google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(9)糸魚川 「姫川と翡翠(ひすい)」

2009年10月28日水曜日

日本周遊紀行(9)糸魚川 「姫川と翡翠(ひすい)」

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日本周遊紀行(9)糸魚川 「姫川と翡翠(ひすい)」

昔、高志、古志の国(越の国)の豪族で、その姫の名は奴奈川姫(ヌナカワヒメ)と称し、現在の新潟県西頸城郡辺りを支配していた古代女王であったとされる(古事記)。
糸魚川や青海地方の特産品である祭祀具・翡翠(ひすい)を支配する巫女であったとも言われ、「奴奈川姫」という名は「奴奈川」つまり糸魚川市を流れる「姫川」のことで、当地方の女王を意味しており、個人名ではなくこの地方の代々の女王を指す可能性もあるともいう。

この頃、出雲の国を中心に勢力を各地に伸ばしていた大国主(オオクニヌシ)の命は、能登半島に上陸し少名彦命(スクナヒコ)と力を合わせ、地方を平定開拓するともに、越(高志、古志)の国の貴石・翡翠の覇権と美姫と噂された奴奈河姫を求めて「越の国」に渡ることになる。
越の国の居多ヶ浜(上越市)に上陸し、身能輪山周辺に居を構えたとされる。(居多ヶ浜や身能輪山は、現在の上越市・直江津の西海岸とその近辺で、往時は越後国府があり、又、すぐ南に上杉謙信の「春日山」も在る) そして越後地方の開拓や農耕技術、砂鉄の精錬技術などを伝えたという。
美姫・奴奈河姫に想いを寄せていた地元の根知彦(ネチヒコ・姫川沿い糸魚川市根知)は大国主の出現にひどく怒り身能輪山に乱入したが、結局、大国主が勝利し、姫の元に通いながら結婚することになつた。 その後、奴奈川姫と大国主命の間に男子を生む、この息子が諏訪大社の祭神・建御名方命(諏訪地方参照)である。

一般には、奴奈川姫と大国主神の物語は神代のロマンなどといわれているが、古事記における二人の問答を見る限りでは二人の出会いはかなり非情なものであったともいう。 大国主神は侵略と脅しであり、一方の奴奈川姫はひたすら命乞いをしているのである。つまり、征服者と被征服者の関係であったと・・、
その後、奴奈川姫は、大国主の子である建御名方命を産むのであるが、「奴奈川神社」(糸魚川市の一の宮)によると、姫は大国主の手から逃れ、悲運を辿ることになるというが。 
大国主命はその内、本国の出雲に帰ることになるが、姫に一緒に出雲へ来るように説得する。しかし、姫は出雲へ行くことを嫌った、出雲には大国主の別な妃もいたし、それに大切な翡翠を守らねばならないという願いが強かったのである。 大国主は強引に連れて帰ろうとするが、姫は途中で逃げ出し追手に追われることになる。  そこで、姫は、姫川の奥深く逃げ込み、追っ手が厳しくなると姫川に無念の入水をしたという。 又一方では、途中で諏訪から息子が迎えに来て、姫川山中で余生を送ったともいわれる。 
姫川沿いには、姫にまつわる伝承や史跡が多数残るという。
奴奈川姫はヒスイの主権者といわれているが・・、  

『ぬな河の 底なる玉 求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも
  あたらしき君が老ゆらく 惜しも』 「万葉集十三巻」より
この中の「ぬな河」とは「姫川」のことで、そして「底なる玉」とは「翡翠・ヒスイ」を指しているといわれている。 
古来より翡翠を身につけていると魔除け、厄除けになり、幸運を招くの石として珍重され最高の装飾・装身具として愛用されてきた。 遠くは縄文期より姫川界隈の翡翠は利用されていたことが知られている。
姫川下流の丘陵地にある縄文時代中期の「長者ヶ原遺跡」(糸魚川市一の宮、美山公園北・ 縄文時代の遺跡で、古代にはここでヒスイ加工が行われていたという)からは、ヒスイの大珠や勾玉、加工道具、工房跡などが昭和20年代から続々と出土されているという。

太古の紀元前4000年頃には世界最古のヒスイ文化が実証されているともいわれる。
古代人に装飾品として愛用されたヒスイは、この糸魚川地方から北海道より九州まで全国に行き渡っていたことも明らかになっている。更に、糸魚川から全国へ、海から遠く隔たった内陸部や、大平洋岸までヒスイが運ばれているという。陸奥の国の「三内丸山遺跡」は、縄文期の4000~5000年前の遺跡と言われるが、ここでも多量の遺跡の中に、当地の翡翠は相当数発見されている。
神話と歴史が混在する弥生時代後期から古墳時代には、古志(越)の国の「奴奈川姫」という女王が翡翠の勾玉(まがたま)を身につけ霊力を発揮して統治していた。 古代人は、勾玉というのは神霊の依り代とも考えられていたもので、重要な神宝として神祭りに用いられた。そのような重要な祭器であったから、このうちの特に霊力の強いものが「三種の神器」の一つとなったといわれる。
「神璽」(しんじ・皇位のしるし)と呼ばれる「八坂瓊勾玉」(やさかにのまがたま)は、翡翠などの石を磨いてつくった勾玉(,カンマのような形の玉)をたくさん紐でつないで首飾り状にしたもので、製作者は玉祖命(タマノオヤノミコト・神話、岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉を作ったとされる神、天孫降臨の1神)と呼ばれる職人集団の祖神である

糸魚市川の姫川流域、北陸の海岸や富山県の翡翠海岸などは、我が国での殆どの翡翠が産出するという。
糸魚川-静岡構造線(フオッサマグナ)に関係する激しい断層活動、造山運動で鉱物の変成作用が起こり、地上に揉みだされ地表付近に出現したといわれる。 硬玉ヒスイの産地のひとつ姫川支流、小滝川「ヒスイ峽」の翡翠は良質であり、糸魚川市、青海町の産地と共に国の天然記念物に指定され、一般の人の翡翠の採掘は禁じられているという。 
現在市場に出ている翡翠宝飾品の大半は、海外、ミャンマー産とみられている。 東洋では特に重宝がられ、中国では他の宝石よりも価値が高いとされている。 
石言葉は長寿、健康、徳で、緑色のものが最も価値が有るという。



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