google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。

2010年5月13日木曜日

日本周遊紀行(91)六ヶ所村 「高速増殖炉」

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 日本周遊紀行(91)六ヶ所村 「高速増殖炉」 


六ヶ所村の核燃料サイクル施設(Google地図写真より)


前回の続きで、『高速増殖炉』について・・、

一方で、大量に存在する燃えないウラン238を、燃えるプルトニウム239に効率よく変換することで、消費した以上の燃料を生み出すことができるという。 
この時、ウラン238が中性子を吸収することによりプルトニウム239が生成され、そのプルトニウム239自体も核分裂する。
これを「増殖」といい、増殖によりウラン資源を有効利用できるとされる。


中性子の中に、エネルギー値の高い「高速中性子」というのがあり、これを利用してプルトニウムを更に「増殖」させることから、この原子炉を「高速増殖炉」と呼んでいる。  
燃やした燃料よりも多くのプルトニウムが炉内で生成される。 つまり発電しながらん燃料が増えてゆくわけである。
この高速増殖炉を使うことによって、プルトニウムを利用しない場合に比べ、ウラン資源の利用効率が100倍以上と飛躍的に向上するともいわれる。 
ウランを輸入に頼っている日本にとっては貴重な「国産燃料」が獲得でき、将来のエネルギー政策の本命と位置づけられている。 

しかし、問題があるらしい・・、

普通の原子炉(軽水炉)に比べて費用も高くつく上に、非常に危険で技術的にも難しく、実験・開発中の原子炉でも事故や故障が相次ぎ、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなど、先進諸国もすべて開発をあきらめたという。



現在、福井県敦賀市で試運転中の『もんじゅ』と云われる原子炉がある。

ウランの混合酸化物燃料を燃やす過程で、燃料のプルトニウムが生成され増殖する。
この原子炉は今だ研究開発の段階であるが平成3年4月・福井県敦賀市に完成し、同6年4月に初臨界を迎えたという。 『もんじゅ』は、水と激しく反応する「ナトリウム」を冷却材に使用している。

この炉が平成7年12月8日、試験運転中に冷却管の温度計のサヤが折れて約640kgのナトリウムが漏れ、火災が発生するという大事故を発生させた。 
この時、開発事業団の事故隠しや対応の遅れなど不透明性さが社会的批判を浴び、そのため現在は操業中止になっている。(近々、試験操業を開始するらしい) 

因みに『もんじゅ』の命名は、仏教の文殊菩薩に由来する。



ところで、この高速増殖炉で使用、抽出されるプルトニウム(Pu239)は次のような性質をもつ。 

● もともと自然には存在せず、本来は核爆弾をつくるために原子炉から抽出した物質(長崎型のプルトニウム核爆弾)である。 
● Pu自体超猛毒の性質をもつ。 
● 核分裂の反応速度が速いため原子炉の冷却用に特殊な材料(液体ナトリウム)を使用する。
● 製造過程から発生する高濃度の放射性廃棄物が発生する。
等々・・、

管理上非常に厳しい面があり、それらが世界の主要国でも敬遠され、国内でも問題が提起されている所以である。



放射性廃棄物」について・・、

原子力発電所などから出る廃棄物のうち、原子炉関係の放射性物質を扱っている区域から出る廃棄物を「放射性廃棄物」といい、これには厳重な管理が必要である。 
特にPu等を扱う再処理工場から出る使用済燃料廃液のことを「高レベル放射性廃棄物」といい、強い放射線や熱を出す。 
したがって一般的処理方法として、耐久性・耐熱性が高く、安全性に優れた処理をしなければならない。

過去には、海底深度の深い海溝などに、ドラム缶に詰めた放射性廃棄物を船上から投棄した国もあったようだが、日本では、地震や火山噴火等に耐える強固な施設でなくてはならず、地下水にも汚染がないよう地下300mの箇所に多重バリアを用いて処理する手法が提示されている。

特に問題となる高レベル放射性廃棄物については、ドイツでは既に高深度の地下の岩塩層や廃鉱跡地に埋設処理することで具体的な対策を検討中であるらしい。 
従って、これら廃棄物を処理する行政地域の場所の選定が大変である。
現時点で国内では候補地の目途すら立たない状況で、現在も各地域において処理場を模索中であるとのこと。



現在、電気エネルギーの主な材料は化石燃料だが、全エネルギーの3割は原子力発電が担っていると言われる。 
火力発電に使われる化石燃料も原子力発電に使われるウラン燃料も、今のペースで使い続けると、将来の枯渇が心配される。 

