2009年10月26日月曜日

日本周遊紀行(7)白馬 「塩の道・謙信と信玄」


 白馬村から白馬三山(左下にジャンプ台が見える)



日本周遊紀行(7)白馬 「塩の道・謙信と信玄」


我が第三の故郷になった「白馬村」

白馬村は信州・長野の最北部に位置し、西側山岳部は三千米級の北アルプス北部が連なる。 名峰「白馬岳」の白馬三山、五竜岳、唐松岳などに代表される山並みは、全国から登山者が耐えない。 又、そこから伸びる八方尾根、遠見尾根、岩岳などの山腹には、わが国を代表するスキー場が南北に並ぶ。

その白馬村の中心を、今は副道となった「塩の道」が通っている、昔の国道である。
信州には、塩の道と呼ばれる街道がいくつか存在する。三州街道(伊那街道)とも呼ばれ、三河方面(赤穂事件の吉良家の領)から塩や海産物を信州方面へ運ばれた。又、秋葉街道(南信州街道)は太平洋側の相良から、その名も塩買坂を通って信州へ到った。
そして、こちらは松本から新潟・糸魚川市へ至る凡そ120kmに及ぶ街道で「千国街道」と呼ばれた。松本からは敬意を表して「糸魚川街道」と呼ばれ、越後・糸魚川側からは「松本街道」と呼ばれた・・、これを通称「千国・塩の道」といっている。
日本海側から塩や海産物を海の無い信州に運び入れるために、又、信州側からは麻、タバコ、米など、中世~昭和初期まで主として使われた生活の道である。 こちらの特徴は、大名家などの武家による参勤交代などはなく、庶民によるボッカ(歩荷・人々が歩いて物資を運ぶ)や牛馬が通り、道路は蹄(てい、ひづめ)で踏み固められた生活物資の生活用流通路であった。
又、この街道は、「敵に塩を送った義塩の道」としての逸話が有名で、上杉謙信が敵将・武田信玄に塩を送るために通った道としても知られる。
武田信玄の本拠・甲斐は内陸地で、塩を他国からの輸入に頼っていた。
戦国期は、越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、駿河の北条・今川義元(氏真)の時代である。 上杉謙信と武田信玄(信州松本は信玄の支配下であった)が川中島で争っている時、同時期、武田は南の海に面した駿河・今川とも衝突してしまう。そのため今川氏真は1567年、甲斐と駿河の国交を断絶し、往来を禁止をしてしまう。氏真は信長に桶狭間で倒された今川義元の子である。 
このため駿河・今川から求めていた塩が甲斐に入ってこなくなり、信玄は本当に困り果ててしまう。おまけに氏真は越後の謙信にも謀って、信玄に塩を送らないように依頼する。ところが謙信は「そのこと卑劣なり・・!」と申し出を拒否し、更に戦闘中でもあるライバルにむかって、上杉謙信は「貴公とは弓矢を交えても、塩を絶ってまで甲斐の人々を窮乏に貶めようとは思はない。今後は越後から好きなだけ塩や物資を送るので輸入してほしい」と信玄にしたためたという。

ところで、地形的に信州から甲斐の国は南北に長い。
駿河から甲斐へは富士川を遡ると平坦で短いが、逆に越後から信州松本までは国内でも有数に海から遠い距離にある城下町であり、しかも険しい山中が大部分を占めている。
武士道精神にたった謙信の取り成しに、信玄が感服したのは言うまでもない。信玄公は「我が亡き後、国危うければ越後に託せ、謙信は頼りになる男だ・・!」と言い残している。 実際に、多くの武将は武田家滅亡の後、越後に向かったという。
改めて上杉謙信の偉大さに敬服するのであるが・・、実際、謙信が信玄に塩を送ったという話は歴史的に確証はされていないとも言われるが・・?。
因みに、現在、NHK大河ドラマ「風林火山」が放映中で、昨今の放送では謙信、信玄が遂に「川中島の合戦」へ突入したようである。
ただ元より、信玄がまだ信濃攻略以前の甲斐しか治めていなかった頃は、謙信はライバルとしての意識はしていなかったようである。 謙信が信玄を敵視し始めたのは、信濃の主・村上義清が信玄に敗れて謙信に頼ったときからで、義清が前の領地を取り戻したいという、願いを受け入れて謙信は武田家と戦う意思を固めたのである。このときの最初の戦が「川中島の戦い」で、それから10年ぐらいをかけて信玄とは川中島の戦いを5回も行うことになるが。
この戦いを謙信自身は「義の戦いなり」と称している、つまり、領土的野心のある戦ではなかったのである。ここにも謙信の「人となり」が表れているし、“義の人”のイメージが見えてくるのである。

余計だが、我が別宅はこの白馬「塩の道」に面している。 そして毎年五月の初旬(連休)には、往時を偲んで「塩の道祭り」が行われ、大勢の人が練り歩く、中には当時の服装、仮装をして参加している人もいる。

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