あいかわ公園、湖畔地区、鳥居原地区の三つのエリアに分かれている。湖畔地区は、旅館や商店が並ぶ水の郷商店街、のりもの広場や広大なピクニック広場、水の郷大吊り橋、ビジターセンター、交流館、カヌー場などがあって賑やかなところである。


又、宮ヶ瀬湖には例年のイベントがある。

クリスマスの時期に美しく光輝くジャンボクリスマスツリーが登場する。 
期間中は、水の郷の樹木にもおよそ10万個のイルミネーションが飾られ、ライトアップされた大噴水「虹の妖精」、美しい夜景とともにそこは光のパラダイスとなり、大人から子供までメルヘンの世界に招待してくれる。 
このジャンボクリスマスツリーとして毎年話題を呼ぶ宮ヶ瀬のモミの木は、樹齢100年を超えると推定され、このモミの木のてっぺんに約2mの星が飾られ、約1万個のイルミネーションでデコレーションされた、高さ約30mのジャンボクリスマスツリーになる。

宮が瀬へは小宅からは車で15分程度、中央道相模湖ICから30分、東名道厚木ICから40分、本厚木駅からバスで60分程度である。



回想の「中津渓谷、宮が瀬」・・、

厚木市街に接して流れる清流「相模川」が流れる。
関東の鮎の釣り場、夏には厚木鮎祭りの大花火大会の会場にもなる市民の憩いの場所である。

この広大な河原は、三川合流の地点でもあり、左より小鮎川、中津川、そして本流の相模川であるが、この中津川の上流凡そ10km上流の愛川地区に宮が瀬湖がある。


この湖の東端、宮ヶ瀬堰堤・ダムが位置するダムサイトエリア下流の石小屋ダム付近は、かつて名勝・中津渓谷があった地域である。
川幅一杯に急峻な山肌が迫り、この地形を利用し建設されたのが宮ヶ瀬堰堤・ダムがであるが、この地が愛川町石小屋地区であった。


克っての中津渓谷は、深い緑と鮮やかな紅葉のハイキングコースとして人気があり、小生なども何度も訪れた地で首都圏でも絶大な人気があった。
コースのスタート地点には、堅牢な石造りでメガネ状の名物・石小屋橋が在り、現在はその名残を残しつつも宮ヶ瀬ダム建設に伴って取り壊されたが。

この石小屋橋から先が中津渓谷の見所、核心部であった。 

日中でもあまり陽が指す事が無いほどV状に研ぎすまされ、深い峡谷の景観は我々を圧倒した。 
ユックリ散策しながらも概ね1時間、薄暗い谷間を通り抜けるとそこには信じられないぐらいの明るい集落が広がっている。

サンサンと降り注ぐ陽光の下、中には藁葺き屋根を設えた家々が寂として佇んでいる。 
中津川の清流には鮎やヤマメが飛び跳ね、河原にはバーべキュウを楽しむ親子ずれがいて子供達の嬌声が聞こえる。(小生の家族も含む)チョット上流には、ゆらゆら揺れる吊り橋がいかにも山の里を偲ばせ、山あいの平地には、黄金色の稲穂がたわわに実りを付け、こらえ切れないほどに頭を垂れた穂先が風にそよいでいる。

この宮が瀬の地は正に桃源郷の様相であった。


そして何十年も、否、何百年もの間住み慣れた部落の人々は、今、この地を後にして新天地の宮の里に移ったが、これらの人々が、フト・・!我に返り、かって住み慣れた桃源郷の「湖底の故郷」を思い起こす時、どのような気持ちになるのだろう・・? 

きっと胸が締め付けられるような思いにかられるに違いない。


宮が瀬ダムの建設時期に、同町の愛川高校の新設、開校(昭和58年)が合わさったたため、学校建設の際、南北校舎を結ぶ渡り廊下の中庭に「石小屋橋」の景観を取り入れたデザインを創作し、取り入れているという。


次回は、厚木周辺の山地



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