しかし、再処理工場や高速増殖炉でプルトニウムを利用することにより、ウラン資源は利用年数が数世紀以上に伸び、これにより原子力による発電が長期にわたって可能となるという。
この国の施策にのっとって原子燃料の再処理工場を、この地「六ヶ所村」が村民あげて受け入れ・・?、原子力行政に前向きに努めている事に対して敬意を表したいのである。


六ヶ所村は古くは倉内村、平沼村、鷹架村、尾駮村、出戸村、泊村の6つの村があり、明治22年にこれら6つの村を統一して、その名のとおりの「六ヶ所村」となった。
気候は、年間を通して比較的冷涼で特に夏季においては、いわゆる「ヤマセ」が太平洋側から吹くことが多く、そのため避暑地としては最適な村ともいわれる。
この六ヶ所村は、今や原子力発電の政策の担い手として、国内はもとより世界からも注目される村となった。
又、六ヶ所村は他に核融合実験風力発電など三つのエネルギー施策を行っているという、エネルギーの村なのである。

次回は、三沢



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2010年5月11日火曜日

日本周遊紀行(90)東通村 「居候の役場」

東北・太平洋道】 青森(大間)⇒⇒⇒⇒福島(いわき) 




 日本周遊紀行(90)東通村 「居候の役場」 


北海道一周を終えて、再び「東北」へ戻ってきた。
本州・最北部、下北半島の大間へ再び上陸して、次に東北地方東部から関東地区沿岸を巡ります。
尚、下北地方の内部地域である恐山や薬研温泉、そして下風呂温泉などは後頁の「温泉・観光」の項で記載します。



「むつ」の市街地を抜けて、国道279から県道7の小高い丘のような「冷水峠」を越えると「東通村」(ひがしどおりむら)へ入る。 
即ち、下北半島の頭の先端部分が東通村である。 

本州北東端に位置して、津軽海峡と太平洋に面しており、海岸線だけでも約60kmに及び、面積も約300km2と大きな村である。
この雄大な自然から、当然ながら豊富な海・山・里の幸に恵まれている。

しかし、この村のチョットユニークなところは、村は既に100年以上もの歴史をもつが、最近、流行(はやり)の合併の話も無いようで独自の村経営を行っている様なのである。 
更に、面白いのは村が誕生して100年もの間、隣の町(田名部=むつ市)に役場・庁舎を置いてあった事で、いわば、居候の役所であったのである。 
村が発祥して100周年を記念し、やっと庁舎を地元村内に設けたという。


歴史といえば、青森県全域にいえる事だが、この地も、超古代人(縄文人)が生活してた痕跡・遺跡が多数発見されているという。 
特に尻屋地区等北部に集中しているといい、これは北海道との関連も覗えるが・・、南へ下って青森の三内円山の縄文文化にも影響を及ぼしているのかも知れない。 しかも、この地に北海道特有の文化と言われる「擦文文化」の跡も発見されているという。

「擦文文化」とは北海道の道中において何度も記載したが、8~13世紀、北海道全域と東北地方北端に見られる文化で、北海道特有の続縄文文化に当時の本州の文化が刺激を与え、成立したものとされている。(本州の平安から鎌倉初期の時代) 
即ち、石器、土器は消滅し鉄器が普及しはじめ、農耕(稲作は含まず)も行われたが、生活基盤はあくまで狩猟・漁労にを置いたもので、近世アイヌ文化の先駆となる文化である。


それらの文化が今に継承されているのだろうか・・?、現在に至って先人から受け継いだ能舞、もちつき踊、神楽・獅子舞等の歴史的伝統文化、民俗文化が今も華開いているという。 
車で走っていても、何の変哲も無さそうな人口8000人足らずの寒村に、長大な人類の足跡が残されていたのは驚きであった。 


尻屋崎灯台と自然放牧の「寒立馬」


北東端には「尻屋崎」がある。
この周辺で目を引くのが周年、放牧されている津軽馬といわれる「寒立馬」は有名である。 粗食に耐え、寒風吹きすさぶ厳寒の季節、力強く立ちつくす姿は、命の尊さと、たくましさを感じさせる。 
野生の馬と思っていたが、実は飼い主がいるらしく農用馬(肉用馬)として自然放牧されているという。
寒立馬及び尻屋地区の生息地は青森県の天然記念物に指定されている。


歴史的伝統文化と自然の豊かな東通村だが、この村に既に原始力発電所の誘致が決定しているという。
東通村は歴史ある村であるが、未来志向の村でもあった。


次回は六ヶ所村・「原子力発電」




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